REオフステージ (惣堀高校演劇部)
122・大お祖母ちゃん・2
「どこまでが家の山か分かるかい?」
ハーー ハーー ハーー
まだ息も整わないわたしは声も出せない。
知ってか知らでか、大祖母は答えを急かせもせず、上りきった松井山の頂で巌のように立っている。
年が明ければ米寿という大祖母松井美(よし)はまるで山の精霊の長ようだ。
夕べは、この大祖母に気圧され、言いたいことの半分も言えなかった。
予想していたことなので制服を着てきたのだ。古いだけしか取り柄のない惣堀高校だけど、わたしが松井家四十六代目当主である松井美に対抗するには、この制服しかない。
「児童、生徒であるうちは須磨自身に決断させることはしない」
大祖母の言葉があったから、わたしは些細な事件を起こして停学になり、以後卒業することもなくタコ部屋で留年を繰り返してきた。
大祖母に須磨が寄って立つ場所は学校しかない。
いずれ、大祖母の方から折れるか諦めるかして母や祖母のように自由にしてもらえると思った。
しかし、大祖母は諦めていなかった。
母も祖母も須磨の年頃に瀬戸内の家を捨てた。大祖母も若かったので娘と孫のわがままを許した。二人とも松井の名前を捨てようとしたが、大祖母は、それだけは許さなかった。松井の姓から逃れられないということは松井家嫡流としての責務からは逃れられないということを示している。
「継体天皇は応神天皇の五世孫であった」
十余年前、甲州の屋敷に行った時、祖母と母と三人並んだところで言われた。
「だけど、五世の末まで待てるほどの長生きはできないよ。いま直ぐにとは言わないが、ゆくゆくは須磨に松井家当主の座を譲りたい」
「それなら、お祖母ちゃん、わたしが家に戻ります」
母の美代は、それまで俯いていた顔を上げて宣言した。いつも軽すぎるくらいに陽気な母がNHKの女性アナウンサーが皇室に関わるニュースを言うような穏やかさで言った。
「美代は俗世間に馴染みすぎている、素養にも乏しいし、これから磨くには歳も取り過ぎている。美乃(よしの)は言わずもがなだ」
母も祖母も須磨の年頃に瀬戸内の家を捨てた。大祖母も若かったので娘と孫のわがままを許した。二人とも松井の名前を捨てようとしたが、大祖母は、それだけは許さなかった。松井の姓から逃れられないということは松井家嫡流としての責務からは逃れられないということを示している。
「継体天皇は応神天皇の五世孫であった」
十余年前、甲州の屋敷に行った時、祖母と母と三人並んだところで言われた。
「だけど、五世の末まで待てるほどの長生きはできないよ。いま直ぐにとは言わないが、ゆくゆくは須磨に松井家当主の座を譲りたい」
「それなら、お祖母ちゃん、わたしが家に戻ります」
母の美代は、それまで俯いていた顔を上げて宣言した。いつも軽すぎるくらいに陽気な母がNHKの女性アナウンサーが皇室に関わるニュースを言うような穏やかさで言った。
「美代は俗世間に馴染みすぎている、素養にも乏しいし、これから磨くには歳も取り過ぎている。美乃(よしの)は言わずもがなだ」
わたしの横で、母も祖母も畏まるしかなかった。
「須磨の目には光がある、松井家棟梁の光が、須磨なら、まだわたしが育てられる」
「お母さん!」「お祖母ちゃん!」「…………!」
「松井家には信玄公以来、武田家から託された甲州の山々を守る役目があるんだよ。甲州は日本の真ん中、甲州の山を守るということは、とりもなおさず日本を守るということでもある。年端もいかぬ須磨には可哀想だけれど、親子二代にわたって逃げてきたツケなんだ。そうだろ好美、好乃」
「お母さん!」「お祖母ちゃん!」「…………!」
「松井家には信玄公以来、武田家から託された甲州の山々を守る役目があるんだよ。甲州は日本の真ん中、甲州の山を守るということは、とりもなおさず日本を守るということでもある。年端もいかぬ須磨には可哀想だけれど、親子二代にわたって逃げてきたツケなんだ。そうだろ好美、好乃」
