12.中央線-国立と高円寺
武蔵野線で西国分寺まで来て、ここで中央線に乗り換える。
中央線、中央東線は東京から松本までほぼ取材済で、
未取材なのは辰野支線小野駅のみである。
しかし取材時期が2000年代のものもあり、
その後リニューアルや高架化で新駅舎に切り替わったところもある。
その中でまずは国立駅に行く。
国立駅近辺は大正時代の末期、
箱根土地株式会社によって開発されたエリアである。
箱根土地株式会社は後のコクドとなる会社であり、
この会社の頭目はもちろん西武グループの創始者の堤康次郎氏である。
未開発の土地だったためにこのエリアには駅がなく、
1925年に開業した駅には国分寺と立川の中間の駅ということで、
“国立”と名付けられた。
この地名には「この地から新しい国が立つ」という意味合いも含められていて、
1951年に村から町へ移行する時、町名を決める際に、
谷保村議会で投票の結果“国立町”が誕生した。
1967年には市へ移行し、そのまま“国立”の名が残り、国立市が発足した。
1925年に建てられた南口駅舎は三角屋根の美しいデザインだった。
しかしこの駅舎は2006年に使用が終了、
2009年には下りホームが高架化、2010年には上りが高架化された。
この時は気付かなかったが、あとで家に戻って追調査したら、
南口三角屋根の駅舎は国立市指定有形文化財として、
2020年に復元工事が完了していた。
このあと相模線投入のE131系500番台を取材しようと八王子まで行くが、
時間的な制限もあり、ここで八高線用のE231系3000番台を取材し、
このあと中央快速線で荻窪まで行き、普通に乗り換えて高円寺に行く。
高円寺は2020年11月1日日曜日に再訪問したが、
この日は訪問時間が遅く、日が暮れかけていた。
そこで今日、再訪問して取材した。
島式2面4線構造の高架ホームを有している。
2003年に取材した時も既に高架化されていたが、
そのあと駅舎がリニューアルされ、それを再取材した。
この駅を十分に取材し、三鷹に戻る。
改札に戻った時は5:00p.m.までで、日没も近く、
自然光での撮影には限界になったと判断し、
駅取材はここで終了した。