JR大久保駅近くの居酒屋でのお話です。
どんな居酒屋かというと、いかにも大久保っぽい、ホッピーが260円で、一品のほとんどが300円~400円で、夕方明るいうちからヒマそうなおっさんがたむろしているような、そんな居酒屋です。
カウンターで2人で飲んでいたのですが、私の左隣のおっさん(会社員風)から香港という単語が頻繁に聞こえてきたので、ちょっと話しかけてみました。
聞けば97年から5年間、香港に住んでいたそうで、「私も、返還をはさんで95年から99年まで4年間、住んでいたんですよ。」という話になって、「返還のときは、1週間ずっと雨だったよな。あれはな、香港人の涙雨だよ。」とか、おいおい、こんな多国籍地帯で、店のバイトも全員中国人なのに、そんなタッチーな話題、でっかい声で言わないでよ、なんて思いながらもプチ盛り上がりました。
そしたら左隣のじじい(夕方から飲んだくれている隠居じじい風)が話しかけてきて、「俺は、こう見えても、早○田大学と東○のバレー部のOBで、東京オリンピックのときは猫田とポジションを争ったんだ。」とか。
「えっ、えっ、私もずっとバレー部だったんですよ。」と言う話で、今度はこっちと盛り上がり。
最初は「ホンマかいな。」と思ったけど、○稲田や○レのバレー部の話をしても、話のつじつまがいちいち完璧にあっているので、ああ、これは本物のバレーじじいだなと。
奥さんからもう帰ってきなさいコールがあったのですが、「やばい。電話に出ろ。」とか言われて、「ご主人はもうじき帰りますから。」とか、私が言い訳をして。
「もう一杯だけ飲もう。俺がおごる。。。あっ、伝票〆ちゃった。」「はい、はい。」ということで、私がホッピー(260円)をおごりました。
じじいと昔なつかしい話をしていて、突然、大昔のグレープ(さだまさしと吉田ナントカ?君のフォーク・デュオ)の「フレディもしくは三教街-ロシア租界にて」という歌を思い出しました。
♪フレディ あの頃 私が好きだった
三教街の ケーキ屋を覚えてる?
ヘイゼルウッドのおじいさんの
なんて 深くて 蒼い目
いつでも パイプを くゆらせて
アームチェアで 新聞を ひろげてた
フレディ あなたも 年老いたら きっと
あんな素敵な おじいさんに
なると おもってたの
ほんとに おもってたの
フレディ あなたと であったのは 漢口(ハンカオ)♪
もちろん大久保で出会ったのは「深くて蒼い目のフレディ」ではなく、単なる酔っぱらいじじいです。
でも、自分もこんなじじいになるのかなと、ふと思ってしまいました。
最後は、ケータイ番号を交換して分かれたのですが、名前は「フレディ大久保」と登録しておきました。
でも、もう、多分、一生会うことはないだろうなーとは思いつつ、、、
どんな居酒屋かというと、いかにも大久保っぽい、ホッピーが260円で、一品のほとんどが300円~400円で、夕方明るいうちからヒマそうなおっさんがたむろしているような、そんな居酒屋です。
カウンターで2人で飲んでいたのですが、私の左隣のおっさん(会社員風)から香港という単語が頻繁に聞こえてきたので、ちょっと話しかけてみました。
聞けば97年から5年間、香港に住んでいたそうで、「私も、返還をはさんで95年から99年まで4年間、住んでいたんですよ。」という話になって、「返還のときは、1週間ずっと雨だったよな。あれはな、香港人の涙雨だよ。」とか、おいおい、こんな多国籍地帯で、店のバイトも全員中国人なのに、そんなタッチーな話題、でっかい声で言わないでよ、なんて思いながらもプチ盛り上がりました。
そしたら左隣のじじい(夕方から飲んだくれている隠居じじい風)が話しかけてきて、「俺は、こう見えても、早○田大学と東○のバレー部のOBで、東京オリンピックのときは猫田とポジションを争ったんだ。」とか。
「えっ、えっ、私もずっとバレー部だったんですよ。」と言う話で、今度はこっちと盛り上がり。
最初は「ホンマかいな。」と思ったけど、○稲田や○レのバレー部の話をしても、話のつじつまがいちいち完璧にあっているので、ああ、これは本物のバレーじじいだなと。
奥さんからもう帰ってきなさいコールがあったのですが、「やばい。電話に出ろ。」とか言われて、「ご主人はもうじき帰りますから。」とか、私が言い訳をして。
「もう一杯だけ飲もう。俺がおごる。。。あっ、伝票〆ちゃった。」「はい、はい。」ということで、私がホッピー(260円)をおごりました。
じじいと昔なつかしい話をしていて、突然、大昔のグレープ(さだまさしと吉田ナントカ?君のフォーク・デュオ)の「フレディもしくは三教街-ロシア租界にて」という歌を思い出しました。
♪フレディ あの頃 私が好きだった
三教街の ケーキ屋を覚えてる?
ヘイゼルウッドのおじいさんの
なんて 深くて 蒼い目
いつでも パイプを くゆらせて
アームチェアで 新聞を ひろげてた
フレディ あなたも 年老いたら きっと
あんな素敵な おじいさんに
なると おもってたの
ほんとに おもってたの
フレディ あなたと であったのは 漢口(ハンカオ)♪
もちろん大久保で出会ったのは「深くて蒼い目のフレディ」ではなく、単なる酔っぱらいじじいです。
でも、自分もこんなじじいになるのかなと、ふと思ってしまいました。
最後は、ケータイ番号を交換して分かれたのですが、名前は「フレディ大久保」と登録しておきました。
でも、もう、多分、一生会うことはないだろうなーとは思いつつ、、、
商店街の中にあった一軒家で小学校入学までをすごしました。伊勢丹マンだった父は歩いて出勤。
銭湯に市場、神社、大久保駅に新大久保駅、戸山公園が遊び場でした。
最近、よく飲みに行くようになりました。
私は中央線で通学してましたが、大久保界隈はいつも通過するだけで、ラブホ(というか、連れ込み宿)のネオンきらきらの、怪しい町だなーって思ってました。
5年前に新宿区民になってから、よく飲みに行くようになりました。
銭湯は未だに健在、レースに出た後、電車で移動して銭湯、焼肉なんてコースもやってます。
ちなみにこの話は、今週の水曜日、大久保駅南口から歩いて30秒の居酒屋「蔵」での話です。