Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

ボードー(Bodo)真夜中の太陽

2022-08-15 05:40:22 | スカンディナビア キャンプ旅行 2007年

北極圏を通ったその夜は山裾の盆地の中のキャンプ場で、蚊もいなければ雪もなく、午後6時過ぎ山に隠れた太陽は翌朝まで顔を出すことはなかったのですが、この日から天候異変でも起きたのか、晴天続きで、一晩中真昼の明るさでした。

 

 

 

 

翌朝キャンプサイトを出発してすぐ、道路はフィヨルドの沿岸に沿ってはしりボードーまで約100Km、何処を見ても一幅の絵になるような景色に感嘆しながら、ボードーの海辺のキャンプサイトに着きました。

海が素晴らしくきれいで、海岸線を散歩し 野原に咲く色とりどりの花に写真を撮り巻くり、この日初めて真夜中の太陽が見られるのを心待ちにしました。

 

 

 

 

 

お昼ごろ、太陽は海と反対側の60度位の高さにあり、決して頭上を通り過ぎることがないのです。夕食後キャンパーの隣の英国人夫妻といすを持ち出し海辺で夜中12時までおしゃべりしていました。

太陽は海に向かって左からスライドして、水平線すれすれまで降りてくるのですが、隠れることなくまた少しづつ上昇して、朝には海とほとんど反対方向に上っていました。最後の写真は真夜中12時の太陽です。

初めて見た真夜中の太陽に全く興奮してしまい、中々眠れません。1時、2時と外に飛び出し写真を撮っていました。

 

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ロフォーテン諸島 モスケネス

2022-08-14 06:04:03 | スカンディナビア キャンプ旅行 2007年

 

朝8時過ぎにはキャンプサイトを出て、ボードーのフェリーポートへ向かいました。ロフォーテン諸島がどんな片田舎かわからないので、途中のキャシュマシーンで現金を下ろし、ディーゼルを満杯にして、港へ行ってびっくりしました。

フェリーは予約客優先、10時20分のフェリーは私たちの前2台目のところ満杯で取り残されてしまったのです。次は午後2時に出航なのでそれまでボードーの町で過ごすしかありません。

ボードーの町の中心は港から歩いてゆける所で、木造家屋の並ぶ通りを歩いて10分ほどでショッピングセンターへ着きました。

こんな北極圏内の田舎町でもきれいなショッピングセンターがあることに感心して、スーパーで食料品を買い込んだり、観光案内所へ行ってロフォーテン諸島の情報を手に入れてきました。

無事フェリーが出たのが2時20分、海はやはりここもフィヨルドの一部で、鏡の様に凪いで素晴らしい日和でした。フェリーは4時間でロフォーテンの南端の港モスケネス(Moskenes)に行きます。島が近づいてくると、ポールが興奮した様子で”まるでフェアリーランドみたいだ”と云ったのが忘れられません。

 

 

 

 

モスケネスは小さな漁村で桟橋から200メータ行ったところの白い教会の裏手にキャンプサイトがありました。キャンパーや、キャラバンの数の割には設備が小さくシャワーは男女1つづつ、トイレ、洗面所なども3つづつしかなく、朝のラッシュ時は大変でした。

それはさておき、キャンプ場に落ち着いたとたん、隣のキャンパーのドイツ人夫妻がとっても友好的な人たちで”いやー君たち、今日の午後面白いものを見逃したねー”キャンプ場は海から10メーター位の崖の上にあり、キャンパーの窓から広い青い海が見えます。キャンプサイトから丸見えのこの海で、10メーター以上も有る鯨が泳いでいるのを、捕鯨船が追い回して討ち取ったのだそうです。

その日も翌日も捕鯨監視船があたりを旋回していました。

 

その夜何時の間に着いたのかベルゲンで見かけたドイツ人の三輪バイク夫婦がおもちゃのようなキャラバンでキャンプしていて、嬉しくなって挨拶に行ってきました。

 

キャンプサイトの海は東に面し、太陽は険しい山の向うにスライドして行くので、真夜中の太陽は見られませんでしたが、夜中の1時、遠くの空が朝焼けか夕焼けでうす赤くなり、その素晴らしさに思わずカメラを構えたものです。

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干ばつのイギリスとフランス

2022-08-12 20:04:58 | ロンドン周辺

7月にイギリス南部は気温40度にもなり、気象庁始まって以来と大騒ぎしたが,それにもまして、雨が降らない。

どこも芝生は真っ黄色になって、新聞に載っていた写真はグリニッチ公園の緑がブラウンで、Greenwich  ならぬ Brownich と呼ぶ。

貯水池は干上がり農家では水不足のため作物が実らず枯れてしまっている。

それにしてもスコットランドは雨も降り気温も上がらず、英国中央部から南部だけがこの温暖化。今週末まで気温が35度くらいになると予想されているが、それでも湿度が日本ほど高くないから、明け方など寒いくらい。先日寒暖計を裏庭の日陰に下げたら気温15度、寒いわけだ。

