バイクを洗って買い物に行ったren.です。
やっぱり気分がいいね♪
● 「魔法先生 ネギま! 18巻」 赤松 健 講談社/マガジンKC
(>∀<)な超がめんこい。
レビューはいまさら野暮ですので、適当に個人的感想と考察を。
美空とアキラは人気高くなったんでしょうね。こりゃ、万人に受けるキャラクター性ですな。
その他のキャラクターたちも、このシリーズでずいぶんと底上げされて、初期のころとは読者も贔屓キャラが変わっているでしょうね。皆さんの贔屓キャラは活躍しましたか?
そんな中、私の場合は……
コタの出番
ページ数にして6ページ
コマ数にして12コマ(うち1コマはシルエット)
顔の大きさ合計73mm(髪の天辺からあごまで)
……orz
超との決着ですが、正直、大山鳴動して鼠一匹、という感じ。
いや、十分盛り上がったんですが、私としてはどこか不完全燃焼。
それは、現状の悲劇や未来の悲劇よりも、自分たちの日常を大切にしてしまったところに大きいです。
もし、決意のきっかけが夕映の"運命論"なのだとしたら、ソレはそれで、ネギたちのエゴを通したにすぎませんもの。
結局、子供たちの双肩に賭けられた重た~い"世界"は、"希望"という形でしか解決していないわけです。
麻帆良祭の一件で、未来に変化が起こるかもしれませんが、超の計画で救われたかもしれない、今そこに在る悲劇は置き去りにされたわけですからね。
もちろん、それを"運命"や"現実"という言葉で片付けるのはたやすいことなのですが。
もちろん、後日談でネギが決意を新たにしたことで、将来救える悲劇には繋がったのですし、超の狙いの一つもここだったようですが。
せめてもの救いがここで、これがなかったら、私は「ネギま!」という作品に対して、かなりの失望を感じたでしょう。
個人的に、その辺にすっきりとした解決が見出せなかったのが、どうにもしこりを感じます。連中、いつも通りの馬鹿騒ぎな生活に戻っちゃったしね(w ソレはそれで「ネギま!」の持ち味ですけれど。
まあ、まだ話は先に続きますから、今は救えない悲劇に涙し、決意が"未来"に繋がることを期待します。
さて、グダグダいいましたが、実は見方を変えると、私にも大変満足できる答えを得られるんです。
それは、超の状況から、時間の遡及性がある、と読むことができるからです。
時間の遡及性とは、たとえ過去に戻ってなにか事実を変えてしまっても、時間の流れは予定された事象に修正して、決定された未来につなげてしまうということ。
時間の流れを列車運行とすると、途中に必ず通る駅は決まっていて、もし途中から他の路線に入っても、必ず通過駅に戻るように修正される……という、タイムパラドックス回避の理論です。デンライナーも、そういうオマージュだと思うんですよね。
つまり、超が麻帆良祭で何をやっても、基本的に"未来"は変わらない。
もし認識魔法が予定通り発動していても、超のいた"未来"は相変わらず悲劇で満たされているはずなのです。ネギのいうとおり「そう簡単に世界は救えない」んです。
「え?それじゃ超は徒労じゃないか」と思われるかもしれませんが、そうではありません。
この一件がなければ、本当に"未来"は救われないんですから。
ここからは私の勝手な未来(理想)予測───ただの戯言を長々と語らせていただきますから、読み流していただいて結構。
決意を新たにしたネギは立派な魔法使いになります。
また、祭で共に戦った従者たちとは今後一層、絆は深まるでしょう。そりゃもう、どんな魔法使いにも負けないほどの。
ネギたちのことですから、悩みながらも世の中に様々な形で貢献していくでしょう。
その後、ネギも従者たちも世代を変えていきます。
そうしたパーティーが、未来に影響しないわけがないわけありません。血を継いだ者、影響された者もまた、世界のために働くでしょう。
しかし、彼らがどんなに活躍しようと、どこかで世界にほころびが生まれます。世の中、どんなことにも越えられない壁が現れるものなのです。悲劇は時間が用意した停車駅なのですから。
それを克服し、さらに先の"未来"に進むためのナニカを、超は"過去"でつかまなければいけなくなります。それすらも、時間の用意したレールなのですが……。
実は、ここが難しいところでして、そもそもこの"未来"は"過去"から続く時間軸。ここで"過去"に影響を与えても、実はすでに流れた"未来"までの時間は変わってはいけません。
