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佐倉艇長は運が悪いと思った。
機関の調子が少し怪しく、三週間後には佐世保のドックで本格的なオーバーホールを受けることになっていた。
念のために繰り返すが、佐倉艦長ではなく佐倉艇長である。
つまり、彼がキャプテンを務める船は音で読めば皮肉にも佐倉と同じミサイル艇『さくら』なのである。
数年前から、南西諸島の警備配置につき、不審船や密猟漁船が出るたびに空自でいうスクランブル出動をやっている。
二年前までは海保の仕事であったが、沿岸警備法が改正され、自衛隊も、この任務に就くようになった。
軽武装の海保よりも、200トンとは言え外国で言う軍艦籍である自衛艦の方が押し出しが利くという政治家の思惑からで、実際はC国をいっそう刺激し、彼をしてより強固、強力な軍艦の出動に口実を与えただけだった。
C国海軍の増強充実ぶりは目覚ましいものがあり、3000トンクラスの汎用駆逐艦を、多いときは五隻ほどでS諸島方面に頻繁に出撃させ、三回に一回は領海侵犯をやる。
今もさくらは、衛星からの情報を得た。南西護衛隊群の司令から緊急出動を命ぜられ、現場へ全速の44ノットで急行しつつあるところだ。
「艇長、2ノットほど落としてもらえませんか、どうも主機の音が怪しい」
「……わかった。42ノットに減速」
これが、運の悪さの始まりだった。
「艇長、C国艦隊の三隻が離脱していきます」
「こんなチョロ船相手には二隻で十分ってか!」
船務長兼副長が吐き捨てるように言った。
「熱くなるな副長。オチョクラレにいくのが我々の任務なんだ。二時間も張りついていれば、いつものようにずらかるさ」
ところが、その日はいつものようにはいかなかった。
「艇長、C国の残存艦は昆明級が二隻です!」
見張り員がレーダー手が艦種を特定する寸前に言い当てた。
「やれやれ、横綱二人に子供相撲一人か」
――ここは日本の領海内です、速やかに領海内から退去してください――
さくらは、きれいな人工音声、それもC国の有名女性歌手に似た音声で、C国語、英語で繰り返した。
M党が政権を握っていたころ、自衛艦はC国の軍艦に20キロ以上近づいてはいけないことになっていたが、今の政権になって4キロにまで縮められた。
これは、言いなおせば、以前は20キロでよかったものが4キロという至近距離まで接近しろということで、現場には辛い指示だった。
「艇長、もう一時間になりますが、なんの反応もありませんなあ」
副長が、さっきの意気はどこへやら。諦めたように言った。
「腐るな、こうやってオチョクラレているのが仕事だ」
佐倉艇長は意識的にのんびりと言った。
「艇長、C国艦二隻が射撃管制レーダーを照射してきました!」
「なに!?」
狭いブリッジが緊張に包まれた。
「逃げますか?」
「相手はそれを狙っている、このまま並走」
貧すれば鈍すで、主機が半分エンコした。
「当て舵で20ノットが精一杯です」
機関長が音を上げた。
「C国艦、主砲を我に向けつつあり!」
今や敵と言っていいC国艦が130ミリの主砲を向けてきた。人間で言えば、銃を向けて撃鉄を起こしたのに等しい。
「通信、南西護衛隊あてに映像を付けて送れ。ワレC国艦二隻に射撃管制レーダーを照射され追尾されつつあり、指示を乞う」
6000トンのC国艦二隻は、さくらの主機が故障したことを悟り、挟み込むようにして、追尾してくる。護衛隊からは、ただ離脱せよと言い続けてくるだけであった。
「C国艦、対艦ミサイル発射準備の様子!」
佐倉は、ブリッジから、C国艦の垂直ミサイル発射セルを見た。確かに二隻とも、発射筒の蓋が開いている。
佐倉は軍事国際法を頭の中で反芻した。そして結論に達した。
「砲雷長、対艦ミサイル発射ヨーイ、射撃管制始め。発射と同時にチャフ!」
