ブラスカル

元マラソンランナーですが、今や加齢と故障でお散歩専門、ブラタモリっぽく街歩きをしています。

高橋尚子、引退!

2008-10-30 00:58:46 | スポーツ
自分が走り始めたのは2000年1月、シドニーオリンピックの年でした。
その頃、マラソン界のヒロインとして圧倒的な存在感があったのが彼女でした。

元々スポーツは好きなので、マラソンも良くTVでは見てました。
高橋尚子にちても、「8年の酷暑のバンコクで開催されたアジア大会で、2時間21分台という脅威的なアジア最高記録で独走優勝、99年の世界陸上で大本命と目されながらも、ひざの故障で出場断念。」それくらいの予備知識は、ありました。

市民ランナーの視点でマラソンを見るようになって、00年の名古屋国際女子、そしてシドニーオリンピック、ど初心者だった自分でも、彼女の圧倒的な強さはすぐに理解できました。

でも、私が一番印象に残っている彼女のレースは、05年の東京国際女子。
選手として峠を越し、アテネオリンピック出場を逃し、小出監督から独立した彼女、このときも足の故障で出場も危ぶまれていました。
結果は、2年前に破れ、アテネを逃した因縁のエチオピアのアレムをぶっちぎっての見事な優勝。
私はその四谷の坂で応援していたのですが、本当に見るものに感動を与える見事な走りでした。
ゴール後の彼女のコメントも、正確には覚えていませんが、「自分の走りを見た皆さんに力を与えることが出来たならば。皆さん夢を忘れずに頑張ってください。」というような内容で、すごく心に感じたことを記憶しています。

かけっこが好きで、ずっと走っていたいと言っていた彼女。
その彼女の口から「引退」という言葉を聞いて、ちょっと意外な気がしました。
でも、彼女はプロのランナーですから、自分なりの美学とか、スポンサーの事とか、いろんなことがあったのでしょう。
外野がとやかく言うことではありません。

彼女は、単に「強いランナー」ではなかった。
度重なる故障にもくじけず、いつも笑顔で、走ることは楽しいことって教えてくれた彼女。
願わくは、エリートランナーという呪縛から解き放たれて、我々と同じ単なるランナーというスタンスで、「走ることは楽しい♪」って、表現し続けて欲しい、そう思います。
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