心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

忙中閑あり

2008-11-16 09:08:17 | Weblog
 きょうは5時過ぎに目が覚めました。小雨が静かに降っています。それほど寒くはないのですが、木々の紅葉を見ると、何か寂しいものがあります。いま、シベリウスのピアノ小品を聴きながらパソコンに向かっています。
 先週は週の半ばに2日間、広島に出かけていました。帰阪した翌日、つまり一昨日の夜は、京都は御池界隈で会合があって、夜遅く店を出ると酔い覚ましとばかり最寄駅まで歩きました。夜の京都を歩くのは久しぶりでしたが、うっすらと濡れた歩道に色づいた木の葉がちらほら。秋の深まりを思いました。30数年前の学生の頃を思い出しました。
 この日は、同業他社の集まりでした。様々な経営課題について、酒を片手にああでもないこうでもないと語り合う、お気軽な会合ですが、今回から20代の若い男女2名も仲間入り。何かをつかもうという意気込みに、若い頃の自分の姿が重なって見えてきて、なんとも楽しい時間を過ごすことができました。
 そして昨日の土曜日はと言えば、夕刻から労組との交渉が大詰めでした。ほぼ1年をかけて話し合ってきた人事制度改革案がテーマです。過去、微調整を経ながらも硬直化してしまった制度を、全く新しい視点から再構築をめざしたもので、実に半世紀ぶりの大改革となります。調印を終えて、運用する側の責任の大きさに改めて身の引き締まる思いがいたしました。
 同時並行で、もうひとつの懸案事項がヤマ場を迎えています。先日は、遅めの夕食をしていたところに新聞記者から電話。ほろ酔い気分もふっとんでしまいましたが、翌朝改めてお話することにいたしました。記者の書き方ひとつで良くも悪くもなる記事のこと、誠意をもってお答えをしましたが、さあて、どうなることやら。
 昨年4月に職場が変わって1年と半年が過ぎました。その間に取り組んできた諸課題が、今、複合的に絡み合いながら荒れ狂っています。同僚は「なぜそんなに急ぐのか」と気遣ってくれます。ひと昔前なら、その理屈もなりたったのでしょうが、時代が、それを許さなくなっている。まさに、「創造的破壊」の中から次のステージが見えてくる、そんなことを夢見ながら毎日を過ごしています。....なんて、勇ましいことを言っていますが、内心は不安もいっぱい。でも前を向いて歩くのみ。走るのみ。これも、最後のご奉公なんでしょうよ。きっと。
 きょうは仕事のことは忘れましょう。日曜日だから、1日中ぼんやりと音楽を聴いて過ごしたいところですが、実は、なんと孫君のお守役を仰せつかりました。母親は保育園の秋のバザーの担当、父親は日曜出勤。家内までもお仕事とあっては、手の空いているのはお祖父さんだけ、ということにあいなりました。「ちょっとだけ子供の面倒をみてくれない」という娘の甘い願いに、嬉しそうに安請け合いをしてしまいました。(^^♪ これから電車に乗ってお出かけです。
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