ライトノベルベスト
高安という街をご存じでしょうか。
大阪の環状線鶴橋で近鉄大阪線に乗り換え、準急で三つ目の駅が高安です。
駅前には、時おり『高安関を応援しています』のポスターが出たりしますが、残念ながら、関取の出身地ではありません。たぶん、同じ名前と四股名なので、その縁で応援しているんでしょう。
この街で買い物したら、高いか安いか分からないから高安……オヤジギャグです。
ピンと来ない……そうでしょうね。
わたしも先祖代々住んでいながら、中学のクラブで習うまでは知りませんでした。
江戸時代は、旧淀藩の領地……淀藩が分からない。でしょうね、淀の競馬場があるところ。少し分かります?
桃山時代には淀君の淀城があったところ、そこの領地でした。
戦国時代は教興寺の戦いという機内最大の合戦が行われました。畠山氏と三好氏の戦い……また、分からなくなりました?
教興寺自体、蘇我氏と物部氏が対立していたころに、蘇我氏側に付いた聖徳太子が建てたお寺……興味ないか。
じゃ、これは?
世の中に たえて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし
聞いたことあるでしょ?
古今和歌集に出てくる在原業平……ざいげんぎょうへい、ではありません。
ありわらのなりひら。
在原業平は平城天皇の第一皇子で、桓武天皇の孫。桓武天皇ぐらい知ってるでしょ、平安京を作った天皇さま。
その孫で、場合によっちゃ、天皇にも成れた人だけど薬子の変に巻き込まれて在原って苗字もらって臣籍降下したやんごとないお方……。
ああ、しんど!
ここからは自分の言葉でやらせてもらいます!
あたしは、府立OGH高校(大阪国際高校)の一年生、近所に『高安女子高生物語』の佐藤明日香やら、作家の大橋むつおさんやらが居てます。まあ、どっちもパッとせん人らやから言うても分からんかもしれませんけど。
問題は、在原業平なんです!
この人はめちゃイケメンの貴公子で、モテまくった人です。
この業平さんの恋人が高安におって、毎日業平さんは奈良の都から、生駒山を越えて、この高安のメッチャ可愛い恋人に通い詰めた。
今でも、それが業平道いうて残ってるんです。
イケメンにありがちなことやねんけど、ええ女にはすぐ惚れる。
業平クンも高安の彼女のとこに通うてるうちに、通り道にある御茶屋さんの娘さんに惚れてしもた。
毎日、この茶屋で休憩しては、ええ子やなあと思た。茶屋のオッサン、オバハンも「ひょっとしたら玉の輿!」と、ほくそ笑んだ。
ところが、ある日、業平道を奈良の方から歩いてくると、茶屋の二階東の窓から、そのええ子が、大口開けて饅頭食べてるとこを見て興ざめ。
茶屋のオッサンとオバハンは「ああ、しもたあ!」と嘆いたけど後の祭り。
それから、高安では二階に東向きの窓を作らんようにした。
長い前説ですんません。
うちの家は、お祖父ちゃんが亡くなってから改築した。うちの部屋はネボスケのあたしが目ぇ覚めるように、東側に大きな窓を付けた。ちなみに、業平伝説を知ったのは、改築が終わってから(^_^;)
話は飛ぶけど、うちの町内に在原亮介いうイケメンのニイチャンが居った。
近所では、関根いうニイチャンと一二を争うイケメンやった。
近所の明日香ねえちゃんが関根ニイチャンに気ぃあるのは子どもの頃から知ってたけど、人の恋路にクビ突っこむほどお人好しでもイケズでもない。
問題はうちのこと。
去年の春、ゆっくり寝てて、お母さんが窓開けてるのも気ぃつかんと、うちは着替えよ思って、パジャマの上を脱いだ。ほんなら、窓の外から視線を感じた。
「あ、亮介のニイチャンや!」
そう感動すると同時に、上半身スッポンポンやいうのに気ぃついた。
自慢やないけど、あたしの胸はかっこええ。
ハズイと思うと同時に「見せたった!」いう気持ち。で、乙女らしくカーテンの影に身を隠した。
ここまでは、良かったんやけどなあ……。