先週もあっという間の1週間でした。週の半ばには名古屋に出張しましたが、相前後してお隣のご主人が急にお亡くなりになるなど、2月の一週目は、慌ただしく過ぎていきました。
私が、この地に引っ越してきたのは、1984年の春、長女が小学校に上がるその直前のことでした。昭和40年代の高度経済成長期に街開きをした古い街ですが、引っ越した当時は、ちょうど世代後退期に入る時期で、その後、私たちの世代が1.5世代になります。今はそろそろ、次の世代交代、つまり2.0世代に移ろうかという時期でしょうか。引っ越した当時、お隣りは1.0世代のご主人で、数年後にはリタイアされ悠々自適の生活を送っていらっしゃいました。いつも笑顔を絶やさない温厚な方で、我が家もずいぶん親しくお付き合いをさせていただきました。昨秋、奥様が体調を崩され入院されていましたので、心労余りあるものがあったのだろうと察しています。寂しいお別れとなりました。
ところで、先日、朝日新聞のコラム経済気象台の「経営の原点回帰」という見出しに目がとまりました。「世界不況が深刻な広がりを見せる中で、その立て直しにおける「原点回帰」の重要さを多くの人が感じ始めている」「企業の経営は利益をあげて株主に奉仕するのが本質とされてきたが、経営の基本は顧客への奉仕であり、その目的に向かう社員の努力や協力の方がよほど本質に近い」「会社に対する評価も結果主義で、経営者の志や会社の風土など、目には見えないが大切な要素が捨象されている」。そして、「経営者や働き手の「質」の評価をもっと重視すること」の大切さを説いています。なるほどと思います。
改めて広辞苑第6版で確認すると、「原点」とは「根源の地点。基準になる点」。「回帰」とは「一周してもとへ帰ること。めぐりかえること。くりかえすこと」とあります。考えてみれば、インターネットの進化で、モノとカネと情報の流通は凄まじい勢いです。その波に呑みこまれるかのように、人の「こころ」まで、根なし草のように漂い始めています。毎日、テレビ・新聞・雑誌、そしてインターネットから吐き出される雑多な情報に過剰反応し右往左往する一方で、浮気するのも早い。ちょっと待てよ、と思う。少し冷静にならなくてはと、もう一人の私が自分を戒める。そうだよね、と思う私がいる。このブログ更新の時間は、まさに、そんな時間を私に与えてくれます。
週末から家内が、孫の顔が見たいと、甲府の長男宅にでかけています。そんなわけで、この週末は、一人で独身生活を謳歌しております。昨夜は、夜遅くまでヘレン・メリルとビル・エヴァンスのCDを聴きながら、音楽雑誌を眺めて過ごしました。もちろんウイスキー片手に。そして今朝は、愛犬ゴンタのお散歩を済ませると、以前、名曲堂のバーゲン(レコード半額セール)で買ったグスタフ・マーラーのLPレコード「交響曲第10番全曲(D・クック版)」(レヴァイン指揮)4枚組を聴きながら、ブログを更新中です。
この「10番」、実はマーラーが生前残した未完の交響曲です。5楽章のうち完成したのば第1楽章のアダージョだけ。あとは断片的なスケッチが残されただけでした。そんなわけで、世には、第1楽章のアダージョだけの「10番」と、D・クック版の「10番」のふたつが出ています。D・クック版とは、マーラー研究家であるデリック・クックが全曲を復元したものです。私には専門的なことはわかりませんが、マーラーの世界を十分に感じ取ることはできます。
それにしても、音譜という記号から、ひとつ世界を創造する仕事、素晴らしいことです。記号が意味に変わる瞬間、これこそ人間の知恵そのものです。モノが意味にかわる瞬間、これが現在の時代状況を反映しているのであれば、逆に「意味」を問い直す瞬間が必要なのかもしれません。それがいま、原点回帰という言葉で私たちに迫っているのかもしれません。そんな小難しいことを考えながら、マーラーの世界にどっぷりとつかっている休日の朝です。
