きのう出張で訪れた富山を後に、きょうの日曜日は午前8時56分発、越後湯沢行特急「はくたか5号」に乗って新潟県は糸魚川に向かいました。魚津を過ぎて、親不知海岸を通って糸魚川に着いたのは9時42分でした。微かに柔らかな雨霧が舞っていましたが、まっすぐに向かったのは、糸魚川市歴史民俗資料館でした。
実は、この資料館、別名相馬御風記念館とも言われ、「明治から昭和にかけて叙情歌人、詩人、書家、作詞家、自然主義評論家、さらに良寛研究の第一人者として活躍した」相馬御風の関係資料を収集・展示している所です。早稲田大学の学歌「都の西北」をはじめ200校を超える校歌を作詞した人、もっと言えば、童謡「春よ来い」歌謡「カチューシャの唄」などを作詞した人といった方が判りやすいかもしれません。予てからこの記念館を訪ねてみたいと思っていました。
休日の早い時間帯だったためか、一人静かに様々な資料をじっくりと拝見することができました。往時の人となりを思い浮かべることができました。相馬御風は、早稲田の文学部を卒業後、早稲田文学の編集に参画するなど文芸評論でも活躍し、後年糸魚川に帰って以後は、良寛研究に意を注ぎました。展示資料をみて、改めて交友関係が広いのに驚きました。当時の多くの文人との書簡が多数展示されてありましたが、竹下夢二との書簡もあって、「カチューシャの唄」の楽譜の表紙デザインは夢二の作品でした。新しい発見でした。
ずいぶん気を良くして、今度は駅の反対方向、日本海の方に向かって歩いて、そう15分ほどのところにある相馬御風の生家にも立ち寄りました。そこから数分も歩けば、どんよりとした重たい雲が海面を覆う日本海です。その日本海を望む海望公園の一画には、相馬御風の歌碑がありました。「かりそめの遠出なれども夕されば 旅のこころとなりにけるかも」。なんだか嬉しくなって、ぱちりと写真を撮影しましたが、歌碑説明板には撮影者の影がくっきりと映ってしまいました。そのあと、横町筋の老舗蕎麦屋「泉家本店」で美味しい穴子蕎麦をいただいて帰途につきました。
帰りは、糸魚川駅午後12時56分発の普通列車で富山まで、ゆっくり1時間をかけて越後路を楽しみました。車中では、糸魚川の美味しいお酒をいただきながら、資料館で買った「相馬御風作詞楽譜集」相馬御風著「良寛さま」を眺めて過ごしました。富山からは特急サンダーバード32号に乗り換えて京都まで。我が家に到着したのは夕刻6時を過ぎていました。こんな次第で、きょうの1日は、何かしら遠くに置き忘れていたものに出会ったような、そんな温かい心と満足感が全身に充満しています。
実は、この資料館、別名相馬御風記念館とも言われ、「明治から昭和にかけて叙情歌人、詩人、書家、作詞家、自然主義評論家、さらに良寛研究の第一人者として活躍した」相馬御風の関係資料を収集・展示している所です。早稲田大学の学歌「都の西北」をはじめ200校を超える校歌を作詞した人、もっと言えば、童謡「春よ来い」歌謡「カチューシャの唄」などを作詞した人といった方が判りやすいかもしれません。予てからこの記念館を訪ねてみたいと思っていました。
休日の早い時間帯だったためか、一人静かに様々な資料をじっくりと拝見することができました。往時の人となりを思い浮かべることができました。相馬御風は、早稲田の文学部を卒業後、早稲田文学の編集に参画するなど文芸評論でも活躍し、後年糸魚川に帰って以後は、良寛研究に意を注ぎました。展示資料をみて、改めて交友関係が広いのに驚きました。当時の多くの文人との書簡が多数展示されてありましたが、竹下夢二との書簡もあって、「カチューシャの唄」の楽譜の表紙デザインは夢二の作品でした。新しい発見でした。
ずいぶん気を良くして、今度は駅の反対方向、日本海の方に向かって歩いて、そう15分ほどのところにある相馬御風の生家にも立ち寄りました。そこから数分も歩けば、どんよりとした重たい雲が海面を覆う日本海です。その日本海を望む海望公園の一画には、相馬御風の歌碑がありました。「かりそめの遠出なれども夕されば 旅のこころとなりにけるかも」。なんだか嬉しくなって、ぱちりと写真を撮影しましたが、歌碑説明板には撮影者の影がくっきりと映ってしまいました。そのあと、横町筋の老舗蕎麦屋「泉家本店」で美味しい穴子蕎麦をいただいて帰途につきました。
帰りは、糸魚川駅午後12時56分発の普通列車で富山まで、ゆっくり1時間をかけて越後路を楽しみました。車中では、糸魚川の美味しいお酒をいただきながら、資料館で買った「相馬御風作詞楽譜集」相馬御風著「良寛さま」を眺めて過ごしました。富山からは特急サンダーバード32号に乗り換えて京都まで。我が家に到着したのは夕刻6時を過ぎていました。こんな次第で、きょうの1日は、何かしら遠くに置き忘れていたものに出会ったような、そんな温かい心と満足感が全身に充満しています。