心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

「春」に想う

2008-04-13 10:02:06 | Weblog
 1週間が経つのは本当に早いものです。どんどん時が過ぎていくことに戸惑いを感じながら、しかし春の陽に包まれた休日の充実感に、ほっとひと息つくような、そんな日曜日を迎えました。きのうは、土曜日だというのに東京に出張でした。朝早く大阪駅のプラットホームで新大阪駅行きの電車をまっていると、湖西線敦賀行きの快速電車が到着しました。あちらこちらに、ハイキング姿の方々の姿が眼に付き、そのとき初めて土曜休日であることを実感したのでした。そういえば、最近、湖北の山小屋にでかけていません。
 新幹線に乗って、ぼんやりと外の風景を眺めていて、ふと浮かんだ言葉、それは「山は動く」という、かつて政治家の方がおっしゃっていた言葉でした。時代が大きく動く、という意味でお使いになったのでしょうが、私は、自然の営みとして、まさに「山が動く」風景を思います。寒い寒い冬の間、じっと寒さに耐えてきた樹木が春の陽の下で精気を取り戻します。あの固い樹皮の下から湧き出る生命の力。春の山の色彩は、日に日に変わっていきます。まさに、山は動いている。生きているのです。そんな風景を眺めると、日々の辛さなんて小さなものです。
 そんな春のウキウキ感は、東京のど真ん中にもありました。中央線市ヶ谷駅で電車をまっていると、市ヶ谷橋近くの外濠に、魚釣り場があって、おおぜいの方々が春の陽の下で魚釣りを楽しんでいらっしゃる。釣り師というよりも、背広を着たサラリーマン、若いアベックの方々など、気楽に釣りを楽しんでいる風景は、周辺の緑と葉桜の風景と相まって、ほっとしたものでした。アップした写真は、そのひとコマです。
 珍しくきょうは、ストラヴィンスキーのバレー音楽「春の祭典」のLPレコードを引っ張り出して聴いています。指揮はズービン・メータ、演奏はニューヨーク・フィルハーモニック。私が社会人になって4年目の1977年の録音です。原始的で強烈なリズムと大胆な不協和音が、当時の市民には耐え難かったのでしょうか。初演はさんざんだったとジャケットの説明にはあります。第一部が「大地礼賛」、第二部が「いけにえ」。古代ロシアを舞台にした春の躍動感と、異教徒の踊り、選ばれた乙女が踊り疲れて死にいたる。硬直した彼女(いけにえ)を高々と掲げ太陽の花嫁になったことを喜ぶ。という、なんとも不思議な、そして怖いシナリオですが、何千年、何万年にも及ぶ人類の歩みのなかで、「春」をどう受け止め、「春」にどう対峙してきたのか。感慨深いものがあります。 
 ところで、月周回衛星「かぐや(SELENE)」が先日、月面から眺めた「満地球」の写真を送ってきてくれました。それは素晴らしい風景でした。でも、月面では、春の風の音は聞こえない?恋人同志の囁きも、小鳥の囀りも聞こえない?無機質で、し~んとした静寂のみ?生命に満ち溢れた地球の姿に、改めて幸せを思うのは私一人でしょうか。この「かぐや」、以前にもご紹介しましたが、打ち上げにあたって広くメッセージが公募され、そのすべてがプレートに刻み込まれ、一緒に月を周回しています。私のメッセージ「地球に生きる人々の歩むべき道に灯火を」とともに......。
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