須之内写真館・50
『窓ぎわのトッちゃん・2』
「ひょっとして『窓ぎわのトッちゃん』さんですか?」
トッちゃんは感に打たれたように頷いた……。
「あたし、今日で仕事辞めるの。その記念というのもなんだけど、ネットのあの文章だけで人が来るかどうかの実験してたの。嬉しいわ、ほとんど諦め掛けていたから。あ、あたしA新聞のカメラマンで、和田俊子って言います」
「和田俊子……聞いたことあります。新聞社の女性カメラマンの草分け的な方ですよね」
「ハハ、わがまま言いたい放題やってたら、世間が、そういう風に言うようになっただけ。普通のオバチャンだわよ」
「あたしは……」
「知ってる。須之内写真館の直美さんでしょ。『かが』のテロ事件で有名になっちゃったけど」
「いや、お恥ずかしいかぎりです」
春めいた日差しに、直美たちのベンチのそこだけが、日だまりのようになってホンワカしていた。
「今日で、お辞めになるんですか?」
「ええ、窓ぎわでいるよりは、この方が潔いと思って。でも、こう見えて寂しがり屋だから、最後に賭けてみたの。あのネットの文章で、貴女みたいな人が来るかどうか。須之内さんが来てくれて、ほんとにラッキーだったわ」
直美の後ろの桜だけが満開だったが、不思議にも思わなかった。そして、質問にはハッキリ答えていないことが気になった。
ちょうど昼時になったようで、道路向こうのA新聞の社屋から、三々五々社員達が、広場にやってきた。だが、和田俊子に気づいて挨拶するものが、だれもいない。
「ハハ、こんなものよ。窓ぎわのトッちゃんだもん」
「それにしても……和田さんと言えば、男社会だった報道カメラマンに女性の地位を確立した人じゃありませんか。その大先輩に失礼です」
「これでいいのよ。カメラマンの仕事って、過去に何をしたかじゃない。今、なにをしているかなのよ。あなたのようにね」
「かがの件は、たまたまです。あたしはしがない写真館の娘で、フリーという無名のカメラマンです」
「あなたの写真は現代を切り抜いているわ。大阪のストリートミュージシャンも、川崎のキューポラのある街角も、柔らかいけど、するどく現代を切り抜いていたわ」
「恐縮です」
「あなたは、事件じゃなくて……むろん事件も撮っているんだけど、第一の視点が人間にある。で、写された人間を見ると、おのずから事件も見えるようになっている。素敵なことだと思うわ」
「ありがとうございます」
俊子が微笑むのと、救急車のサイレンがなるのが同時だった。
「ちょっと、なにかあったみたいね」
俊子の目は、報道カメラマンのそれになり、肩に掛けたバッグからカメラを取り出すと、救急車の方に駆け出した。直美もカメラマン根性では負けてはいない。カメラを持つと俊子の後を追いかけた。
「……そ、そんな」
直美は、訳が分からなかった。救急隊員の担架にかつがれて救急車に運ばれていくのは、俊子そのものだった。救急隊員は、心臓マッサージを続けているが、助からないであろうことは顔色から察せられた。
「窓ぎわになるわけよね。自分が死んだのにも気が付かないんだから……ハハハ」
「和田さん……」
「名実共に、あたしの時代は終わったわ。これからは、須之内さん。貴女達の時代よ……じゃ、あたしは救急車と、いっしょに行くわ……」
そう言って救急車に乗り込みながら、その姿はおぼろなものになっていった。
「あたし、ちゃんと受け継げたんだろうか……」
一瞬、走り出した救急車のウインドから、にこやかな俊子の顔が見えたような気がした。
須之内写真館 第一期 完
『窓ぎわのトッちゃん・2』
「ひょっとして『窓ぎわのトッちゃん』さんですか?」
トッちゃんは感に打たれたように頷いた……。
「あたし、今日で仕事辞めるの。その記念というのもなんだけど、ネットのあの文章だけで人が来るかどうかの実験してたの。嬉しいわ、ほとんど諦め掛けていたから。あ、あたしA新聞のカメラマンで、和田俊子って言います」
「和田俊子……聞いたことあります。新聞社の女性カメラマンの草分け的な方ですよね」
「ハハ、わがまま言いたい放題やってたら、世間が、そういう風に言うようになっただけ。普通のオバチャンだわよ」
「あたしは……」
「知ってる。須之内写真館の直美さんでしょ。『かが』のテロ事件で有名になっちゃったけど」
「いや、お恥ずかしいかぎりです」
春めいた日差しに、直美たちのベンチのそこだけが、日だまりのようになってホンワカしていた。
「今日で、お辞めになるんですか?」
「ええ、窓ぎわでいるよりは、この方が潔いと思って。でも、こう見えて寂しがり屋だから、最後に賭けてみたの。あのネットの文章で、貴女みたいな人が来るかどうか。須之内さんが来てくれて、ほんとにラッキーだったわ」
直美の後ろの桜だけが満開だったが、不思議にも思わなかった。そして、質問にはハッキリ答えていないことが気になった。
ちょうど昼時になったようで、道路向こうのA新聞の社屋から、三々五々社員達が、広場にやってきた。だが、和田俊子に気づいて挨拶するものが、だれもいない。
「ハハ、こんなものよ。窓ぎわのトッちゃんだもん」
「それにしても……和田さんと言えば、男社会だった報道カメラマンに女性の地位を確立した人じゃありませんか。その大先輩に失礼です」
「これでいいのよ。カメラマンの仕事って、過去に何をしたかじゃない。今、なにをしているかなのよ。あなたのようにね」
「かがの件は、たまたまです。あたしはしがない写真館の娘で、フリーという無名のカメラマンです」
「あなたの写真は現代を切り抜いているわ。大阪のストリートミュージシャンも、川崎のキューポラのある街角も、柔らかいけど、するどく現代を切り抜いていたわ」
「恐縮です」
「あなたは、事件じゃなくて……むろん事件も撮っているんだけど、第一の視点が人間にある。で、写された人間を見ると、おのずから事件も見えるようになっている。素敵なことだと思うわ」
「ありがとうございます」
俊子が微笑むのと、救急車のサイレンがなるのが同時だった。
「ちょっと、なにかあったみたいね」
俊子の目は、報道カメラマンのそれになり、肩に掛けたバッグからカメラを取り出すと、救急車の方に駆け出した。直美もカメラマン根性では負けてはいない。カメラを持つと俊子の後を追いかけた。
「……そ、そんな」
直美は、訳が分からなかった。救急隊員の担架にかつがれて救急車に運ばれていくのは、俊子そのものだった。救急隊員は、心臓マッサージを続けているが、助からないであろうことは顔色から察せられた。
「窓ぎわになるわけよね。自分が死んだのにも気が付かないんだから……ハハハ」
「和田さん……」
「名実共に、あたしの時代は終わったわ。これからは、須之内さん。貴女達の時代よ……じゃ、あたしは救急車と、いっしょに行くわ……」
そう言って救急車に乗り込みながら、その姿はおぼろなものになっていった。
「あたし、ちゃんと受け継げたんだろうか……」
一瞬、走り出した救急車のウインドから、にこやかな俊子の顔が見えたような気がした。
須之内写真館 第一期 完