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寸止めの手を掴まれて、すごい目で睨まれた……。
あの時の緊急プレッシャーが蘇った。
「三林くん、遅刻!」
カワイイ顔して、新任のミカちゃんが、穏やかに言った。
「マジかよ……?」
頭を掻きながら、甘えたヤンキー風に返した。
「遅刻は、遅刻!」
カワイイまんまで、ミカちゃんは厳しく言った。
瞬間むかついた。
で、右手で顔面目がけ、一センチの寸止めを食らわした。
普通の女の子なら、悲鳴をあげるか、逃げ出すか、顔を背け手でガードする。あるいは、その全部をやって泣き出すか。最低でも目はつぶる。国語の藤バーでも目はつぶったぞ。
でも、このミカちゃんは、しっかり目を開けて、カワイク言った。
「寸止めは、立派な対教師暴力よ……」
で、気がついたら、寸止めの手を逆手にねじり上げられた。
「痛いよ、ミカちゃん!」
で、そのまま生活指導室に連れて行かれた。
スポーツ新聞読んで椅子に両足載っけてた梅沢のオッサンが、気を付けした。
「お嬢さん、三林が何かしましたか……」
「顔面寸止め。腰が入ってなかったから、最初から分かってたけど、一応懲戒規定にかかりますから、梅沢先生」
そう言って、突き放されたところを、梅沢のとっつぁんが腰払いで、スプリングの突き出たソファーにフンワリ、グサッと投げ倒された。
「ミカ先生は、オレの師匠のお嬢さんで、合気道の四段だ、失礼こきやがって!」
生指部長の梅沢に、新聞紙を丸めたので、ポコポコどつかれた。
「い、痛いっす。梅沢先生!」
「大丈夫よ、体に傷が出来る前に、新聞がボロボロになるから」
「じゃ、お嬢さん。ボロボロになるまでやらせてもらいます!」
「ひええええええええええええ!」
十五年前の思い出を、瞬間で思い出していた。
「C国潜水艦、魚雷発射管注水つづく!」
先任水測員の山田一曹が、はっきりした声で言った。
「これで、全門の注水か……」
艦長が、ゆっくり穏やかな目のままオレを見た。
「水雷長、水雷要員配置」
「水雷要員、配置つけ」
そう命ずると、二秒で返事が返ってきた。
「水雷要員、配置よし」
「隔壁閉鎖」
「隔壁閉鎖……よし」
緊急プレッシャー。海自始まって以来の潜水艦戦……か。
「C国潜水艦、発射管開く」
山田一曹が、静かに、しかし脂汗を流しながら言った。
「急速潜行、急げ」
「急速潜行、急げ」
操舵手の、徳田一曹が復唱と同時に、艦を急速潜行させた。
体が艦首方向に傾き、反射的に直近の機器にしがみつく。
この反射神経だけは、ミカちゃん先生に負けないだろう。
艦は、一気に水深○○○メートルまで潜行した。乗組員全員の緊急プレッシャーを載せたまま……。
「なってあげてもいいよ。水雷長のお嫁さんに」
いずもの主計課の、水口みなみ三曹が答えた。
「い、いま、なんつった?」
「報告の聞き返しは、幹部の恥!」
そう、オレは、観艦式の展示訓練のために、いずもに乗艦したときから、水口みなみ三曹に一目惚れした。
で、昨日のC国との一件のあと、呉に入港し、艦内の整理をした。そしてデッキに出て、いずもが入港しているのに気づいた。なんたって海自最大の護衛艦だ、ドンガメのおれ達の艦より、よほど目立つ。
運良く、みなみも半舷上陸していたので、呼び出したのだ。
いずもはベッピンが多いが、ミナミは私服になると、アイドルで通用しそうなほどカワイイ。
魚雷全門発射の勢いでプロポーズした。
予想に反して、みなみは沈黙してしまった。
もう緊急プレッシャーである。
で、そのプレッシャーにまつわる思い出の古いのと新しいのが頭をよぎった。
気がつくと、波止場を五百メートルほど歩いていた。
「答は決まっていたんだけどね。いずもの甲板一周駆け足しながら、一日の課業を確認するのがクセになってるの。だから、同じだけ歩いてから、答えようと思って」
「な、なんだ、そうか(^_^;)」
「暑い?」
「ドンガメの中ぐらいにな」
「ねえ、海軍カレー食べようよ」
「え、昨日食ったとこだぞ」
「分かんないかな。今日の婚約を忘れないために食べるんだよ」
オレの緊急プレッシャーは、ようやく溶け始めた……。
令和3年6月18日(金) 三等海佐 三林悟朗