第六十一候大雪初候「閉塞成冬(そらさむくふゆとなる=空が閉ざされ真冬が訪れる)」、第六十一候大雪次候「熊蟄穴(くまあなにこもる=熊が穴に入って冬ごもりする)」。.......小さい頃、田舎で暮らしていた頃の風景が浮かんできます。でも、残念ながら、この都会地では実感がわきません。
先日、久しぶりにのんびりと朝のお散歩を楽しみました。このところ景気が良いのでしょうか。私の街では世代交代に併せて家の建て替え工事が散見されます。昭和の家が壊され真新しいデザインの家が新築される。これも時代の流れなんでしょう。街に子供たちの歓声が響きます。新しい世代による新しい街の誕生を予感します。 街といえば、今週の日曜日に町内会恒例のお餅つき大会がありました。高度成長期に造成された街ですから、伝統的な地域のお祭がないぶん、こうしたお祭りは地域共生という意味での絆づくりに大切な行事です。町内会のみんなで盛り上げます。今年もたくさんの人出で賑わいました。
娘も孫たちを連れてやってきました。「おぞうに」「やきもち」「ぜんざい」「きなこもち」の各コーナーには長蛇の列です。みんなお行儀よく並んで順番を待ちます。お餅をたくさんいただいた孫君たちの次のお目当てはお楽しみ抽選会です。抽選券を片手に発表を待ちますが、残念ながら今年も参加賞でした。それでも、お菓子をたくさんいただいて嬉しそうに帰ってきました。
そんな孫次男君、私が水彩画の仕上げをしていると「僕も描きたい」と。そこで、画用紙と筆とパレットを渡すと、すこ~し考えたあと、さらさらと描き始めました。なんとも奇妙な絵ですが、筆のタッチといい色づかいといい、なかなかの出来栄えです。これはなにかと尋ねると「じしゃくむし」と言います。それが何なのかよく分かりませんが、孫君とお爺さんの水彩画展ができあがりました。
話は変わりますが、先週末、近隣にお住まいの、かつて同じ職場でお世話になった研究職の方々、今では80歳も半ばの方々とのランチ会がありました。少し筋は違うのですが、どういうわけかその仲間入りをしてしまいました。要はお世話係といったところでしょうか。
みなさん年金生活者ですから会の名前は「二千円の会」と言います。二千円の範囲内で軽い食事とビールを楽しむ。もちろん会話を楽しむのが第一の目的です。現役の頃は相当な個性をお持ちの方々で、時には激論を交わしたこともある方々ですが、今では穏やかな笑みを浮かべてお話しになります。人間って、齢を重ねるに従って優しくなっていくものなんですね。つくづくそう思いました。 老いる........。以前、シニアカレッジの授業の一環で「私の軌跡と夢シート」を作成したことがありました。A4の紙に、タテに「60年前」「40年前」「20年前」「現在」そして「10年後」、ヨコに「年齢」「家族構成」「仕事」「私の軌跡と夢」「日本の様子」「世界の様子」と区切った一覧表が印刷されています。そこに、私自身の過去と現在そして未来を書き込んでいくのですが、自分の歩みを鳥瞰するという意味で興味深いものでした。
大学の名誉教授であるその先生は、「自分の軌跡を振り返り、終活に活用してください。日本の様子、世界の様子はネットの検索機能で調べてください」と。出された宿題がおもしろい。インターネットで歌手・竹内まりやさんの「いのちの歌」「人生の扉」「みんなひとりで」を検索して、歌詞を読み、曲を聴くこと。
さっそく、音楽配信サイトmoraさんからダウンロードして聴いてみました。何度か繰り返して聴いているうちに、曲と歌詞が融合してその世界にのめり込んでいく自分に気づきます。「生きてゆくことの意味 問いかけるそのたびに」「ひとつひとつ人生の扉を開けては感じるその重さ」「生まれる時ひとり 最期もまたひとり」。いつのまにかしっとりと心にまとわりついています.....。 竹内まりやさんといえば出雲大社の参道沿いにあるお家でお生まれになった方です。昨年の秋、出雲大社に詣でたとき、義理の兄が車を運転しながら、あれが竹内まりやの家だよと教えてくれました。その曲を聴いたのは今回が初めてでした。そしてその義兄は今年5月に他界しました。
師走を迎えて、訃報のお知らせが毎日のように届きます。私自身がそういう年代になってきたということなんでしょうが、改めて人の生き仕方を思う年末でもあります。