我が家の裏庭には大きな花の鉢がたくさんあって毎日の水やりが大変。この春雨水をためるタンクにごみが詰まって、水が入っていないのを知らなくてタンク一杯分の損失。仕方がないからお皿を洗った水からシャワーの水までバケツにとって鉢の水やりをしている。

こうして鉢植えの花は一応元気に花を咲かせてくれたが、直植えのアジサイもフロックスも枯れかかっている。毎年株が元気に繁殖しているシュウメイギクもつぼみがたくさんついているが水不足のため花がしぼんでひらかない。

数年前に買った黒のカーラー、今年は10ほど花が咲いた。

 

 

 

 

夕日が当たるくらいの裏庭の鉢植えのベゴニアは今年もしっかり咲いてくれた。

それでも直射日光が日中ずーとさしているところでは葉が焼けくたっとなった茎が日焼けして数本枯れた。

 

小山のように大きく茂ったイチジクの木には、7月末から毎朝早く鳥の群れが朝食を食べに来て、ほとんど私の口にも入らない。

以前は夏の間に1000個も取れて近所や友達に大判振る舞いをしていたものだけど情けないありさま。それで大きな幹からまっすぐに10メーターくらいに伸びている枝を切り落としている。

クッキングアップルの木は古くて巨大。今年は数は少ないが実が大きくて、これは鳥も食べないから、お隣や友達にもあげている。このリンゴ酸っぱくて普通には食べられないが、アップルパイや、ローストポークの付け合わせにはとっても良い。そして買えば結構の値段がするから、皆から喜ばれている。

 

 

 

 

 

 

上4枚の写真は、オリンピックパークの花壇の花、公にはホースパイプでの水やりは禁止されているがこんなところではいいんだろう。 

いったいいつになったら雨が降ってくれるか、これも最近の気象異常、日本の東北地方と半々にしたらいいものを・・・・・・。

 

 

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ロフォーテン諸島 オー(Ao)

2022-08-12 05:14:21 | スカンディナビア キャンプ旅行 2007年

ノルウェー北部、北極圏に位置するロフォーテン諸島は、”世界で最も美しい場所のひとつ”と言われる風光明媚な島。氷河の侵食により削り取られた大地が水没して出来た地形は、海から岩肌をむき出した崖が屹立しており、”アルプスの頂を海に浮かべたよう”と形容されます。(地球の歩き方から転用)

 

この島の主要産業は干鱈で過去にはベルゲンのハンザ商人の庇護で、最高級品として輸出されていました。現在は鱈の採り過ぎにより過去の収穫量の半分ということです

港で乗客や車を下した後、ボードーへ帰ってゆくカーフェリー。

 

モスケネスのキャンプ場に着いた翌日は島の最南端の村 オー(A)へ行こうと二人で海辺の道を歩きました。オーの村まで4.5Km道は車が交差できる幅はありますが、曲がりくねって上り下りの激しい道で、フェリーがモスケネスの港に着くと、はき出されたキャンパーやキャラバンがオーの村をめがけて、列を作って走ってゆきます。海に沿った道端には鱈が干され珍しい景観を作っています。

 

ところどころに小さな村があり、皆裕福そうで素晴らしくきれいな庭と木造平屋建ての家々が並んでいたりします。特に目に付いたのが各家の庭に必ず立っている国旗を揚げる高い柱でした。あちこちに国旗が翻っています。これはここロフォーテンだけではなく北欧の多くの田舎でも見られたのですが、初めに気づいたのがこの村だったわけです。

一軒の素晴らしくきれいな庭を見とれていると、その奥の童話の世界にあるような小さな家からおばあさんが顔を出し、鉢植えの手入れをしだしました。写真をとっても良いかと聞くととっても喜んでくれました。

 

オーの村の入り口のサインは英語圏の人たちには珍しく、車を停めて写真を撮っている人たちがいました。

村に入ってすぐトイレを探して、干鱈の博物館というのが有り入ってみました。館長が”君は日本人で初めてこの日本語の案内書を手にした人だ。”

と言って鱈の歴史からノルウェーの干鱈の料理方法まで教えてくれました。

世界でただひとつと言う干鱈の博物館は、昔はこの大きな建物の中で、水揚げした鱈の売買をしていたそうですが、近年の収穫量半減のため閉鎖に追い込まれ、博物館に変えたものだと言うことでした。