"事象変化未来(無かったことにする)"や"多元性未来(パラレルワールド)"では、この"未来"にいる(いた)人間にとっては意味がないのです。
しかしこれは、超たちが知らない事実だと思われます。人間は、"未来"は自分の手で切り拓くものと考えるものですから。"過去"を変えれば、自分たちの世界に影響するはずと信じています。
超が"過去"(現代)へとタイムトラベルします。
しかしこれは、時間の流れに組み込まれた、予定された過去事象なのです。
なお、時間の遡及性によって、それ以前の"過去"に"未来"の超がタイムトラベルしていた事実はなかったことになっています(めんどくさい話ですが)。
もしその記録が残っている場合、超は全ての結果を知っていることになってしまうからです。おそらく、記録や記憶が消失する出来事が、歴史上で起こっているはず。
超とネギが出会います。
ここまでに超は、認識魔法計画を進め、また友情を育みます。
そして、麻帆良祭の一件へ。
注意したいのは、超自体は親殺しのパラドックス("過去"の親族を殺すと、自分が存在していないことになる)を信じていることです。これは、世界の事実と人間の認識が違うということの証明です。
実際、ネギと超の墜落死は回避されました。屋台が飛んできたのも、訴求性で救われたということです。
つまり、時間は二人を殺すわけにはいかなかったのです。
超はここで、全てに気づきます。
聡明な超ですから、自分がこの時点で生きていることで、世界の事実に気づくでしょう。つまり、時間の訴求性と事象予定性についてです。
ここでも時間は、そのことに気づくであろう超が、"過去"にやってくることを予定していたことになります。ただネギの子孫であるという理由ではないはずです。
この事実を持ち帰ることこそ、"未来"の望みであるはずです。なぜなら、世界の変革が起きる事実なのですから。何せ、歴史が(ほぼ)予定調和だということに気づくのです!
タイムマシンを作れる"未来"の科学と魔法なら、この事実を解明し、新たな技術体系を作れるでしょう。時間の遡及性から人間が脱することが出来るかもしれないのです。そうすれば、予定されていた暗闇の"未来"も回避できる。
……おそらくそれからは、それを修正しようとする時間の力との戦いになるでしょう。時間は神様ではありませんが、戦う相手を作り上げるために、超を"過去"に送るレールを引いたとすれば、なにかの意思はあるのかもしれませんね。
訴求性を脱した"未来"を作るほどの力は、新たな問題を作るかもしれません。
しかし、それも"未来"の人間たちの戦いです。
また、超から察するに、"未来"は不幸の積み重ねで人同士のつながりが希薄になっているような気配がします。
ここでご先祖様たちの和気藹々ぶりに触れたことで、作業場の付き合いではなく、心のつながりというものを再確認したのかもしれません。人間性を取り戻すきっかけでもあったわけです。
別れ際の超が、カタカナ交じりの言葉でなくなっているところ辺り、個人としてではなく、人間としての成長を感じさせませんか?
いかがだったでしょうか。超に関して、私が納得できる想像はこんなところ。まあ、かなり手前勝手に解釈してますね(w 穴だらけなのはご愛嬌ですので、見逃してやってくださいな。
でも、タイムトラベルを扱うんですから、これくらいのことは考えられているんじゃないかな、と思ったわけです。考えすぎ?(w
さて本編は新たな局面へと向かうようです。
ここからはネギたちそれぞれの"未来"へと時間列車は進んでいきます。楽しみに見守ることにしましょう。
※なんとなく追記※
ところで、未来技術の対処云々って、もしかして「サンダーフォースV」のガーディアンかい?ヒト/戦士よ(w
やっぱり気分がいいね♪
● 「魔法先生 ネギま! 18巻」 赤松 健 講談社/マガジンKC
(>∀<)な超がめんこい。
レビューはいまさら野暮ですので、適当に個人的感想と考察を。
美空とアキラは人気高くなったんでしょうね。こりゃ、万人に受けるキャラクター性ですな。
その他のキャラクターたちも、このシリーズでずいぶんと底上げされて、初期のころとは読者も贔屓キャラが変わっているでしょうね。皆さんの贔屓キャラは活躍しましたか?
