大橋むつおのブログ

思いつくままに、日々の思いを。出来た作品のテスト配信などをやっています。

ライトノベルベスト『切れる音・1』

2021-09-14 06:22:20 | ライトノベルベスト

イトノベルベスト

『切れる音・1』    

 




 プツン……また切れる音がした。

 パンツのゴムが切れたように密やかな音。だけど、誰かのパンツのゴムが切れたわけではない。

 生徒の興味が切れた音である。そのあと続けざまに三回切れる音がした。これでクラスの半分の生徒の興味が切れた。

 しかし、朽木は、構わずに授業を続けた。もう慣れっこになっている。

 先月の実習生の授業がめちゃくちゃだったので、やり直した分、一週間分は遅れている。

 なんとしても、摂関政治は終わって武士の台頭まで進まなくては、今年度も日本史は明治維新を過ぎたあたりで終わってしまう。

 思ったとたんに、また切れる音がした。

 

 この音が聞こえるようになったのは、二年前の校外学習だった。

 

 学年全部で京都嵐山方面に行った。

 一応班編成にしているが、スタンプラリーのような手のかかることはしない。生徒が自然な自主性で仲間ができるきっかけにするという名目で放し飼いである。

 放し飼いというと、まなじり上げた組合の先生方から叱られそうだけど、実態を表現すると、この言葉しかない。

 阪急嵐山駅で降りると、校外学習のアリバイのために集合写真だけは取る。

 そのあとは校外学習費から各自に1000円と、嵐山近辺の地図だけを渡す。

 基本は班行動だが、班を解体して二人以上の行動なら許すことにしていた。携帯やスマホのアドレスは全員分掌握している。いざとなったら、どこからでも連絡は取れる。

「さあ、ゆっくり昼飯にでもしましょか」

 学年主任の一言で、互助会で使える料亭で、豪華な昼食をとることになったが、朽木は断った。

 転勤したての副担任、そこまで付き合う気はなかった。転勤一か月余りで、朽木は、この学校に嫌気がさしていた。

 学校の評定は6・2と府立高校としては上の部に入る。

 転勤が決まった時は喜んだが、一週間で学校の中身が分かってしまった。

 民間人校長一人だけが、府教委とマスコミにいい顔はしているが、学校は怠惰の一言だ。生徒は程よく自分で勉強し、そこそこの私立大学に合格していく。産近甲龍にそこそこ入っていくことで、師弟ともども自足している。生徒も表面行儀よく、生指上の問題も、転勤以来、新入生のケンカまがいのことが一回と、女生徒が変質者に追われた件があっただけである。

「観ておきたいところがありますので」
「朽木さん、日本史やもんなあ」

 その二言のやり取りで、朽木の単独行動は公認のものとなった。もう朽木は、他の教師と群れる気はなかった。三年四年辛抱して、さっさと転勤する気になっていた。下手に仲間を作ったり重宝がられては、その転勤が延びてしまう。

 視野の中にチラチラと生徒の姿が入ったが、これも無視した。

 前の学校は、いささかヤンチャな学校だったが、こういう場では、よく絡まれた。写メを撮ってやったり、弁当のつまみ食いをしてやったり、時には喫煙の現場を発見したり、他の学校とのトラブルの仲裁に入ったり。

 ところが、いまの学校の生徒は、ちっとも絡んでこない。ま、そういう学校だ。

 嵐山・嵯峨野は、学生のころから何度も来ている。とりあえず大覚寺方面に向かう。

 生徒の数が次第に減る。

 愛宕神社を通り過ぎ、突き当りを右に曲がれば大覚寺。左へ行けば化野である。

 大覚寺は十年ぶりぐらいであった。見慣れた道とは言え、やはり変化がある。

「こんなところに竹林があったかな……」

 民家や店は建て替わっても気づかないことはあるかも。しかし十年とは言え、竹林一つを見逃すわけがない。

 よく見ると――嵯峨天神社――のささやかな札が風に揺れていた。

 嵯峨野に天神さんはないはず……そう思いながらも、不思議さと、ささやかながらも深淵さを感じて朽木は、オレンジ色に変色しかけた朱塗りの鳥居をくぐった。

 小さな無人の社があるだけだった。

 朽木は、滋賀の旧家の出であることもあり、こういうことでは行儀がいい。

 ささやかな手洗所で手を洗って口を漱ぎ、拝殿に向かった。特に願うことなどなかったが、習慣として手を打ち礼をする。

 良くも悪くも無心に手を合わせていると、後ろで人の気配がした。

 

 振り返ると真子がいた。

「いやあ、こんなとこまで来るのは、あたしだけかと思たわ。先生も大覚寺行かはんのん?」
「うん、そのつもりで歩いてたら、この天神さんに気ぃついてな」
「よかったら、写真撮ってくれます?」
「ああ、ええよ」

 朽木は、ちょっと懐かしい気持ちになり、真子のバストアップと、真子との自撮りをした。

 朽木は、ハナから、この学校には関心が無かったので、生徒のことはほとんど覚えておらず、大半は名前と顔が一致しない。

 しかし、この真子だけは、最初から印象に残った。

 とくに美人というわけではないが、AKBの書類審査ぐらいは通りそうな子で、授業も熱心に聞いてくれていた。

 少し楽しい遠足になったかな。そう思って、大覚寺で真子と集合時間に間に合うまでのんびりと過ごした。

 そして、あくる日から人の心が切れる音がきこえるようになった……。

 

 


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