 

オーの小さな村の道路の行き止まりには、大きな駐車場があって、ほとんどのキャンパーがここで一晩を過ごすのです。この行き止まりの海辺で写真を撮ってバスでキャンプサイトまで帰ってきました。

 

 

 

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ロフォーテン諸島 フラグスタッド島

2022-08-11 23:59:38 | スカンディナビア キャンプ旅行 2007年

 

ロフォーテン諸島は大きく分けて4つの島から成っています。そしてこれらの島々は船が通り抜けられるよう太鼓橋のような高い橋で結ばれています。私たちはモスケネス島から隣のフラックスタッド島へ向かいました。

 

 

 

 

 

 



モスケネス島の中で一番大きな町レイネ(Reine)はロフォーテン諸島の中でも特に美しい町として知られ絶景そのものです。
レイネからフィヨルドの淵や崖のすぐ横を道路が延びて群島をつなぐ橋と橋が折り重なるように架かっています。
真っ青のフィヨルドの中には鮭の養殖場が見られます。



フラッグスタッド島のキャンプ場には一時間ほどの距離で、野の花が咲き乱れる埃っぽい一本道を海に向かってゆくと海を背景に広いキャンプサイトが現れました。真っ白の砂浜でここは西に面し今夜は真夜中の太陽が見られます。
 


午後は2Km程離れたフラックスタッドの町へショッピングと写真を撮りに歩いてゆきました。この日も雲ひとつないような晴天で、ティーシャツにショーツで歩いても暑い一日でした。小さな町で島民の足はモーターボートらしく小さな桟橋はボートがぎっしり並んでいました。


町を通り過ぎて数キロ歩き余りの暑さに疲れて引き返しましたが、何処も目を見張るほどの絶景、天気の良い日のこの島は一生住みたいと思うくらいに、きれいでした。
 


キャンプサイトの周囲は背の低い葦が生えている砂丘が広がり、すぐ近くにグレイの毛だまりのようなかもめの雛が日向ぼっこをしていました。この砂丘にはこのような雛を襲う動物がいないのではないかと思われます。私が雛にカメラを向けている後ろの小屋の屋根には、私の動きをけん制している親鳥がいました。
 

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真夜中の太陽

2022-08-10 04:42:00 | スカンディナビア キャンプ旅行 2007年

 

 

 


フラクスタッドのキャンプサイトは海に向かって左側に高い山があり午後から夜9時近くまで太陽は山の向うを照らしています。9時過ぎ山陰から現れた太陽は水平線上を横にスライドして行くので、写真は 9PMから1AMまで1時間ごとに写したものです。
 


夜中の12時にはキャンプサイトの人たちがほとんど海辺に出て真夜中の太陽を楽しんでいました。砂丘や山裾などにも散歩をしている人たちがいました。
又真夜中の太陽の下、若い女性二人が冷たい海に入って戯れていました。この北海の水はメキシコ海流が北上しているため、冬でも海は凍らないそうです。それでも気温は下がるので海水も冷たいことには変りありません。

 


 


私は砂浜のはずれに有る海草のこびりついた大きな岩が、引き潮で現れたのでビニール袋を持ってウインクル(能登では潮だめと呼びます)を採りに行き、大きなきれいなのを袋いっぱいに採ってきました。夜の10時過ぎのことで、夜に貝とりができるような経験はここしかないと、大変嬉しくキャンパーでゆでて一人楽しんで食べました。
 

 

夜中の1時、遠くの山が薄紫色に変化し、この世のものとも思われない幻想的な景色になりました。写真で少しでもあの時の感激が判ってもらえるなら嬉しいのですけど。

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ヴァイキング博物館

2022-08-09 21:40:28 | スカンディナビア キャンプ旅行 2007年

 

 

 

フラックスタッド島のキャンプサイトで真夜中の太陽を楽しんだ翌日、三番目の島ウ”ェストウ”ォーゴイ島に渡りました。

ここはウ”ァイキングにゆかりの島でそのほぼ中央部の村ボルグ(Borg)にウ”ァイキング博物館があります。

 

 

 

この巨大な建物は長さ83メーターのウ”ァイキングの住居を復元したもので、中には生活用品や装飾、食料、衣装などの展示や歴史絵図などが飾られています。

 

 

敷地の奥の湖まで歩く途中に火とトンカチで武器を作っている小屋があり、まるでウ”ァイキングの子孫のような男性に写真を写したいと頼みましたら快く承知してくれました。 3人のノルウェー人はきれいな英語を話し”どうだね、このノルウェーの天気は?すごいだろー?