「ヨーイよし!」
打てば響くような答えが返ってきた。
「テーッ!」
さくらの艇尾の二基の対艦ミサイルセルからミサイル、同時に大量のチャフが散布された。
C国艦は一瞬うろたえた、まさか日本の海自が反撃してくるとは思わずオチョクッていたのである。
一瞬の混乱の後、C国艦はミサイルと艦砲射撃を同時に始めたが、チャフのためレーダーが効かず、130ミリ砲の初弾が至近弾になったところで大爆発を起こした。さくらのミサイルが直撃したのである。わずか五秒の勝負であった。
佐倉艇長は、国会で喚問を受けるはめになったが、彼が東京に着く前に南西戦争がおこってしまった。
戦争は三日で方が付いたが、歴史に『南西戦争』と『西南戦争』の二つが並ぶことになり、引っかけ問題の典型となった。
佐倉艇長は防衛駐在官としてアフリカ某国に飛ばされ、南西戦争の象徴であるさくらは解体されてしまった。
この措置により、実戦では勝利したにも関わらず、C国を始めとする諸外国は我が国を軽んずるようになってしまい『さくらする』という言葉が、その年の流行語大賞になった。自分のために引っ越しや転校を余儀なくされる家族には申し訳ないと思う佐倉艇長であった。
俺の女に手を出すな!
夕闇迫る屋上に俺の声が響く。瑠理香も高階もギョッとしたように俺の方を向いた。
「な、なによ真二くん!?」
「なんだ佐倉!?」
二人とも驚いているが、高階の声には侮蔑の響きがあった。
俺は続けた。
「瑠理香は俺の彼女だ! そうだろ瑠理香!」
「え、あ……えと……うん」
なんだか気乗り薄な声で小さな返事。聞きようによっては迷惑そうに感じる。
「……吉沢さん、あんまり気乗りしてないね……ひょっとして、佐倉の一方的な思い入れ?」
弱気な瑠理香の態度に――こいつは大したことはない――とふまれたようだ。
俺は実直な学級委員長という以外には取り柄のない男だ。このままでは次の瞬間、高階に蔑まれておしまいになる。
「瑠理香は恥ずかしがってるだけだ。そうだろ!?」
「あ……えと……」
「なんだか嫌がってるようにも見えるけど」
「それは……いくところまで行った関係だから、恥ずかしがってるだけなんだ!」
「ほう、行くところまで行った関係って、どんな?」
高階は完全にバカにしてきた。
「そ、それは……だ、男女の関係にあるってことだ!」
「「男女の関係!?」」
「肉体関係だあああああああああああああああ!!」
「に、に・く・た・い……」
瑠理香の顔が真っ赤になる。
俺は全開になった。
「る、瑠理香の右股の付け根にはハート形のホクロがあることだって知ってるんだぞ!」
「え、え、真二くん……!?」
瑠理香はスカートの前を押え、火を噴きそうな顔でワナワナと震え出した。
「え、え、マジなの吉沢さん?」
瑠理香の表情は否定していない、だって事実だから。
「どうよ、勝負はついたな、諦めろ高階!」
俺は唇をゆがめて勝利の微笑みを向けてやる。
「コッノーーーー!」
バチコーン!
思いっきりのパンチを食らわせてから、高階は階段を駆け下りて行った。
「イッテーーーでも、これで高階は言い寄ってこないよ」
「こ、こんなやり方は頼んでないわよ!」
「いや、だって、こうでも言わなきゃ見透かされてたよ」
「フン、父親の真似して、さくらするんじゃないわよ!」
「お、親父は関係ないだろ」
「あ、あんた、どうしてホクロなんて言ったのよ、高階くん本気にしたじゃん!」
春先の風の強い日に、瑠理香のスカートが翻って目に焼き付いていたのをとっさに言ってしまったんだ。
事実だったからこそインパクトがあった。そのことを言うと。
「死ねええええええええ! このさくらするーーーめっ!」
バチコーン!
また張り倒された。
俺は、家庭の事情で明日転校する。
だから、高階を諦めさせる役を引き受けたんだ……ま、いいけどな。