心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

ゴールドベルク変奏曲

2008-10-05 10:09:12 | Weblog
 きのうの朝、ヒヨドリの囀りで目を覚ましました。私の部屋は2階にあって、ベッドの近くの窓が、ちょうど庭の木の梢が目の高さにあるので、囀りが小鳥のおしゃべりに聞こえて、それが何とも愛らしく、そのうちメジロやシジュウカラも仲間入りすると、いっそう賑わいが増します。でも、けさは残念ながら、雨が静かに降っています。少し肌寒さを感じます。
 そんな静かな秋の朝は、マルタ・アルゲリッチのピアノを聴きながらのブログ更新です。LPレコードですから、演奏はいずれも1960年代から70年代にかけてのものばかり。ジャケットに登場する若かりしときのアルゲリッチの、ピアノに向かう真摯な姿がわたしは気に入っています。
 ところで、先週少し触れたバッハのゴールドベルク変奏曲ですが、一節には、不眠症に悩まされたヘルマン・カール・フォン・カイザーリンク伯爵が、眠りを誘うBGMをバッハに作曲を依頼したのが由来だとか。それを屋敷お抱えのチェンバロ奏者ヨハン・ゴットリーブ・ゴルトベルク(1727-1756)に夜ごと演奏させたのだとか。このときの作曲代は「ルイ金貨が100枚つまった金杯」だったと、物の本には書かれています。どこまで真実なのか定かではありませんが、歴史小説のひとコマのようです。
 私は不眠症ではないけれど、この曲は、思考回路がこんがらがってしまった時や、心身ともに熱っぽくなって頭のてっぺんから煙が上りだした時(笑)、あるいは物事を考える気力を失いかけた時、そんなときによく聴きます。なにも考えず、ただひたすらに曲を追います。すると、ある種「座禅」で得る精神の開放感のようなものを感じるから不思議です。ゴールドベルク変奏曲は、主題のアリアに始まり、30の変奏を経て、冒頭のアリアに回帰して終わる構成です。それが、人の人生、生きとし生けるものの姿に思えてくる。ついつい見失いがちになる「わたし」自身を振り返らせてくれるのでしょう。
 この曲を、わたしはグレン・グールドのピアノ演奏で、それも1955年録音と1981年録音のふたつを聴き分けます。なかでも死の直前にあたる1981年録音は、彼の音楽哲学の完成品でもあり、その演奏風景を記録したDVD映像も時々見入ってしまいます。このほか、カール・リヒターやジャズピアニストのキース・ジャレットのチェンバロ演奏も楽しみます。それぞれの演奏者の「心」を訪ねます。

(注)写真は庭にやってくるシジュウカラ(四十雀)です。今朝、ブログ更新を終えたあと、雨の庭を眺めていたら、シジュウカラの家族が元気に飛び回っていました。速い動きに少しブレ気味です。
コメント    この記事についてブログを書く
« フィンランド 豊かさのメソッド | トップ | 孫の運動会 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