いつもこんなのだよ。”といたずらっぽく云ったので、こんな晴天が続くのはきっとまれに違いないと思いました。

湖にはウ”ァイキングの使った船が復元されており、観光客を乗せて湖を航海するそうです。

博物館前の駐車場。御覧のようにほとんどがキャンパーです。

 

湖へ行く途中の岡の上にはなんともモダンな教会があります。北欧のこのような教会はどれも木造建築です。

 

博物館の外には猪夫婦と2匹の子猪が囲いの中にいて、一匹の活動的な子はお昼ねしているお父さんの背に登るのに懸命、とうとうお父さんが起きて”アーもう仕方ないなー”と子供の相手をしていました。なんとも人間的でおかしい親子でした。

 

博物館からこの夜泊まったキャンプサイトは又橋を越え4番目のウ”ォーゲン島にたどり着いてからでした。フィヨルドの淵に沿った道路わきの細長いキャンプ場でしたが、設備が良くてキッチンが充実していたので、キッチンで夕食をクックして食べました。

赤いきれいな家はロルブー(Rorbuer)と呼ばれるキャビンで、ロフォーテン諸島全般で見られる漁師小屋で、各村や町など海辺に設置されています。又何処のキャンプ場にも必ず設置されています。旅人は車で来て簡易宿泊施設のロルブーに泊まり、食事はキッチンで自分たちでクックできるわけです。

 

 

 

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スキボッツ キャンプサイト

2022-08-07 06:20:12 | スカンディナビア キャンプ旅行 2007年

相変わらずの快晴の朝9時半、キャンプサイトを出発したときには、昨夜グループで楽しんでいたオランダのキャンピングクラブの人たちは、1台しか残っていませんでした。あんなにたくさんのキャンパーが知らない間にひっそりと去って行ったのです。

私たちは30分ほど北へ行った港でハドセル・フィヨルドをわたるフェリーを待ちました。この日でロフォーテン諸島を去るのです。

 

この1週間素晴らしい天気に恵まれ、いたるところ目を奪われるような景色に感動し、真夜中の太陽を写真に写して、と心からこの諸島へ来てよかったと思いました。次に来るときは釣竿を持って海釣りを習って来たいと思っています。

ノルウェー本土へたどり着くまでいくつも長い橋を渡り、設備の行き届いたグイレス・フィヨルドの畔のキャンプサイトで一泊した後、ナーヴィック(Narvik)の北でノルウェーのただ一本の主要幹線E06に合流し、北へ向かって数百Kmを走りました。

 

 

この夜はストーフィヨルド(Storfjorden)の畔のキャンプサイト・スキボッツ(Skibotn)に一泊しました。

 

このあたりは蚊は余りいないのですが、蝿やアブのような昆虫が非常に多く、キャンパーの窓に当たって死んだ虫で、気持ち悪くなるほど窓が汚れていました。

この夜サテライトテレビがよく見えて、故ダイアナ妃の誕生日コンサートがウエンブリーから実況放送されていました。ダイアナ妃がなくなってもう10年、月日の経つ早さに驚かされます。

そして天気予報では南のオスロは3日間雨が続いているとのこと。私たちはなんとラッキーだろうと話し合いました。

 

 

 

 

 

夜11時半西の山陰から太陽が顔を出し、数分おきに峰峰の後ろを移動していて、出たり隠れたり、こんなに地球の自転の速さを感じたことは有りませんでした。

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アルタ

2022-08-06 18:59:45 | スカンディナビア キャンプ旅行 2007年

 

昨夜は思いがけない真夜中の太陽を見て、目がさめてみると昨日までとは打って変わってあたりはグレイ、小雨が降っていて気温が下がって寒く、これが本来の北極圏の天気ではないのかと思いました。

 

 

 

道は木が一本も見当たらないなだらかな高原で途中に5−6軒の山小屋がある他は、家も人影も見当たらない長い一本道が続いています。

行きかう車もまばらで、今までキャンパーでにぎわっていたのに皆何処へ行ったのだろうかと不思議でした。

 

フィヨルドの畔を走るといたるところに鮭の養殖場が見られますが、ノルウェーで鮮魚にめぐり合えたのは、フィンランドとの国境のスーパーが初めで何処のスーパーでも冷凍魚ばかり、もしかしてこれらの鮭はスモークド・サモンとして外国へ輸出しているのかもしれません。

 

 

 

 

この日は300Km も走ってやっとアルタの町にたどり着きました。町の玄関口にアルタ博物館があり、ここはユネスコ世界遺産に登録されています。アルタの岩絵は石器時代の遺物で約7000−6000年前のものだとのことです。おおよそ5000位のシンプルな絵が氷河で磨かれた岩の上に彫られそのままでは見分けがつかないためと保存のために赤い色彩が施されています。

