ブラスカル

元マラソンランナーですが、今や加齢と故障でお散歩専門、ブラタモリっぽく街歩きをしています。

金玉均の墓

2007-01-09 02:46:54 | 歴史
三連休の最終日は、祖父の三回忌法要。
昨年の一周忌の時はお墓から帰宅ランをしたが、昨日42kmも走ったことだし、今年は祖父の供養に徹することにした。

息子が気が付いたのだが、我が家の墓のすぐそばに歴史上の人物の墓があった。
『金玉均』、明治時代初期の朝鮮の人である。
私が物心がついた頃には、それはもう既にそこにあったのだが、今までさっぱり気がつかなかった。さすが受験生。

金玉均は、日本の明治維新を模範とした清朝からの独立、朝鮮の近代化を目指した人。
1884年12月、清がベトナムを巡ってフランスと清仏戦争を開始したのを好機とみて、日本公使の協力も得て閔氏政権打倒のクーデター、「甲申事変」を起こすも清朝の介入で失敗、政権はわずか3日間で終わった。
その後日本に亡命、東京や札幌、小笠原諸島などを転々とした後、上海に渡る。1894年3月28日上海で閔妃の刺客、洪鐘宇に暗殺された。遺体は清国軍艦咸靖号で本国朝鮮に運ばれ凌遅刑に処された。その遺体はバラバラにされ、胴体は川に捨てられ、首は京畿道竹山、片手及片足は慶尚道、他の手足は咸鏡道で曝された。遺髪と衣服の一部は金玉均を敬愛していた日本人和田延次郎が密かに日本に持ち帰り、葬儀を浅草寺で営んだ。さらに、犬養毅らの支援で東京の青山霊園の外人墓地に墓が建てられた。

凌遅刑というのは、時間をかけて徐々に処刑する、中国の究極の死刑。
屍にそのような刑を課すのだから、王朝側の人から見れば、許しがたい裏切り者、売国奴ということなのだろう。
といって、閔氏政権のままでは、朝鮮は列強の植民地とされてしまうことは明らか(結局歴史では日本に併合されることになった)、大局的に見れば間違いなく「憂国の志士」である。
また、国籍を超えて尊敬される人物でもあったのだろう。

さて、青山墓地にあるはずの墓が、なぜこんな無名のお寺に?
きっとなにか秘密や歴史上の因縁があるのだろう。
先代のご住職が亡くなられてしまっているので、お寺さんに聞いてみても分からないだろうな。
ちょっとワクワク、機会があれば真相を探ってみたい。

これからは、お墓参りの際には、このお墓にも手を合わせることにします。
コメント (4)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 東京マラソン試走記(アフタ... | トップ | 涼宮ハルヒの憂鬱 »
最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ぎゃ! (あくび)
2007-01-11 09:55:28
凌遅刑を調べたら、生きたまま何百何千と裂くように切ったり、削いだり、切り落としたりするんですね。
しかも途中で食事まですることもあるとか!
いやはや、なんとも…大陸の極刑は凄まじい。

金玉均、知りませんでした。こんなあまりメジャーじゃない人まで知ってるなんて、息子さん歴史お好きなんですね。やっぱり蛙の子は蛙?
返信する
だから歴史は面白い (RASCAL)
2007-01-12 00:13:43
あくびさん
身近なところに謎の切れ端がころがっている、だから歴史は面白い。
それにしても、我々のひいおじいさんの頃くらいまで「チャングムの誓い」の世界が現実だったんですねー。

「甲申政変」、高校の教科書にかろうじて載っている程度の事件ですが、憂国の志士とはいえ日本の力を借りて伝統ある王朝を倒そうとしたのですから、コメントの難しい、デリケートな話ではあります。
返信する
Unknown (shimo)
2007-01-13 10:38:32
凌遅刑ていうのも大陸的だと思うなー。チベットの併合や自治とか、何が善で悪で進歩かなどと傍ではわかりにくいですね。お題目は当たり前に、キレイなことですから、、。
返信する
死者を鞭打つ (RASCAL)
2007-01-13 19:26:15
shimoさん
鋸引きなどの刑罰は日本にもあったけど、死体を暴いてばらばらにするというのは大陸ならではですね。
死ぬと仏様になる日本とはえらい違い。
A級戦犯問題の根源も、この辺の文化の違いにあるように思います。
返信する

コメントを投稿

歴史」カテゴリの最新記事