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本番が終わると光会長が手を上げて、あたしをスタジオの隅に呼んだ……。
「ありがとうよ。どこの誰かはしらないけど、うまく代役やってくれてさ」
「あ、会長、あたし……」
「みなまで言うなよ。キミ、萌の抜け殻被ってくれてんだろ。いや、俺も若い頃覚えがあるんだよ。あの窪みに躓いちゃったら、自分の殻から抜け出せるようになる。で、やりすぎると元に戻れなくなっちまう。俺んときも……いや、あんまり人に言っちゃいけないんだったな。萌はゴールデンボマーズのアキラといっしょに居る。ただ、アキラの部屋でも自分の部屋でもない。デビュー前の友だちのどこかだ、それさえ分かれば……」
「あ、だいたいの場所は分かってます。そういうわけで、会長ありがとうございました」
「ああ、がんばれ萌」
ディレクターの人が来たんで、あわててすっとぼけた。
それから、来るときと同じタクシーに来てもらって、目標の場所に行った。
「アイドルも辛いね。ま、またご用があったらよろしく。秘密厳守だから」
「ええ、よろしく」
と言いながら、この運転手さんの口の軽さは信用できないと思った。
「あ、ちょっとヤバイなあ……」
そこは十階建てのマンションだけど、オートロックだ。部屋はモエチンの気配が、ここにいても感じられる十階の一号室。いわゆるペントハウスだ。でも、この姿でインタホンは押せない。
仕方なく、一時的にモエチンの皮を脱いだ。ってことは素っ裸なんだけど、仕方がない。脱いでしまえば、抜け殻も人には見えないと踏んだ。見えるんだったら、上戸彩女性警官が隠しもせずに担いで交番に持って来るはずがない。
冬でなくてよかった。三十分ほど待っていると、住人の人が出てきて、ドアが開いた。
入れ違いに、さっと入って、集会室の隣のトイレで、モエチンの皮を気を付けながら着る。
帽子を目深に被って、エレベーターで十階へ上がり、例の部屋の前に立った。
「すみません。この部屋の住人の妹なんですけど、兄の忘れ物取りに……」
ゴソゴソと気配があって、アキラがドアのロックを外した。
えい!
ウワ!?
思い切り外側にドアを開くと、弾みでアキラが転がり出てきた。
間髪入れずに、奥の部屋までいくと、モエチンオーラ出しまくりの女の子がベッドの上で、シーツを胸までたぐり寄せて、怯えたような目で、本来の自分の姿のたしを睨む。
「モエチン、あんた間違えてるわよ。どれだけの人が、あんたのこと心配して、どれだけ迷惑かけてるか。今なら間に合う。さっさと服着て、あたしといっしょにいらっしゃい!」
「え、あ……」
「さっさとしろ!」
モエチンは、自分の姿をしたあたしに圧倒されて、大人しく服を着てついてきた。
「じゃ、アキラさん、これからは、あたしにも、あたし似の女の子にも手え出さないでね!」
「は、はい……」
それから、二人はタクシーで、交番に戻った。むろん、最初のとは違うタクシー。
「あなたになってみて、卒業前のアイドルのしんどいところも、よく分かったわ。光会長も身に覚えがあるって。今戻れば元通り。がんばってモエチン!」
元のあたしに戻ったあたしに励まされて、モエチンは帰っていった。
「あんたも、人に説教できるようになったんだね」
天海祐希婦警が、ため息をついた。
「さあ、窪みも連れてきたし、これを踏んで、元の世界にもどんなさい。その子のこともよろしくね」
あたしは、モエチンに体を乗っ取られていた子に肩を貸して、窪みを踏んだ。最初の一歩は逃げられたが、二歩目は、宮沢りえ婦警が押しピンで停めてくれて間に合った。
「じゃ、行きます!」
「ありがとね」
「気を付けてね」
そして、窪みを踏むと、交番は一瞬で無くなり、あとには小さなお地蔵さんの祠があるだけだった。
モエチンに乗っ取られていた子は、何事も無かったように、あたしの肩を離れると行ってしまう。
「さあ、行くか……」
そう呟くと足もとに気配。
例の窪みが押しピンで留められてジタバタしている。すると空中から上戸彩女性警官が上半身だけ出して、押しピンがささったままの窪みを確保した。
「じゃ、清水さん。元気でね」
最後は、バイバイする手だけ残して、やがて、その手も消えてしまった。
祠の中を覗くと、もうカタチも定かではない三体のお地蔵さんが見えた。
あたしは、軽く手を合わせると家に向かって歩き出した。
クセでポケットのスマホを取りだす。
「フフ、あんたも分かってんじゃん。ちょうど電池切れ。ま、うまく付き合っていこうよ」
相棒をポケットにしまうと、あたしは、しっかり前を向いて歩き始めた……。