Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

イナリ フィンランド

2022-08-03 03:04:54 | スカンディナビア キャンプ旅行 2007年

 

ノールカップを100Km南下すると、内陸に入ってゆくためか急に暖かくなり、この夜泊まったキャンプサイトは湖が近くて、蚊に悩まされました。

キャンプサイトのキッチンで会ったフランス人の中年女性は、自転車でヘルシンキから来たといい、日焼けした皮膚がしわしわで、体に贅肉も皮下脂肪もないくらいやせていて、この体でノールカップへのトンネルを通ってゆけるだろうかと、気の毒でもあり危ぶまれました。

 

朝9時過ぎ、うす曇の干潟のフィヨルドは灰色の大きな湖のように見えます。ラクスエル(Lakselv)の町で給油して、フィンランドへ向けて出発しました。初めての松林、雑木林に平坦な道、なだらかな丘など写真を撮ろうと思う気持ちになれません。

 

国境の町カラスヨキ(Karasjok)のスーパーで初めて生の鮭やマスを見つけ、マスの大きいのを一匹買いました。そしてこの清潔なスーパーの中にも蚊が飛んでいるので、ゾーとしました。

ノルウエーはEUに加盟していないので通貨もノルウエークロナーですが、フィンランドはEUに入っていて通貨もユーロです。今ではどこの国へ行っても銀行で両替することはなく、街角のキャッシュマシンでその国のお金をおろすことができます。

国境には一応税関の施設はありますが、人は何処にも見えず、止まる車もなく通り過ぎました。

 

後は真っ直ぐな道と白樺林と水溜りばかり、風景が平凡・平坦でがっかりです。出会うのはキャンパーばかり、時々ローカルの自家用車を見かけますが、本当に交通量が少なく、さびしいほどです。

 

 

途中の道でサーメ人のテントやまるで防空壕のような家などを見つけました

 

松の木のコケをかじる赤リス。

雨に濡れたワタスゲ。

 

国境から100Kmほど行ったところでフィンランド初のキャンプ場は、長さ80Kmに及ぶ巨大なイナリ湖の畔の町イナリでした。写真はイナリ湖の観光用小型飛行機です。

 

ここイナリにはラップランドやサーメ人の文化を知ることの出来る複合文化施設シーダ(Siida)が有り、サーメ人の生活様式をビデオで紹介したり、犬ぞりなどいろいろ展示しています。素晴らしい宝飾品があり、写真禁止と知らないで撮ってしまいました。

シーダの裏庭には17エーカーにわたってサーメ人の移動家屋や漁師の生活様式を見せるオープンエアー博物館がありますが、この日の午後は激しい雨になり、仕方なく雨にぬれて帰ってきました。

翌朝キャンプサイトの片隅に例の三輪バイクと小さなキャラバンを発見し、旧知にめぐり合ったように嬉しくなりました。ドイツ人の中年夫婦もここまで道中が同じだったことに驚きそして喜び、彼らは片言の英語でおしゃべりしました。

彼らはここからスエーデンへ向かい、ストックホルムで1週間をクルーズに行くと云っていました。

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ロヴァニエミ

2022-08-02 20:31:37 | スカンディナビア キャンプ旅行 2007年

サンタ クロース村から 8Km南のロウ”ァニエミのキャンプサイトに落ち着いた夜11時ごろ、西の空が真っ赤になりそれが薄れた頃には空が夕闇に閉ざされました。7月15日、この頃には北欧の白夜もこのあたりではもう見ることは出来ません。これからだんだん夜が長くなってくるのです。

翌朝素晴らしい天気で、川渕のキャンプサイトから長い橋を渡って、ロウ”ァニエミの町へ観光に行きました。ロウ”ァニエミの町は1944年ナチス・ドイツによって徹底的に破壊され、戦後フィンランドの設計家によって近代的な町に再建されたのです。

 

 

歩いて一番近くにあったのがロウ”ァニエミ教会です。この教会も第二次世界大戦で破壊され、1950年スエーデンとアメリカの経済援助を受けて再建築されたのです。

真正面のフレスコ画はヨーロッパの古い宗教画を見慣れた目には、素晴らしく新鮮に見えました。そしてこの教会の入り口には各国語で書かれた教会の案内書があり、特に日本語の案内書には星野富弘さんの”命より大切なもの”と言うエッセイと三浦綾子さんの"もっとも確かな希望"と言うエッセイがプリントされていて、とっても嬉しくなりました。

この教会にどれほどの日本人がやってくるのか知りませんが、なんと言う親切、星野さんのエッセイに目頭が熱くなりました。

 

教会の裏には第2次世界大戦で戦死した兵士たちのお墓がきれいに並んでいて、若い男女3人が草刈や、お墓の掃除をしていました。

そして写真の石碑には戦争中疎開先でなくなった子供や老人たちの名前が刻み込まれています。戦後60年も経ち戦死した兵士たちの家族ももう亡くなっている人たちが多いと思うのに、いまだにあちこちのお墓に花束がささげられていて、(赤いベゴニアは植えられています)国のために若い命をささげた兵士たちを決して忘れないフィンランドの人たちを素晴らしいと思いました。

 

このロウ”ァニエミの一番の見所はアルクティクム(Arktikum)と呼ばれるガラス張りの建物です。ここは北極圏に関する博物館で、ラップランドの生活や歴史、ロウ”ァニエミの歴史など、コンピューターや映像、実物大の模型などで体験、学習できます。写真はラップランドのサーメ人の結婚衣裳です。一日2回上映するオーロラの映写を見逃し残念でした。このロウ”ァニエミから日本語ガイドつきのオーロラ観測ツアーが出ています。