 

 

博物館から良く手入れの行き届いた2.9Kmの歩道を、案内書を片手に半分廻ったところで、カメラのバッテリーが切れてしまい、写真を写せず一回り見てきたのですが、余りに残念、思い立って博物館の案内所でバッテリーの充電をお願いしたところ、快く引き受けてくれ、再度2.9Km を走り回って写真を写してきたのです。

 

博物館の中には皮をなめしてつくったカヤックが展示されていて、人間の英知に少なからず感動しました。

 

又スレートの歴史が書かれていろいろなサイズのスレートが展示されています。スレートは日本では知られていませんが、平らな自然の石を屋根瓦に使うのです。ここアルタの主要産業はスレートで、1850年ごろから近隣に販売していたものですが、1912年に機械化し大量生産が可能になり1970年からは電動切断機で生産できるようになり以降はスコットランドへ輸出しているそうです。

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ソダンキュラ フィンランド

2022-08-05 03:34:33 | スカンディナビア キャンプ旅行 2007年

昨夜一晩中雨が降り続き、今朝も止んでいるとはいえ何時でも降りそうな天気、小さなイナリの町のキャシュマシーンでユーロの現金を引きおろしました。そしてドイツの三輪バイクの夫婦に別れを告げ、一路南へ向かいました。

 

途中サーリセルカ(Saariselka)の立派な観光インフォメーションでフィンランドのブローシャを集め、カモシカ肉の缶詰と冷凍肉を買いました。

 

このインフォメーションで見つけたカモシカに関する注意書きによりますと、一年に交通事故死するカモシカは4000頭にものぼり、多いときは一日に10頭も事故死するそうです。(ちなみにフィンランドの制限速度は時速100Kmです)。

7−8月に多いのは、森の中での蚊の襲撃から逃れるため、広い道路へ出て来て交通事故にあうのです。

もし事故にあった場合の連絡先やするべきことなどが丁寧に書かれていました。

 

このインフォメーションセンターから今夜の目的地ソダンキュラまで120Km、道は真っ直ぐで針葉樹の森と、白樺の林、そして大小の湖が次々と現れます・・・・・・が何処まで行っても景色は変りません。フィンランドには高い山はなく、ノルウェーで見られたため息の出そうな素晴らしい景色は,何処にも見られませんでした。

時々道端で道草を食っているカモシカくらいが、単調な景色に彩をそえているくらいでしょうか。

ソダンキュラはイナリの町よりも大きく、メインスクエアにはラップランドらしいトナカイの銅像、その近くに素晴らしくきれいな真っ白の教会、又教会の後ろの墓地には大変手入れの行き届いた戦没者のお墓がありました。

フィンランドは第2次世界大戦が終わるまでロシア、ドイツ、スエーデンの弾圧や戦争など過酷な歴史を持ち、多くの戦死者を出しています。そして何処の町でも、戦没者に対する墓地の管理がよく行き届いていることに感心させられました。

この夜キャンプサイトに今まで見た事もないような、キャンピングホテルカーが停まりました。

ドイツの数十人の団体はホテルカーの後ろのテントで夕食を食べ、キャンプ場のトイレやシャワーを使って、キャプセルホテルみたいなホテルカーで寝ているのです。キャンプ場の屋根つきバーベキューの囲炉裏端にはこの夜12時近くまでドイツ人たちでいっぱいでした。彼らは夕方から襲ってくる蚊など気にも留めていないようでした。

翌朝ドイツの団体は観光バス一台にゆられてキャンプサイトを出て、その後をトラックに引かれたホテルカーが出てゆきました。ドイツ人は合理的な国民とは聞いていますが、これほど安上がりの団体旅行はめったにないだろうと思いました。

 

フィンランドもノルウエーと同じような言い伝えがあるらしく、お店のショーウインドーにトロールの人形が飾ってありました。

 

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ホニングスヴォーグ・キャンピングサイト

2022-08-05 02:45:26 | スカンディナビア キャンプ旅行 2007年

アルタからは目指すはヨーロッパの最北端ノールカップ(Nordkapp)です。

 

 

この日は雨が降ったりやんだり、本当に寒い日でした。進む道も時々南下してくるキャンピングカーとすれ違うだけでした。何処まで行っても不毛の地のような緩やかな丘を抜けて、海辺の町オルダーフィヨルド(Olderfjord)からは海岸に沿って北へ向かいました。

海岸線の岩はスレートで出来ていて、いたるところで崩れていました。

 

