ライトノベルベスト
還るって字に期待した。帰るというお気楽な字ではないから。
帰還の還だぜ。昔なら兵隊さんが戦争に行って、男の戦いをやって帰って来るときに使った言葉だぜ。
ネットで調べたんだけど、昔シベリアに抑留されていた軍人や軍属の人たちが日本にかえってくるときに『シベリア帰還兵』なんかに使った言葉だ。帰を前座に、真打ちにドッシリと構えた『還』だ。「還御=天皇・上皇などの貴人が外出先から居所に帰還することを言う」ってのもあった。とにかく、強い決心、尊い存在、切望される帰還、帰ってきたら、みんな旗振って迎えてくれる。そんなプラスのイメージをいっぱいまとった言葉だ。
その言葉を使って、あんたは言ったんだ。「クリスマスには還る」って……。
あれから、もう十か月。
でも、あんたは還ってこない。連絡もアネキにだけだ。
なんで、あのクソアネキにだけは連絡してんだよ。もう二十四にもなろうって女が、セーラー服まがいのチャラチャラしたの着て、短いスカートひらりさせてパンツなんか見せやがって。弟として恥ずかしい。
昨日はブログの更新の日だったんで、思いっきり書いてやったぜ『セーラー婆あとオレ』ってさ。どうしようもねえ姉の有ること無いこと書いてやったら、アクセスPV:2500、IP:875だぜ。さすがに、イニシャルにしてやったけどさ。こんないかれた姉弟ねえもんな。
世間は、自分よりアホな奴と、ひでえ境遇を見たり読んだりして喜んでんだよ。
チ……またあいつが覗いてやがる。
三つ隣の田中って家の黒猫。
子猫のときはかわいがってやった。あそこの美紀とはクラスがいっしょだったから。
「もらってきたネコなんだけどカワイイでしょ!」
「お、やっと目が開いたぐらいじゃん。あ、名前当ててやろうか!?」
「え、アッチャンにわかるかなあ?」
「あのな、前から言ってるけど、その呼び方すんなよな。オレは昔のAKBじゃねえんだから」
「だって、敦夫君なんて、小学生みたいでしょ? アー君……」
「アハハハ!」
思わず笑っちまった。あのころのオレは隙だらけの目出度い男だったからな。
で、子猫の名前は一発で分かった。
『ジジ』だ。美紀はジブリファンだったから、黒の子猫と言えば、それしかない。
「当たった、すごい。アッチャン!」
で、名前の由来を説明してやると、笑いやがんの。
「いつまでも、魔女の宅急便じゃないわよ。この子ね、鳴き声がオジイチャンみたいなの。それで『ジジ』」
「ほ-」
そう言って、頭を撫でてやると、なるほど年寄りみたいな声で鳴きやがる。
そいつが、大きくなって、ベランダづたいに時々通る。
そして、おれが、その気配に気づくのを待ってやがる。
それからは、にらみ合いだ。
おれは、ジジの「なにもかも知ってるぞ」という目が嫌いだ。
一度ブチギレて、ベランダの手すりから帚で落としてやったことがある。
残酷? 死にやしない。ここは一階だもん。
飼い主とは、この一年ほど口をきいていない。ゴミホリなんかで一緒になっても(オレって、割にきれい好きなんだぜ)微妙にタイミングずらして、目を合わせないようにしやがる。フェリペなんて、名前だけのお嬢学校に行くからだ。
オレは、二回目の二年生、それも留年確定。
ま、いいじゃん、選挙権持ってる高校二年生なんて、そうザラにはいない。そこまで勝負してやるぜ。
めずらしくアネキが早帰り。
キャップ目深に被って、やっぱ世間の目が気になるんだろうな。二十四にもなって、セーラー服まがい。まともにお天道様おがめねえんだろ。でも、アネキといえど女だ。オレは優しく声を掛ける。
「お姉ちゃん、風呂入るんだったら、用意するけど」
「ありがと、お願いするわ」
で、オレは、セーラー婆あのために風呂掃除して、湯を張ってやる。
入浴剤を入れて完ぺきに仕上げて洗面にいくと、アネキが早くも、ほぼスッポッンポン。
「いくら姉弟でも、たしなみってのがあるだろ」
「だったら、ジロジロ見ない」
「もう、今の稼業考えなよ」
閉めたカーテン越しに言う。
「アッチャンには、分かんないの、お姉ちゃんなりに……」
あとは、くぐもった鼻歌とシャワーの音で聞こえない。
「明日から博多、二日は帰らないから、アッチャンお願いね」
「ああ、いいよ」
「それから、あのブログ傑作だったね!?」
「あ、バレた?」
「バレるよ。イニシャル出てんだもん。文才あるって、秋吉先生も言ってた。今夜、セーラー婆あってバラして、ブログにしとくわね……」
そう、オレ……いや、ボクは文章にだけは自信があった。
定期考査の問題を添削して国語の先生に見せたら嫌がられた。あのときも……翻りて、と、翻してで顧問ともめた。で、あれが、学校から足が遠のく原因になった。ボクは、もう演劇部はこりごりだ……。
「ねえ、聞いてる。今度ブログまとめて単行本にするの。アッチャンのも載せていいよね。出典が明らかにならないと面白くないもんね。並のアイドルの本にはしたくないのよ……」
ピンポーーン
その時、ドアのチャイムが鳴った。
「アッチャン出てよ」
「え、あ、うん」
玄関ホールには、一年遅れのサンタクロースが立っていた。
南西諸島を日夜警備している、白にブルーのストライプを入れた船の船長が還ってきた……。
この人には、並の言葉は通じない。
本当は、もっとたくさんの言葉をシャウトしたいのに。
「ただいま」
「おかえりなさい……」
親子の会話は、それだけだった。
リビングでは父と娘が邂逅を喜び合っていた……。