オーロラは12月から3月の北極圏内で見られるとのことです。

 

 

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ウィンチェスターのデェーンバリーアイアン・エイジ・ヒル

2022-08-02 00:56:08 | ロンドン周辺

先週土曜日、パトリックがウインチェスターの友達のところへ遊びに行くという。

娘は翌月曜日からポーランドへ友達と遊びに行くのでその準備に忙しく、パトリックは私をさそってくれた。なんと素晴らしい娘婿よ。

その友達、3か月前にコッツウオルドからウィンチェスターの郊外へ引っ越したばかりで英国航空のパイロット。きれいな庭でラム肉のバーベキューを食べて、車で1時間ぐらいのデェーンバリーアイアン・エイジ・ヒル(Danebury Iron Age Hill Fort)へでかけた。

あの灼熱の太陽は午後の曇り空ですっかり影をひそめ、帽子もいらない気温20度そこそこ、

 

緩やかな丘に犬を連れて散歩している人たちが目立つ。立派なのは草原のわきに必ず犬の糞を入れるごみ箱が設置されていること。

丘の上から見渡す平野は実った麦畑か?枯れてしまった牧草か?どこもかしこも雨が降らなくて秋の気配。

 

 

英語ではファイヤーウィードと呼ばれる雑草が、今まで日本にはないと思っていたが、いつも愛読している モーズイカの裏庭 と呼ばれるブログに写真が載っていた。私が初めてこの花を見たのが50年前のスイスで、マッターホルンのふもとの草原だった。過去16年ヨーロッパ各地をキャンパーで旅行しているとこの花が北欧の夏には欠かせない。特に北極圏を超えた北方の道端はこの花で埋め尽くされている。

 

 

 

 

 

丘の散歩道の両側は色とりどりの野の花が咲き乱れている。

 

 

草むらの中のクモの巣もこんなトンネルを作る珍しいクモがあちこちにいた。

 

英語でティーゼル(Teasel)と呼ばれるこの花は、花が終わった後の乾燥したものを昔は毛織物のけば立てに用いた。日本にあるだろうか?

 

木登り大好きの孫のジュード、文句も言わず野原や森の中を2マイル以上も走り回っていた。

 

 

 

 

考えてみればこうして野原を歩き回り野の花をめでて歩いたのは久しぶり、イギリス人は野原や森を歩き回るのが好きだ。それも年寄りばかりでないところが日本と違うかも。

 

 

帰りに立ち寄ったパブ、メイフライ はこの辺りで一番有名なパブで、食事をしようと思えば早くから予約しないとできないそうだ。

 

この日は庭の川渕のベンチで、フルーツサイダーを飲んでご機嫌。サイダーは日本のと違ってアルコール入り、普通はリンゴから作られる。

夕方寒くなりおまけに車の中が冷房が効いていて、この夕からのどの痛みに鼻水でコロナ感染?と思ったが大丈夫、3日で治った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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マナマンサーロ キャンプサイト

2022-08-01 00:33:31 | スカンディナビア キャンプ旅行 2007年

ロウ"ァニエミの町外れにはフィンランドに来てはじめてのショッピング・コンプレックスがあり、ここでしっかり食料品を買い込み又針葉樹の森の中の真っ直ぐの道を南下しました。

オウルヤルビ湖畔(Oulujarvi)の町カヤーナ(Kajaana)を目指しているうちに、道に迷い途中の川渕の小さなキャンプサイトで一泊しました。

午後フィンランドの10代の男の子4人が川に飛び込んで遊んでいます。このとき初めて気がついたのは、この川の水が真っ黒なのです。

それまで空のブルーを映して水はブルーに見えたのですが、子供たちの水面下の体が見えません。飛び込んだ時も水しぶきが茶色なのです。

この国には高い山がなく、古代から堆積された植物で出来た泥炭の間をくぐってくる水は、鉄分を含んで茶色から黒色に近い色なのです。

これ以降、フィンランドだけではなくスエーデンの湖でもやはり茶色の水だと気づきました。

 

ここのキャンプサイトも蚊が大変多く、キッチンでクッキングする時も、蚊取り線香をつけていた有様でした。トイレなどもってのほか・・・本当に困ったものです。

オウルヤルビ湖(Oulujarvi)の中の島にキャンプサイトを見つけ、蚊から逃れるように、早朝この小さなキャンプサイトを後にしました。

途中から松林の地面が一面に白く、不思議に思って近寄ってみると、今まで見た事もない地衣類でした。これは緯度と関係があるのか、スエーデンでも同緯度でこの地衣類が一面にはびこっていました。

マナマンサーロのキャンプサイトはオウルヤルビ湖の真ん中にあり突き出た半島から橋で結ばれています。大変大きなキャンプサイトで、高い真っ直ぐに伸びた松林の中にキャンパーやキャラバン、テントが散らばっています。サイトの設備も素晴らしく、キッチンや食堂、遊園地まですべてがそろっています。

 

オウルヤルビ湖は海のように大きく、茶色の水が湖畔に波打っていました。

 

 

キャンプサイトの周囲に散歩道が有るとのことで、簡単な地図を持って散歩に出ました。真っ直ぐな松林とあちこちに散らばる大小の湖の畔を歩いていると、一箇所の湿地帯で急に蚊が湧き上がるように出てきて、薄着のポールが頭や服の上からも襲われ、必死で逃げ帰ってきました。

 

キャンプサイトでは蚊はいなくても、もう何処にも行きたくないとポールが嘆いて、キッチンのオーブンで甘みの少ないビスケットを焼いて時間つぶしをしていました。翌日は島の反対側から無料のフェリーで島を後にしました。

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