緩やかな丘には今まで見られた残雪はほとんどなく、ただ身を切るような冷たい風が吹いていました。

きんぽうげの黄色だけがこの荒々しい風景を和らげていました。たまに広がる草地にトナカイが放牧されていて、初めて見るトナカイに感激したものです。

ノールカップはマーゲロイ島の北端にあり以前はフェリーで対岸に渡っていたものですが、1999年に6.8Kmの海底トンネルが開通し、アクセスが楽になったとのことです。でもこのトンネルの通行料が高くキャンパーを6メーターと偽って安く(片道16ポンド)で通り抜けました。

フェリーがなくなって気の毒なのはこのトンネルを通るサイクリングの旅行者です。このトンネルは3Kmのくだりと1Kmの平地、そして3Kmも上りで、車が排気ガスを撒き散らして走る横を必死でこいでいる人や、上りの3Kmを大きな荷物を積み上げて自転車を押して歩いている人たちがいました。

 

最果ての町ホニングスウ”ォーグ(Honningsvag)は人口3500人、漁船が出入りする港町ですが、ノールカップの玄関口として多くの観光客でにぎわっているそうです。町が見渡せる対岸の道端から大きな観光船が港に停泊しているのが見えました。

 

キャンプサイトはこのホニングスウ”ォーグから7Km北で、大きな立派なホテルと10軒くらいのロルブーと設備の行き届いたキャンプ場から成っています。夕方から暴風雨になり何時の間に来たのか、キャンパーやキャラバンが15台ほど泊まっていました。

キャンパーの窓からホテルの入り口や、テントを張ってある草地や、ノールカップへ登る坂道が見えます。夕方雨の中を、坂道を必死でペダルを踏んでいる二人組みのサイクリストや、5時過ぎてテントをたたんで自転車の後ろに積んでいってしまった若者など、いろいろな人生が見られます。

雨と風でこの日はキャンパーの中に、電気ストーブとガスストーブもつけて暖をとっているのに、外では半ズボンの若い男性がテントを張っていました。

ホテルには観光バスが3台停まっていました。

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サンタクロース村 フィンランド

2022-08-04 07:07:34 | スカンディナビア キャンプ旅行 2007年

ソダンキュラから北極圏の境界線まで120Km、朝はゆっくりキャンプサイトを出発しました。厚い雲が空を覆っていましたが、雨が降るようには思えません。真っ直ぐの道を走っていると途中から急に道幅が5-6倍くらいに広くなり距離にすると数Kmはあったと思います。
初めは広さに驚き、次にどうして?と考え、”もしかして飛行機が不時着するのではないか” と話し合いました。(この夜フィンランドのニュースでよく似たような道路が滑走路に早代わりしていて、私たちの想像が正しかったことがわかりました。)
 
道路わきには村も家もほとんど見えませんが、花飾りのバス停と10個以上も連なる郵便受けで、道路の奥に家々や村があるのがわかります。
11時ごろから太陽が出て青空が広がり急に暑くなってきました。ノルウェーの北極線上とは何と言う違いでしょう。
 
ここフィンランドの北極圏の境界線上(Arctic Circle)には有名なサンタクロース村があります。
キャンピングカー用の無料の駐車場があり、数時間をこの村で過ごしました。
まず一回りしてお店や、サンタのオフィスや郵便局など見て、境界線をまたいで写真を写し、郵便局でサンタの絵葉書をたくさん買い込みました。
キャンパーに戻って二人で絵葉書にクリスマスのメッセージを書き込み切手を貼って又郵便局へ持ってゆきました。12月のクリスマス時期に発送し
てくれるのです。郵便局の入り口には世界中からサンタクロースに送ってきた手紙が貼ってありました。
 
サンタのオフィスに入ってみますと、サンタと一緒に写真を撮る所だと言うのでポールと迷っていると、”サンタはもうすぐお昼ねに入るから貴方たちで閉めます”と云われ、決心つかないままに写真を写すことになりました。
サンタクロースはポールに”何処から来ましたか”ときれいな英語で話し、私が”私は日本人です”と言いますと、”日本の何処から来ましたか?”としっかりした日本語で聞き返しました。”金沢から”の返答に ”私は去年の冬に金沢へ行ってきました”とサンタさんが日本語で云ったので、きっとクリスマスの夜は世界中に出没しなければならないから、何処でも”そこへ行った”と言う答えになるのだろうと思いました。サンタさんに何ヶ国語を話せるのか聞くのを忘れたのが残念です。
”76歳になってやっとサンタクロースが本当にいるのだと知った”とポールが云うので二人で大笑いしました。
村を去る前に高い見晴し塔に昇ってみました。サンタクロースの村は高い針葉樹の森に囲まれ、見渡す限り森が続いて、山ひとつ見えませんでした。
 
