1.芸備線の誕生と未乗車区間
芸備線は備中神代から三次を経て広島に至る地方交通線である。
全区間が非電化単線で、路線距離は159.1kmに及ぶ。
備中神代は「びっちゅうこうじろ」と読み、
伯備線で倉敷方面から2つ先の駅である。
全区間が非電化単線で、路線距離は159.1kmに及ぶ。
備中神代は「びっちゅうこうじろ」と読み、
伯備線で倉敷方面から2つ先の駅である。
芸備線は広島から備後庄原までを芸備鉄道が敷設、
備後庄原から備後落合は鉄道省が荘原線として、
備中神代から備後落合までは三神線として開通した。
備後庄原から備後落合は鉄道省が荘原線として、
備中神代から備後落合までは三神線として開通した。
芸備鉄道は広島から三次までを敷設する鉄道として設立、
1915年4月28日に広島から志和地までが部分開業、
同年6月1日に三次(現・西三次)までが開業した。
1922年6月7日に塩町まで延伸、
1923年12月8日には備後庄原までが延伸された。
1933年6月1日に既設区間の備後十日市(現・三次)から備後庄原までが国有化、
この区間の路線名が庄原線となる。
庄原線は1934年3月15日に備後西城まで延伸、
1935年12月20日には備後落合までの延伸を果たした。
一方、1930年2月10日には三神線として備後神代から矢神までが開業、
同年11月25日には東城まで延伸、1935年6月15日には小奴可まで延伸、
1936年10月10日には備後落合まで延伸、庄原線は三神線に編入され、
備中神代から備後十日市(現・三次)までが三神線となる。
1937年7月1日には芸備鉄道が国有化、
これと同時に三神線を編入して広島から備中神代までが芸備線となった。
1915年4月28日に広島から志和地までが部分開業、
同年6月1日に三次(現・西三次)までが開業した。
1922年6月7日に塩町まで延伸、
1923年12月8日には備後庄原までが延伸された。
1933年6月1日に既設区間の備後十日市(現・三次)から備後庄原までが国有化、
この区間の路線名が庄原線となる。
庄原線は1934年3月15日に備後西城まで延伸、
1935年12月20日には備後落合までの延伸を果たした。
一方、1930年2月10日には三神線として備後神代から矢神までが開業、
同年11月25日には東城まで延伸、1935年6月15日には小奴可まで延伸、
1936年10月10日には備後落合まで延伸、庄原線は三神線に編入され、
備中神代から備後十日市(現・三次)までが三神線となる。
1937年7月1日には芸備鉄道が国有化、
これと同時に三神線を編入して広島から備中神代までが芸備線となった。
2019年夏の青春18きっぷの旅でこの芸備線の乗り潰しに挑戦しようと思う。
芸備線は広島から隣の矢賀までは2005年10月23日に、
JR貨物広島車両所の一般公開に参加するために乗車、
矢賀から備後落合までは2010年8月19日木曜日に木次線乗り潰しのあと、
備後落合から三次経由で広島まで移動、この時に乗り潰した。
しかし備中神代から備後落合までの44.6kmの区間は未乗車区間として残ってしまった。
今回の旅ではこの区間の乗り潰しに挑戦、
更に青春18きっぷは5回(人)分の3回(人)分のみを使用し、
残りの2回(人)分は8月末の1泊2日の旅のために取っておかなければならない。
そのため日帰りか、それに準ずる旅にしなければならなくなってしまった。・
そこでこのたびの帰郷に“サンライズ出雲”を使うことにした。
芸備線は広島から隣の矢賀までは2005年10月23日に、
JR貨物広島車両所の一般公開に参加するために乗車、
矢賀から備後落合までは2010年8月19日木曜日に木次線乗り潰しのあと、
備後落合から三次経由で広島まで移動、この時に乗り潰した。
しかし備中神代から備後落合までの44.6kmの区間は未乗車区間として残ってしまった。
今回の旅ではこの区間の乗り潰しに挑戦、
更に青春18きっぷは5回(人)分の3回(人)分のみを使用し、
残りの2回(人)分は8月末の1泊2日の旅のために取っておかなければならない。
そのため日帰りか、それに準ずる旅にしなければならなくなってしまった。・
そこでこのたびの帰郷に“サンライズ出雲”を使うことにした。