〔ピンク色の防寒ジャケット〕
コンビニを出て自転車に跨ったところであった。
「おかあさ~ん!!」
悲惨な声で呼ばわりながら、複々線の踏切をピンク色の防寒ジャケットが、ピョコタンピョコタンと駆けながら渡ってきた。
場所はT町の駅前で、名ばかりの対面通行路。大阪市内なら完全に一方通行になるような道であり、踏切である。
幼児というのは、ただでさえ自分の前しか見ていない。
踏切を渡る車の運転手や通行人は、危なかしそうに、その女の子を見ながら踏切を渡っていく。
踏切を過ぎると三叉路になっており、付近に「あかあさん」らしき人が見えないので、その子の進路の可能性は二つしかない。
駅前で左折するか、そんまま直進し名ばかり体面交通のこの道にやってくるか。直進されれば、わたしの自転車ともろに行き違う。
歩道を含めてやっと道幅五メートルほどのところをピョコタンピョコタン泣きながらやってこられては、交通量が多い踏切ではとても面倒だ。
ピンク色の防寒ジャケットは、運よく左折した。わたしも左折して家に帰る。
ピンク色の防寒ジャケットは、その子にはいささか大きく、フードをしていなくても頭の上半分しか見えず、折り返しが解けてしまった袖口からは手の先も出ていない。泣き叫んでいるのと着丈が大きいので、その子の視界は、ひどく狭い正面だけである。
左折の道も狭いので、下手に追い越すわけにもいかず、ノロノロと女の子のあとを付いていく。その子の前には母親らしき人の影が見えない。
踏切からこっち、その子は、わたしが気づいてからだけでも二百メートルは走っている。でも、ペースがちっとも落ちない。ノロノロとはいえ自転車は八キロぐらいの速度が出ている。距離が縮まらないので、その子は八キロ以上の早さで走り続けていることになる。
子供の体力と言うのは大したものだ。
ちなみに大阪では、こういう光景は珍しくない。
子どもがぐずり倒すと、親、とくに母親は無慈悲にも子どもをほっぽらかして、さっさと前を行く。しかし、このピンクの防寒ジャケットの母親の姿は、なかなか見えない。
線路沿いに緩く「へ」の字に曲がった先に子供用シートを後ろに付けた自転車が見えた。どうやら、それが母親のようである。
子どもの叫び声が「おかあさ~ん!」から「のりたい~!」に変わった。
なにか、踏切の向こうでいざこざになり、ピンク色の防寒ジャケットは自転車のシートに乗せてもらえなかったようだ。
「もう、仕方のない子ね!」
他の地方なら、母親は、ここらへんで音を上げて、子どもを自転車に乗せてやる。河内のオカンは腹が据わっている。「のりたい~!」を無視し、そのままの速度で自転車を転がしていく。
――きついオカンやなあ――
生まれながらの河内原人であるわたしでも、そう感じ始めた。
オカンの自転車は、道に面した別のコンビニの駐車場に乗り上げたところで、やっと止まった。
「さっさと、乗りーいな!」
そう言うと、ピンク色の防寒ジャケットは器用に自分の背丈ほどのシートに収まった。
オカンは、なんだかんだ言いながら、安全な場所まで子どもを誘導していた。さすがは、アッパレ河内のオカンである。
オカンは、ピンク色の防寒ジャケットを乗せると、暴走女子高生並のスピードで、はるか先までいってしまった。
さらに三百メートルほど行った先で右折。そこでくだんの母子を発見。
「乗りたい~!」の雄たけびはまだ続いていた。
母子の前にはマンション風。どうやらお住まいのようである。
しかし、念願の自転車に乗って、さらに続く「乗りたい~!」
どうやら、ピンクの防寒ジャケットは自転車ではなく、別なものに乗りたかったようだ。
憧れの近鉄特急か、たまたま見上げた空を飛んでいた飛行機か……。
「もう、この子は!」
オカンが思わず手を上げた。ピンク色の防寒ジャケットはビクともしない。オカンの手は空中で止まった。母子の呼吸で「これは本気でどつけへんな」と読んでいたのかもしれない。
すれ違いざま、ピンク色と目が合った。
「見てたなあ!」
そんな顔をして、また泣きわめき始めた。オカンはピンク色の防寒ジャケットを横抱きにして、マンション風の中に消えた。
ピンクの雄たけびと、オカンのイマイマシサが、しばしの北風を忘れさせてくれた。