この夜は北極圏の境界線上から10Km南下したロバニエミ(Rovaniemi)のキャンプサイトで泊まりました。

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ノールカップ

2022-08-04 06:07:45 | スカンディナビア キャンプ旅行 2007年

昨夜激しい嵐で寒さに震え上がったのに、一夜明けたこの日、7月11日は素晴らしい青空でノールカップまで30Km、キャンプ場から急な坂道を登ってゆきました。あたりは一本の木もない荒野で、山の途中からキャンプサイトやホテルが見え、この島を取り囲んでいるフィヨルドが青く輝いています。

 

 

途中で道を間違えて、たどり着いたところは人口約175人のスカルスウ”ォーグの村でした。こんなところにも人が住んでいるのかと思うくらいの小さな入り江の周りに家が立ち並び、漁船が数隻停泊していました。

もちろん店などは見えませんでしたが、小さな郵便局のマークが目につきました。ここの島では11月18日から1月24日までは太陽が昇らないのです。そんな太陽のない2ヶ月間の厳しい冬など想像も出来ませんが、夏は5月11日から7月31日まで真夜中の太陽が見られるわけです。

 

30Kmは荒野の中の上下の激しい道で、サイクリングであえいでいる人たちを気の毒に思いつつ追い越し、とうとうノールカップに着きました。

 

入場料が結構高いのですが、48時間駐車可でたくさんのキャンパーが真夜中の太陽を見るために駐車しています。

 

ノールカップホールには世界最北の郵便局、小さな教会、レストラン、バーやシアターがあります。シアターではこの地域を空中撮影した映画を30分おきに上映していて、たとえどんな天気でも、真夜中の太陽が見られるようになっています。

高さ300メータの崖の上の岬には地球をモチーフしたモニュメントがあり、記念写真を写す人たちでいっぱいでした。

 

又世界の子供たちがデザインしたと言うモニュメントが有って、そのうちのひとつは日本の女の子であゆみと書かれています。

 

我が家を出て4週間、2215マイル(3542Km)でヨーロッパの最北端へたどり着いたのです。キャンパーからイギリスの友達や娘と息子に ”ノールカップに着いた。Banzai” とテキストメッセージを送りました。友達からすぐ”Omedeto”の返信がありとっても嬉しく思いました。

この岬は海が180度見渡せ、山や丘など高いものが一切ないので、このような晴天の日は太陽を24時間見ることが出来ます。

 

でも今までに3回も真夜中の太陽を見てきたので、もう充分と午後の2時にノールカップを後にしました。

又お金を払って海底トンネルを通り、島から100Km南下しました。

 

 

途中の道ではいたるところトナカイが道路上にさまよい出て、その度に交通がストップしました。でもこんなにたくさんの群れが出てきたのは、後にも先にもここだけでした。

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サンタクロース村

2022-08-03 07:07:34 | スカンディナビア キャンプ旅行 2007年

ソダンキュラから北極圏の境界線まで120Km、朝はゆっくりキャンプサイトを出発しました。厚い雲が空を覆っていましたが、雨が降るようには思えません。真っ直ぐの道を走っていると途中から急に道幅が5-6倍くらいに広くなり距離にすると数Kmはあったと思います。


初めは広さに驚き、次にどうして?と考え、”もしかして飛行機が不時着するのではないか” と話し合いました。(この夜フィンランドのニュースでよく似たような道路が滑走路に早代わりしていて、私たちの想像が正しかったことがわかりました。)

 


 道路わきには村も家もほとんど見えませんが、花飾りのバス停と10個以上も連なる郵便受けで、道路の奥に家々や村があるのがわかります。
11時ごろから太陽が出て青空が広がり急に暑くなってきました。ノルウェーの北極線上とは何と言う違いでしょう。

 


 
ここフィンランドの北極圏の境界線上(Arctic Circle)には有名なサンタクロース村があります。
キャンピングカー用の無料の駐車場があり、数時間をこの村で過ごしました。
まず一回りしてお店や、サンタのオフィスや郵便局など見て、境界線をまたいで写真を写し、郵便局でサンタの絵葉書をたくさん買い込みました。
キャンパーに戻って二人で絵葉書にクリスマスのメッセージを書き込み切手を貼って又郵便局へ持ってゆきました。12月のクリスマス時期に発送し
てくれるのです。郵便局の入り口には世界中からサンタクロースに送ってきた手紙が貼ってありました。


 
サンタのオフィスに入ってみますと、サンタと一緒に写真を撮る所だと言うのでポールと迷っていると、”サンタはもうすぐお昼ねに入るから貴方たちで閉めます”と云われ、決心つかないままに写真を写すことになりました。