そんな中、私の場合は……
コタの出番
ページ数にして6ページ
コマ数にして12コマ(うち1コマはシルエット)
顔の大きさ合計73mm(髪の天辺からあごまで)
……orz
超との決着ですが、正直、大山鳴動して鼠一匹、という感じ。
いや、十分盛り上がったんですが、私としてはどこか不完全燃焼。
それは、現状の悲劇や未来の悲劇よりも、自分たちの日常を大切にしてしまったところに大きいです。
もし、決意のきっかけが夕映の"運命論"なのだとしたら、ソレはそれで、ネギたちのエゴを通したにすぎませんもの。
結局、子供たちの双肩に賭けられた重た~い"世界"は、"希望"という形でしか解決していないわけです。
麻帆良祭の一件で、未来に変化が起こるかもしれませんが、超の計画で救われたかもしれない、今そこに在る悲劇は置き去りにされたわけですからね。
もちろん、それを"運命"や"現実"という言葉で片付けるのはたやすいことなのですが。
もちろん、後日談でネギが決意を新たにしたことで、将来救える悲劇には繋がったのですし、超の狙いの一つもここだったようですが。
せめてもの救いがここで、これがなかったら、私は「ネギま!」という作品に対して、かなりの失望を感じたでしょう。
個人的に、その辺にすっきりとした解決が見出せなかったのが、どうにもしこりを感じます。連中、いつも通りの馬鹿騒ぎな生活に戻っちゃったしね(w ソレはそれで「ネギま!」の持ち味ですけれど。
まあ、まだ話は先に続きますから、今は救えない悲劇に涙し、決意が"未来"に繋がることを期待します。
さて、グダグダいいましたが、実は見方を変えると、私にも大変満足できる答えを得られるんです。
それは、超の状況から、時間の遡及性がある、と読むことができるからです。
時間の遡及性とは、たとえ過去に戻ってなにか事実を変えてしまっても、時間の流れは予定された事象に修正して、決定された未来につなげてしまうということ。
時間の流れを列車運行とすると、途中に必ず通る駅は決まっていて、もし途中から他の路線に入っても、必ず通過駅に戻るように修正される……という、タイムパラドックス回避の理論です。デンライナーも、そういうオマージュだと思うんですよね。
つまり、超が麻帆良祭で何をやっても、基本的に"未来"は変わらない。
もし認識魔法が予定通り発動していても、超のいた"未来"は相変わらず悲劇で満たされているはずなのです。ネギのいうとおり「そう簡単に世界は救えない」んです。
「え?それじゃ超は徒労じゃないか」と思われるかもしれませんが、そうではありません。
この一件がなければ、本当に"未来"は救われないんですから。
ここからは私の勝手な未来(理想)予測───ただの戯言を長々と語らせていただきますから、読み流していただいて結構。
決意を新たにしたネギは立派な魔法使いになります。
また、祭で共に戦った従者たちとは今後一層、絆は深まるでしょう。そりゃもう、どんな魔法使いにも負けないほどの。
ネギたちのことですから、悩みながらも世の中に様々な形で貢献していくでしょう。
その後、ネギも従者たちも世代を変えていきます。
そうしたパーティーが、未来に影響しないわけがないわけありません。血を継いだ者、影響された者もまた、世界のために働くでしょう。
しかし、彼らがどんなに活躍しようと、どこかで世界にほころびが生まれます。世の中、どんなことにも越えられない壁が現れるものなのです。悲劇は時間が用意した停車駅なのですから。
それを克服し、さらに先の"未来"に進むためのナニカを、超は"過去"でつかまなければいけなくなります。それすらも、時間の用意したレールなのですが……。
実は、ここが難しいところでして、そもそもこの"未来"は"過去"から続く時間軸。ここで"過去"に影響を与えても、実はすでに流れた"未来"までの時間は変わってはいけません。
