ライトノベルベスト
トキワレジデンスというアパートを曲がって三件目が我が家…………が無かった!
能勢さん、片山さん、吉田さん……能勢さん、片山さん、吉田さん。
やっぱ、おかしい。わが清水家は、片山さんと吉田さんの間にある。
あるはず……なんだけど無い。
ここに来るまで、街に違和感はなかった。
むろん全部の家を覚えている訳じゃないけど、生まれたころから慣れ親しんだ街。変化があればピンとくる。
『実感するところから始めようか。いったん家まで帰ってみて、少しは分かるから』
天海祐希婦人警官は、そう言っていた……このことだったんだろうか。だったらシュ-ルすぎるよ!
ふと、あたしの後ろに気配を感じた。
「え……!」
あたしの後ろに、飛行服のニイチャンが立って、あたしごしに片山さんと吉田さんの間を見つめていた。
「え、君は自分のことが見えるのか?」
飛行服が言った。
「は、はい。あなたも警察関係の人?」
「ちがうよ。僕は鹿屋の第五航空艦隊だ」
「か、カノヤ……?」
「九州の……ま、いいや。やっと話の通じる相手に出会えた。自分は清水太郎上飛曹だ。君は?」
「あ、偶然ですけど、あたしも清水、清水美恵っていいます」
「清水美恵……!?」
「ええ、美しいに恵むって……」
「いっしょだ、自分の妹も、清水美恵なんだ!」
そのとき、宅配便のトラックが、あたしたちをすり抜けていった。
二人の意見が一致して、近所の公園に行くことにした。
「じゃ、君は二郎の孫か!?」
あたしが、名前の由来を言ったら、清水さんが大感激した。
あたしの祖父ちゃんは清水二郎で、名付け親は祖父ちゃん。
なんでも若くして死んだ自分の姉さんの名前を、そのまま付けたらしい。
で、祖父ちゃんは三人姉弟の末っ子で、今は介護付き老人ホームに入っている。子どものころに祖父ちゃんは、いろいろ話してくれたけど、覚えてるのは、あたしの名前は、その大伯母さんからもらったってことだけ。
子どものあたしは、祖父ちゃんには懐いていろいろ聞きたがったらしいけど。
「そんなムツカシイ話は、学校へ行ったらさんざん聞かされるから」
お母さんの度重なるリアクションで、祖父ちゃんも話さなくなり、あたしも聞かなくなった。
むろん、お母さんの言うとおり、学校では『平和学習』とかいって、その種の話は何度も聞かされた。
社会の授業よりつまんないので、その時は、聞くフリ見るフリをして、昔はスマップ。中学ぐらいからは、エグザイルとかAKBとか、頭の中でコンサート開いて目を輝かせていた。高校じゃ、ワイヤレスのアイポッドで、みんなでリアルに聞いてイキイキしていた。
語り部とかいうお年寄りは、あたしたちが熱心に聴いてくれたと勘違いして感動してくれた。
「あなたたちは、一昔前の高校生よりも熱心に聴いてくれました!」
一昔前は、ワイヤレスのアイポッドなんて無かっただけの話なんだけどね。
「で、美恵ちゃんには、あの家が見えないのかい?」
「うん、正直あせってんの、両隣はちゃんと見えてんのに、うちだけ見えないんだもん!」
「自分にはよく見える。変わり果てた家が……」
「そりゃあ、何十年もたってるんだから、家だって変わるでしょ」
「建物じゃないよ。家の在り方さ。なんで四十坪そこそこの敷地に三十坪の家を建てて、玄関が二つもあるんだ」
「ああ、二世帯住宅だから」
「見せたい……見せ物なのか、あの家は?」
「いや、二世帯・住宅。お母さんが結婚するときに、あのカタチに建て替えたんだって」
「どうして……二郎は何か悪い病気でも患っていたのか?」
「いや、そーじゃなくって、普通は、結婚したら別居するんだけどね。お父さん一人っ子だから、その辺で手うったみたい」
「ううん……良く分からん話だが、なんだか淋しい話だな。それに家が見えないというのは困るだろう」
「……でも、その時はその時、また交番に戻る」
立ち上がった拍子にカバンがおっこって、締まりのないカバンから追試準備のプリントがこぼれ落ちた。
「おお、数学か。懐かしいなあ!」
大伯父さんは、感動して、それを拾い上げた。
「あ、それは……」
「まてまて……アハハ。美恵は数学の追試受けるのか!?」
「う、うん。数学って苦手で……」
「数学だけか?」
「あ、他のも苦手っぽい……かな?」
そういうと、大伯父さんは、見たこともないような笑顔で、あたしの頭を撫でてくれた。こんなに優しく乱暴に頭を撫でられるのは初めてだった。なんだか涙がこぼれてきた。
「あ、乱暴にしすぎたかな……」
「ううん。とっても優しくって、気持ちよかった……」
「俺も、妹の美恵を思い出した……そうだ、せっかくだから、この数学教えてやろう」
「ほんと!?」
大伯父さんは、公式の成り立ちから、噛んで含めるように教えてくれた。
あたしは実感した。
教えるってのは、ただ力みかえって、説明することじゃないんだ。いっしょに感動することなんだと思った。
「ありがとう、助かりました……で、嬉しかった。教えてもらってこんなに嬉しかったのは初めて!」
「そうか、じゃ、俺は……自分はそろそろ行くよ」
「え、どこへ?」
「自分は、出撃前に、ちょっと虚無にやられてしまってな。生きているんだか死んでいるんだか分からなくなっちまってな。すると、営庭の、ちょっとした窪みに躓いて、この世界に来てしまったんだ。もうマルロクフタマル。集合時間だ……よかったよ。二郎の孫に、こんな良い子ができるなんて。それだけで、それだけで、自分の命に意味があることが分かった。ありがとう美恵!」
大伯父さんは、いきなり、あたしをハグした。とても暖かくて、力強いハグを。
「じゃ、行ってくる。美恵も、良い子になって、いいお嫁さんになれ。な……」
そう言うと、大伯父さんはきれいに敬礼し、回れ右をして行ってしまい、数秒でその姿は消えて見えなくなってしまった。
こぼれ落ちる涙を持て余した……。