サンタクロースはポールに”何処から来ましたか”ときれいな英語で話し、私が”私は日本人です”と言いますと、”日本の何処から来ましたか?”としっかりした日本語で聞き返しました。”金沢から”の返答に ”私は去年の冬に金沢へ行ってきました”とサンタさんが日本語で云ったので、きっとクリスマスの夜は世界中に出没しなければならないから、何処でも”そこへ行った”と言う答えになるのだろうと思いました。サンタさんに何ヶ国語を話せるのか聞くのを忘れたのが残念です。

 

 

”76歳になってやっとサンタクロースが本当にいるのだと知った”とポールが云うので二人で大笑いしました。
村を去る前に高い見晴し塔に昇ってみました。サンタクロースの村は高い針葉樹の森に囲まれ、見渡す限り森が続いて、山ひとつ見えませんでした。

 


 
この夜は北極圏の境界線上から10Km南下したロバニエミ(Rovaniemi)のキャンプサイトで泊まりました。

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英国式教会の結婚式

2022-08-03 03:42:22 | ロンドン周辺

娘の友達の結婚式に招待され、参加した。

娘の友達はジャマイカと白人とのハーフで、私の家から歩いて10分ほど、この街一番大きな教会で結婚式を挙げた。彼女には17歳と15歳の男の子がいて二人とも4分の1のジャマイカの血が入っている。この教会に籍を置く白人の夫婦に養女として育て上げられた。その夫婦はほかにジャマイカ人の女の子とアフリカ系の男の子2人も養子にしていて、一人でも大変なのに4人もそれも人種の違う子供たちをよく育て上げたと感服する。

お婿さんの方はスコットランド人で成人した息子がいて、今回の結婚式には息子の友達がスコットランドから大挙やってきた。それにお婿さんはウエールズに住んでいるそうで、そこからも友人たちがやってきた。

お嫁さんの方はこの教会で子供の時から遊び、学びで大きくなり教区の友達や知人を招いたため、総勢200人ほどの参加者だった。

 

 

私の娘が自分の着たウエディングドレスを彼女に着せ、お化粧からヘアーまで手掛け、パトリックの愛車の電動車の前に白いリボンを飾って運転手までしてあげた。

土曜日の午後1時ぴったりに花嫁と彼女の養父が教会に現れた。このお父さんはアルツハイマーを患っているそうで、歩くのもやや不自由そうだったが、最後のスピーチまでこなしたから、教区の人たち以外は彼がアルツハイマーだとは気が付かなかった。彼女は今最後の親孝行をしているのだった。

1時間にわたる式が執り行われたが、私には全く知らない讃美歌だったり、牧師さんの言ってる言葉も判らなかったりで、孫のジュードと隣り同士、全く退屈した。

 

式が終わって教会の外で写真撮影、何しろ大勢の人達で、カメラマンも大わらわ、隣の牧師館の二階の窓から全員を入れて写した。

二人とももう若くないから初ういさには欠けるが、彼女は見かけよりも人柄で彼を選んだと確信できた。

両家の兄弟たちが衣服も色合わせしていて、とってもいい雰囲気だった。

 

撮影会の後は教会の後ろに続いている別室で飲み物食べ物の立式パーティー、そこが狭いためあふれた人達が教会内のベンチで、飲み食いパーティが行われた。ウエディングケーキは日本人には信じられないくらい変わっている。

 

スコットランドの正装、3人の若者が着ていたがなかなか格好良かった。

 

 

昔は結婚式に参加する女性はこんな素敵な帽子?ヘアードレス?をかぶるのがファッションだったが、最近でははやらなくなった。名前も知らない奥さんだったけれど写真を撮らせてくれと頼んだら喜んで撮らせてもらったけど、ブログに載せるには顔を見せてなならないだろうと気を使った。

チーズの山で作られたケーキ、色々なアイデアがあるものだと感心した。

 

 

この日本当に驚き感心したのが上の二人のお嬢さん、私の娘の友達の娘たちで15歳と17歳、すっかり大人になって見違えた。下の写真を見てください。

 

2013年私の娘の結婚式にブライドメイドになった女の子たち。あれ以来一度も会っていなかった。昔の面影もないから言われても判らなかった。

 

 

花婿の息子さんがパーティの進行係、まるでプロのDJの様におしゃべりしながら参加者を楽しませてくれた。私はケーキカットまでいなくて帰ってきたが、この夜はまだローカルのパブで2次会パーティ、翌朝、花嫁は二日酔いでフラフラだったそう。

3ッ日後、彼らはハネムーンにアマルヒコーストのウオーキングツアーに出掛けた。

 

 

 

 

コメント (7)
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