"事象変化未来(無かったことにする)"や"多元性未来(パラレルワールド)"では、この"未来"にいる(いた)人間にとっては意味がないのです。
しかしこれは、超たちが知らない事実だと思われます。人間は、"未来"は自分の手で切り拓くものと考えるものですから。"過去"を変えれば、自分たちの世界に影響するはずと信じています。
超が"過去"(現代)へとタイムトラベルします。
しかしこれは、時間の流れに組み込まれた、予定された過去事象なのです。
なお、時間の遡及性によって、それ以前の"過去"に"未来"の超がタイムトラベルしていた事実はなかったことになっています(めんどくさい話ですが)。
もしその記録が残っている場合、超は全ての結果を知っていることになってしまうからです。おそらく、記録や記憶が消失する出来事が、歴史上で起こっているはず。
超とネギが出会います。
ここまでに超は、認識魔法計画を進め、また友情を育みます。
そして、麻帆良祭の一件へ。
注意したいのは、超自体は親殺しのパラドックス("過去"の親族を殺すと、自分が存在していないことになる)を信じていることです。これは、世界の事実と人間の認識が違うということの証明です。
実際、ネギと超の墜落死は回避されました。屋台が飛んできたのも、訴求性で救われたということです。
つまり、時間は二人を殺すわけにはいかなかったのです。
超はここで、全てに気づきます。
聡明な超ですから、自分がこの時点で生きていることで、世界の事実に気づくでしょう。つまり、時間の訴求性と事象予定性についてです。
ここでも時間は、そのことに気づくであろう超が、"過去"にやってくることを予定していたことになります。ただネギの子孫であるという理由ではないはずです。
この事実を持ち帰ることこそ、"未来"の望みであるはずです。なぜなら、世界の変革が起きる事実なのですから。何せ、歴史が(ほぼ)予定調和だということに気づくのです!
タイムマシンを作れる"未来"の科学と魔法なら、この事実を解明し、新たな技術体系を作れるでしょう。時間の遡及性から人間が脱することが出来るかもしれないのです。そうすれば、予定されていた暗闇の"未来"も回避できる。
……おそらくそれからは、それを修正しようとする時間の力との戦いになるでしょう。時間は神様ではありませんが、戦う相手を作り上げるために、超を"過去"に送るレールを引いたとすれば、なにかの意思はあるのかもしれませんね。
訴求性を脱した"未来"を作るほどの力は、新たな問題を作るかもしれません。
しかし、それも"未来"の人間たちの戦いです。
また、超から察するに、"未来"は不幸の積み重ねで人同士のつながりが希薄になっているような気配がします。
ここでご先祖様たちの和気藹々ぶりに触れたことで、作業場の付き合いではなく、心のつながりというものを再確認したのかもしれません。人間性を取り戻すきっかけでもあったわけです。
別れ際の超が、カタカナ交じりの言葉でなくなっているところ辺り、個人としてではなく、人間としての成長を感じさせませんか?
いかがだったでしょうか。超に関して、私が納得できる想像はこんなところ。まあ、かなり手前勝手に解釈してますね(w 穴だらけなのはご愛嬌ですので、見逃してやってくださいな。
でも、タイムトラベルを扱うんですから、これくらいのことは考えられているんじゃないかな、と思ったわけです。考えすぎ?(w
さて本編は新たな局面へと向かうようです。
ここからはネギたちそれぞれの"未来"へと時間列車は進んでいきます。楽しみに見守ることにしましょう。
※なんとなく追記※
ところで、未来技術の対処云々って、もしかして「サンダーフォースV」のガーディアンかい?ヒト/戦士よ(w