「申しわけありません、お母さま……」
祖母は平伏したまま固まってしまった。あんなに苦しそうな祖母は初めてだった。いつも母以上に陽気な祖母が痛ましくて、まともに見ることができなかった。
「まあいい、今すぐにどうこうなるわたしでもない。だが、今度使いを出した時は猶予はないと思っておくれ」
「それはいつ?」
「五年先か十年先か……わたしも人間だ、ひょっとしたら明日になるかもしれないね。ま、それまでは須磨に公に生きることの意味を覚えさせておくれな。朝に道を聞けば夕べに死すとも可なりというからね」
そして一昨日、甲州の使いがやってきた。母も祖母も付いていくと言ったけど、わたしは一人でやってきた。
十余年前の、あの惨めな思いを二人にはさせたくなかったし、大祖母の前で畏まるしかない二人を見たくなかった。
「本来ならお嬢様のご卒業まで待つとおっしゃっていたのですが、もう猶予が無いご様子でして」
使いにやって来た穴山さんの息子は静かに言った。
甲府には制服でやってきた。家を出る前に姿見に映した姿は、ハイス薬局の先輩が作った人騒がせな人形に似ていた。
祖母は平伏したまま固まってしまった。あんなに苦しそうな祖母は初めてだった。いつも母以上に陽気な祖母が痛ましくて、まともに見ることができなかった。
「まあいい、今すぐにどうこうなるわたしでもない。だが、今度使いを出した時は猶予はないと思っておくれ」
「それはいつ?」
「五年先か十年先か……わたしも人間だ、ひょっとしたら明日になるかもしれないね。ま、それまでは須磨に公に生きることの意味を覚えさせておくれな。朝に道を聞けば夕べに死すとも可なりというからね」
そして一昨日、甲州の使いがやってきた。母も祖母も付いていくと言ったけど、わたしは一人でやってきた。
十余年前の、あの惨めな思いを二人にはさせたくなかったし、大祖母の前で畏まるしかない二人を見たくなかった。
「本来ならお嬢様のご卒業まで待つとおっしゃっていたのですが、もう猶予が無いご様子でして」
使いにやって来た穴山さんの息子は静かに言った。
甲府には制服でやってきた。家を出る前に姿見に映した姿は、ハイス薬局の先輩が作った人騒がせな人形に似ていた。
この姿に大祖母は、さぞかし眉を顰める、あるいは叱り飛ばすか……覚悟はしていたけど、大祖母は着替え用の新品の制服さえ用意していた。三年前に買い替えたとは言え、並みの三年生の制服よりはくたびれている。そこまで見透かされたわたしは、あの人形以上にミイラだ。
あの人形はミイラのまま、いまだに部室のトランクの中だけれど、目の前の大祖母は、このわたしを無理やりにでも蘇らせる意志と力を持っている。
「富士のお山を除く全てです」
やっと息を整えて答えた。
「では、存在の危機に瀕している山は……分かるかい?」
「え、えと……」
「富士のお山を含むすべてだよ」
「え…………」
ゆっくり振り返った大祖母は憂いを含んだ眼差しでわたしの肩に手を置いた……
「富士のお山を除く全てです」
やっと息を整えて答えた。
「では、存在の危機に瀕している山は……分かるかい?」
「え、えと……」
「富士のお山を含むすべてだよ」
「え…………」
ゆっくり振り返った大祖母は憂いを含んだ眼差しでわたしの肩に手を置いた……
☆彡 主な登場人物とあれこれ
- 小山内啓介 演劇部部長
- 沢村千歳 車いすの一年生
- 沢村留美 千歳の姉
- ミリー 交換留学生 渡辺家に下宿
- 松井須磨 停学6年目の留年生 甲府の旧家にルーツがある
- 瀬戸内美春 生徒会副会長
- ミッキー・ドナルド サンフランシスコの高校生
- シンディ― サンフランシスコの高校生
- 生徒たち セーヤン(情報部) トラヤン 生徒会長 谷口
- 先生たち 姫ちゃん 八重桜(敷島) 松平(生徒会顧問) 朝倉(須磨の元同級生)
- 惣堀商店街 ハイス薬局(ハゲの店主と女房のエリヨ) ケメコ(そうほり屋の娘)