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林檎乃「とほほ・・・。」ブログ

林檎乃麗の「とほほ・・・。」な日常を綴っています。 

「甲種回送2007」リゾートしらかみの旅3.

2021-09-28 | 鉄道・旅行

  3.後三年の役の駅と雨の湯沢

大曲駅でゲットした駅弁を持って
12:32大曲発の奥羽本線・上りに乗り込む。
約12分の旅で後三年駅に到着する。
後三年は無人駅で取り立てて取材するべき駅ではなかったが、
「後三年の役」という歴史上の舞台になっていることから
何となく以前から一度は取材してみたいと思っていた。
駅には「後三年の役」の説明看板が立っており
以下のように書かれている。

 後三年の役

 奥羽を支配した清原氏の内紛に端を発し発した争いは、
 後に源氏の介入により後三年の役へと発展しました。
 清原家衡、武衡軍と、藤原清衡、源義家軍との戦いは、
 「雁行の乱れ」や「剛臆の座」、「鎌倉源五郎影正の奮戦」など
 数々の逸話を今に残しています。
 一〇八六年、沼の柵(横手市雄物川町)で清衡、義家軍に
 勝利した家衡、武衡軍は、
 より堅固で難攻不落といわれた金沢柵(横手市)に本拠を移し、
 ここで最後の攻防が行われることになりました。
 金沢柵の堅い守りに清衡、義家軍は
 日本史上初といわれる兵糧攻めを展開、
 堅城の誉れ高い金沢柵も一〇八七問十一月十四日、
 ついに戦火の中に落ちました。
 家衡、武衡も討ち取られここに後三年の役は集結、
 藤原清衡は北方の王者の初代として
 奥州平泉文化の基礎を築くことになります。

日本史は苦手なので後三年の役がどういうものなのか、
ここに来るまで全く分からなかったが、
奥州平泉の中心となった奥州藤原氏の誕生が
この戦いに端を発しているということだけは分かった。
それだけにこの戦いは東北の文化にとって
重要な意味があったのだろう。
駅取材をしてから大曲で購入した「秋田比内地鶏弁当」を
駅の待合室で喰う。
「秋田比内地鶏100%使用」と書かれている。
最近、比内地鶏というとどうも
“偽装”という言葉がついて回るような気がするが、
これはJAあきた北央がそういっているのだから
たぶん間違いないだろう。
確かに美味いのだが、ちょっと独特の味がすると思った。
新幹線で仙台を出た時は快晴だったのだが、
ここでは小雨が降り出していた。
59分の駅取材で13:43に後三年をあとにして
奥羽本線・上りで湯沢まで行く。
28分の移動時間だったが、
この間に雨はすっかり本降りになってしまった。
そのため、湯沢駅の取材は雨の中の撮影となってしまった。
駅に掲げられていた「駅名の由来」には以下のように書かれている。

-湯沢駅-

湯沢は、横手盆地南端の御嶽山から愛宕山麓沿いに位置しています。
御嵩山麓には、かつて七人の落ち武者が温泉を発見して
住みついたといわれる、
「湯の原」があります。
これにちなみ、湯沢の地名がついたといわれています。
また、湯沢の南にある東鳥海山麓の一支谷、金池川扇状地の
原野にも「湯の原」といい、
これにちなんだという説もあります。

14:38湯沢始発の奥羽本線・下りで1時間48分かけて秋田に戻る。
車中で爆睡してしまった。
秋田についてホテルメトロポリタン秋田にチェックインする。
入り口が分からずにアピコの案内係に訊いてようやくチェックインする。
少し休んでカメラだけを持って出掛ける。
アピコ3階の「龍苑 三龍亭」という中華専門店に入って
回鍋肉定食\950、ビール\250喰う。
回鍋肉に麻婆豆腐、中華スープ、杏仁豆腐などが付いてきた。
定食をオーダーするとビールが半額になるというので、
ビールも頼んでしまう。
ビールを飲みながらなので満腹になってしまい、
少し休んで買い物などしてホテルに戻り、
テレビを見ながらまたビールなど飲む。

2007/12/16 11:53

※写真:後三年駅に停車中の701系N8編成 撮影時刻 2007/11/16 12:49:28

初出:++RAIL/れいの日記 2007年12月16日 23:54

※転載:鉄道系SNS「++RAIL」/個人日記「れいの日記」

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