黒岩重吾さんの歴史小説を古い順に読んでいる、歴史ヲタクの私です。
前回は7世紀初頭までの3冊7巻について書きましたが、今回はその後の時代、聖徳太子がその全盛期を過ぎた611年から、645年の乙巳の変まで。
「斑鳩王の慟哭」(聖徳太子、山背大兄皇子)、「落日の王子」(蘇我入鹿)、「中大兄皇子伝(上)」(中大兄皇子)の3冊。「斑鳩王」と「落日の王子」は再読です。
蘇我馬子、推古女帝の兄妹と、その甥であり義理の息子でもある聖徳太子、この三者の政治的鼎立による消極的な政治的安定。
馬子と推古女帝が当時としては驚異的な長寿を得る中、二人より20歳も若い聖徳太子が世を去り、そのパワーバランスが崩れ始めます。
蘇我馬子の孫でもある聖徳太子の長子、山背大兄皇子には父ほどの能力もないが、次期大王になるのは自分と主張。
やがて馬子も病で世を去り、つなぎの大王だったはずの推古が老いの執念で蘇我蝦夷と結び権力をふるう。
好悪から山背大兄を排斥した推古と蝦夷、皮肉にも、権謀術策の政治は舒明という蘇我系ではない傀儡の大王を生む。
大唐の隆盛、半島の混乱、国際情勢の緊迫に、時代は倭国にも中央集権化を求める。
再び倭国の覇者を目指し、蘇我入鹿は自分を批判する山背大兄の宮王家を攻め滅ぼす。
しかし入鹿は、唐の政治形態など知識という武器を手に入れた下級官人という、新たな敵に気が付かない。
やがて中大兄皇子という担ぐべき若きカリスマを得た新興勢力が、千載一遇のチャンスをものにしてクーデターを成し遂げる。
なにやら幕末のような感じもする政治と時代の流れ。
「大切なことは、時代の流れを読んで、それに逆らわないこと」、聖徳太子の言葉が重く響きます。
強いものも、老いて、奢れば、時代が読めなくなり、滅亡する、そういうことなんでしょうか。
やはりこの時代の歴史の中心は馬子、蝦夷、入鹿の蘇我総本家三代、でも、ちょっと意外だったのは、推古、皇極の両女帝の描かれ方。
男王よりも長寿で、老いては我を通し、傀儡にならない。そして民のことなど何も考えない。
推古女帝が、年齢通りに聖徳太子よりも早く亡くなっていたら、歴史はどうなってたのかななんて思ってしまいます。
前回は7世紀初頭までの3冊7巻について書きましたが、今回はその後の時代、聖徳太子がその全盛期を過ぎた611年から、645年の乙巳の変まで。
「斑鳩王の慟哭」(聖徳太子、山背大兄皇子)、「落日の王子」(蘇我入鹿)、「中大兄皇子伝(上)」(中大兄皇子)の3冊。「斑鳩王」と「落日の王子」は再読です。
蘇我馬子、推古女帝の兄妹と、その甥であり義理の息子でもある聖徳太子、この三者の政治的鼎立による消極的な政治的安定。
馬子と推古女帝が当時としては驚異的な長寿を得る中、二人より20歳も若い聖徳太子が世を去り、そのパワーバランスが崩れ始めます。
蘇我馬子の孫でもある聖徳太子の長子、山背大兄皇子には父ほどの能力もないが、次期大王になるのは自分と主張。
やがて馬子も病で世を去り、つなぎの大王だったはずの推古が老いの執念で蘇我蝦夷と結び権力をふるう。
好悪から山背大兄を排斥した推古と蝦夷、皮肉にも、権謀術策の政治は舒明という蘇我系ではない傀儡の大王を生む。
大唐の隆盛、半島の混乱、国際情勢の緊迫に、時代は倭国にも中央集権化を求める。
再び倭国の覇者を目指し、蘇我入鹿は自分を批判する山背大兄の宮王家を攻め滅ぼす。
しかし入鹿は、唐の政治形態など知識という武器を手に入れた下級官人という、新たな敵に気が付かない。
やがて中大兄皇子という担ぐべき若きカリスマを得た新興勢力が、千載一遇のチャンスをものにしてクーデターを成し遂げる。
なにやら幕末のような感じもする政治と時代の流れ。
「大切なことは、時代の流れを読んで、それに逆らわないこと」、聖徳太子の言葉が重く響きます。
強いものも、老いて、奢れば、時代が読めなくなり、滅亡する、そういうことなんでしょうか。
やはりこの時代の歴史の中心は馬子、蝦夷、入鹿の蘇我総本家三代、でも、ちょっと意外だったのは、推古、皇極の両女帝の描かれ方。
男王よりも長寿で、老いては我を通し、傀儡にならない。そして民のことなど何も考えない。
推古女帝が、年齢通りに聖徳太子よりも早く亡くなっていたら、歴史はどうなってたのかななんて思ってしまいます。
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