ブラスカル

元マラソンランナーですが、今や加齢と故障でお散歩専門、ブラタモリっぽく街歩きをしています。

今読むと恥ずかしい本② 「キャッチャー・イン・ザ・ライ」

2011-01-15 13:23:52 | 読書
昔読んだサリンジャーの「ライ麦畑で捕まえて」、村上春樹の新訳がでているということで、読んでみました。

僕らの頃は青春の通過儀礼的な小説で、私も高校の頃に読んだはずなのですが、実は、ストーリーも、読んだ感想も、全く記憶にありませんでした。
当時は、庄司薫の「赤頭巾ちゃん気をつけて」が、この小説に似ている、パクリじゃないかとも言われてました。でも、改めて読んでみて、似ているのは、口語文体の私小説であることとと、語り手である私の2日間ほどの短い期間の出来事が書かれているということくらい、全然別物だなと思いました。

純粋な若者が、大人や社会の偽善、価値観とか、時代や世の中の荒波とか、そういったものに翻弄されながらも、男の子は強くやさしくあるべしみたいな、前向きな決意をするのが庄司薫の「赤頭巾ちゃん」。主人公の薫くんは裕福な家庭の優柔不断な優等生で、彼の生き様には共感できます。

一方のホールデンは、学校を何度も退学になるような劣等生で、ひどい嘘つきで、神経質で、自分のことを棚にあげて他人を非難する、全く共感できない最低の奴と思いながら読んでいました。
でも、途中から、ああ、彼は精神的に病んでいるんだと気がつきました。作者も、明確にはしていませんが、彼はそういう病気であるということを匂わせるような書き方をしている。
高校の頃はそれに気がつかなかったということか。当時はうつ病に関する知識なんて全然なかったから。それとも訳者の差なのかな。

ホールデンが、学校を追い出され、家にも帰れず、ニューヨークの町をさまようが、誰とも上手くやれず、受け容れてもらえない。
薫くんみたいに社会の偽善や不条理に立ち向かおうとするのではなく、外の世界から阻害され、あるいは都合が悪くなると逃避し、行き場所を失う。
そして最後には完全に殻に閉じこもろうとするも、唯一心を開ける存在である妹のフィービーによってかろうじて踏みとどまる。この妹も自らの投影と考えれば、ひたすらに病んだ青年の内面の葛藤を描いた作品、ということになるのでしょうか。
こういうのを、昔は、純粋で傷つきやすい若者で、悪いのは彼のことをわかってやれない大人、なんて思ってたのでしょうか。

そう言えば作者のサリンジャーも、何十年も作品を世に出さぬまま、1年位前にひっそりと亡くなりましたよね。。
作者自身が、ホールデン・コールフィールドになってしまったのでしょうか。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 今見ると恥ずかしい映画 「小... | トップ | 今、あえて、モー娘。にエール! »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

読書」カテゴリの最新記事