お茶の盆を左に持ち替えてノックしようとしたら聞こえてしまった、ドアが半開きに。
「白石優奈という子は、イヤな子なの。このまま大人になっても人の災いになるだけ、だから終わりにしようと思ったの」
「どうして、そう思っちゃうのかしら?」
気づいたら口にしていた。
「あ、お邪魔してます。さくらさんにはお礼の言いようもないんですけど……」
「ごめんなさいね、つい聞こえちゃったもんだから。どうぞ二人で話してちょうだい」
お茶とお菓子を置いて、部屋を出ようとしたら優奈ちゃんが立ち上がった。
「よかったら、お母さんも聞いていただけません?」
「……え、ええ、いいわよ」
半分はさくらと同い年の子が死のうとまでした悩みを放っておけない気持ちから。もう半分は作家のハシクレとして。
「えと……どこから話そうかしら……」
「白石優奈って子がイヤになった……あたりから、どうかしら?」
さくらが整理した。わたしは優奈ちゃんと並んでベッドに腰掛けた。
「あたしって、外面だけの人間なんです。自分で言うのもなんなんですけど、頭の回転は早い方……だから、人の話の先回りをして、適当なこと言って、人を惑わしちゃうんです……」
「たとえば?」
「中学の時、進路に自信のない友だちがいて、あたし、いい加減に励ましたんです『あたしが付いてるから、いっしょに帝都受けよう』って」
「あ……」
さくらは、その子を思いついたようだった。
「分かっていても、名前は言わないで。匿名の一般論として話したいから」
「うん……」
「その子、勉強が着いていけ無くって、もうじき学校辞めるんです。来年の春に別の学校受けるって言ってますけど、ずっと家に引きこもったまんまで……あと、着るものや、お昼の食堂のメニューまで、人のやることに干渉しちゃうんです」
「食堂で、白石さんのこと見かけたことあるけど、そう言うのって『頼りにされてる』って言うんじゃないかな」
「このままだったら、この先、もっと人に迷惑かけるわ。進路とか、恋人の善し悪し、結婚相手、果ては、その結果生まれてくる子まで……あたしが悪い影響を与えてしまう」
「考え過ぎよ、白石さん」
「もう少し優奈ちゃんの話聞こう。まあ、お茶でも飲んで整理してみて」
「あたし、百回生まれ変わったんです。前世はバブルのころが青春時代でした。仲間引き連れてジュリアナのお立ち台で踊ってました。不動産で儲けて、自分を含めてお金の値打ちが分からない人間いっぱいにして、その絶頂で気づいてリセットしたんです。その前は、女性解放運動の闘士。その前は国防婦人会のトップにいました。あれは比較的長い人生でした。夫がいました。陸軍の統制派の軍人で、わたしは夫の尻を叩いて、対米戦争をやれとハッパを掛けていました。石原 莞爾閣下のお茶に下剤を仕込んで大事な会議に遅刻させたのも、わたしです。結果、日本は無謀な戦争に走ってしまいました。それから……」
「それは、思いこみよ」
わたしは制止した。
「……言われると思いました。前世があると思うのは、おかしいですもんね」
「人間に前世なんてないわ。あるのは、今の自分だけよ」
「でも、あたしには記憶があるんです」
「優奈ちゃん、ちょっと外の景色を見て。そして、一番目に付いたものを言って」
「……スカイツリーです」
「じゃ、十数えて、部屋の襖を見て……どう、スカイツリーが襖に見えたでしょう」
「残像ですね」
「そう。このベッドを持ち上げると、フローリングの床が、そこだけ若い。さくら、そこの本棚の広辞苑出して」
「うん、これ?」
「うん。ほら、このカバー、他の本に隠れていたところだけ日に焼けてないでしょ。これも残像」
「残像……?」
「そうよ、景色や空間にも残像が残ると、あたしは思うの。大きな事件が起こると空間に残像が残るの。それが感覚の鋭い人には、幽霊や、時代を超えた透視能力のように感じられる。それを自分自身の中に感じると、まるで前世であったように感じてしまう」
「でも……」
「あなたは鋭すぎるのよ。さくらはボーっとしてるわりには衝動的に動いてしまうタイプ。優奈ちゃんみたいな人が友だちでいてくれたら、足して二で割って、いい感じになるんだけど」
「……」
二人とも黙り込んでしまった。
「理屈じゃ分からないわよね。実際やってみれば分かる。さっき言ってたひきこもりの子、お日さまの下に引っぱり出してごらんなさいな。多分あなたの認識変わると思うわよ」
頭のいい子なので、オウム返しの返事などしなかったけど、やってみようという気になったことが目の色で分かった。
さくらは優奈ちゃんを駅まで送っていった。その姿を見ていると、やっと花が付き始めた桜の若木に見えた。わたしの残像。
洗濯物を干して、本業の本書きにかかった。