小さい人の用事に付き合いながら、鹿島神宮へ。
晴れて穏やか、お出かけ日和もあってか、参拝する人が多いのには驚いた。
特に奥の宮の前は、20mくらいの人の列が絶え間なく続き、この奥にある要石へもひっきりなしに人が訪れていた。
数年前は、これほどの賑わいはなかったような記憶だが、御朱印ブームとパワースポットをとりあげたメディア効果で、再認されたためと思われる。
古来より、人の信仰を集めた場には、人を畏怖させる雰囲気がある反面、惹き付ける強い力がある。
昔より大切に守られてきた木々が生い茂る境内を歩いていると、しっとりとした生命力をたっぷりと含んだ空気が、羊水のように人を包み込む。
重いような、纏わりつくような、なんともいえない感覚だが、確実に損なわれた部分を修復しているともいえるだろう。
参道を歩いていると、古参の椎の木にカメラを向けている人の姿を幾度も目にした。
きっと、木から放たれる生命の根源の様な気に、反応しているのではないかと思えた。
このところ自分の中に溜まっていた澱んだ滓のような物が、おかげさまで浄化され、身が軽くなった気がしている。
また、そう遠くない日に、ここに参拝しに来たいものだ。
晴れて穏やか、お出かけ日和もあってか、参拝する人が多いのには驚いた。
特に奥の宮の前は、20mくらいの人の列が絶え間なく続き、この奥にある要石へもひっきりなしに人が訪れていた。
数年前は、これほどの賑わいはなかったような記憶だが、御朱印ブームとパワースポットをとりあげたメディア効果で、再認されたためと思われる。
古来より、人の信仰を集めた場には、人を畏怖させる雰囲気がある反面、惹き付ける強い力がある。
昔より大切に守られてきた木々が生い茂る境内を歩いていると、しっとりとした生命力をたっぷりと含んだ空気が、羊水のように人を包み込む。
重いような、纏わりつくような、なんともいえない感覚だが、確実に損なわれた部分を修復しているともいえるだろう。
参道を歩いていると、古参の椎の木にカメラを向けている人の姿を幾度も目にした。
きっと、木から放たれる生命の根源の様な気に、反応しているのではないかと思えた。
このところ自分の中に溜まっていた澱んだ滓のような物が、おかげさまで浄化され、身が軽くなった気がしている。
また、そう遠くない日に、ここに参拝しに来たいものだ。