私が、この地に引っ越してきたのは、1984年の春、長女が小学校に上がるその直前のことでした。昭和40年代の高度経済成長期に街開きをした古い街ですが、引っ越した当時は、ちょうど世代後退期に入る時期で、その後、私たちの世代が1.5世代になります。今はそろそろ、次の世代交代、つまり2.0世代に移ろうかという時期でしょうか。引っ越した当時、お隣りは1.0世代のご主人で、数年後にはリタイアされ悠々自適の生活を送っていらっしゃいました。いつも笑顔を絶やさない温厚な方で、我が家もずいぶん親しくお付き合いをさせていただきました。昨秋、奥様が体調を崩され入院されていましたので、心労余りあるものがあったのだろうと察しています。寂しいお別れとなりました。
ところで、先日、朝日新聞のコラム経済気象台の「経営の原点回帰」という見出しに目がとまりました。「世界不況が深刻な広がりを見せる中で、その立て直しにおける「原点回帰」の重要さを多くの人が感じ始めている」「企業の経営は利益をあげて株主に奉仕するのが本質とされてきたが、経営の基本は顧客への奉仕であり、その目的に向かう社員の努力や協力の方がよほど本質に近い」「会社に対する評価も結果主義で、経営者の志や会社の風土など、目には見えないが大切な要素が捨象されている」。そして、「経営者や働き手の「質」の評価をもっと重視すること」の大切さを説いています。なるほどと思います。
改めて広辞苑第6版で確認すると、「原点」とは「根源の地点。基準になる点」。「回帰」とは「一周してもとへ帰ること。めぐりかえること。くりかえすこと」とあります。考えてみれば、インターネットの進化で、モノとカネと情報の流通は凄まじい勢いです。その波に呑みこまれるかのように、人の「こころ」まで、根なし草のように漂い始めています。毎日、テレビ・新聞・雑誌、そしてインターネットから吐き出される雑多な情報に過剰反応し右往左往する一方で、浮気するのも早い。ちょっと待てよ、と思う。少し冷静にならなくてはと、もう一人の私が自分を戒める。そうだよね、と思う私がいる。このブログ更新の時間は、まさに、そんな時間を私に与えてくれます。
週末から家内が、孫の顔が見たいと、甲府の長男宅にでかけています。そんなわけで、この週末は、一人で独身生活を謳歌しております。昨夜は、夜遅くまでヘレン・メリルとビル・エヴァンスのCDを聴きながら、音楽雑誌を眺めて過ごしました。もちろんウイスキー片手に。そして今朝は、愛犬ゴンタのお散歩を済ませると、以前、名曲堂のバーゲン(レコード半額セール)で買ったグスタフ・マーラーのLPレコード「交響曲第10番全曲(D・クック版)」(レヴァイン指揮)4枚組を聴きながら、ブログを更新中です。
この「10番」、実はマーラーが生前残した未完の交響曲です。5楽章のうち完成したのば第1楽章のアダージョだけ。あとは断片的なスケッチが残されただけでした。そんなわけで、世には、第1楽章のアダージョだけの「10番」と、D・クック版の「10番」のふたつが出ています。D・クック版とは、マーラー研究家であるデリック・クックが全曲を復元したものです。私には専門的なことはわかりませんが、マーラーの世界を十分に感じ取ることはできます。
それにしても、音譜という記号から、ひとつ世界を創造する仕事、素晴らしいことです。記号が意味に変わる瞬間、これこそ人間の知恵そのものです。モノが意味にかわる瞬間、これが現在の時代状況を反映しているのであれば、逆に「意味」を問い直す瞬間が必要なのかもしれません。それがいま、原点回帰という言葉で私たちに迫っているのかもしれません。そんな小難しいことを考えながら、マーラーの世界にどっぷりとつかっている休日の朝です。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます