2014年6月19日 <母>
足尾駅から歩いて数分の所にある「古河掛水倶楽部」、
そこに隣接してあるのがこの赤煉瓦倉庫。
駅前に一軒だけあるお店の人に場所を聞いたら、
すぐそこだけど何にも無いよ、建物があるだけだよ、と。
隣の掛水倶楽部は当時迎賓館として華族や政府高官の接待に
使われていたそうで、土・日・祝には見学出来ますが、
重要書類などを収納していた鉱業所事務所の倉庫の方は
何の看板、表示も無く、空地の片隅に佇んでいました。

正面から見ると、顔の様にも見える前面、
その入り口は固く口を閉ざしているかの様。

朽ちて行くのを待っているだけの建物だけど、
往時の繁栄の面影は残っていますね。

その近くに流れていた渡良瀬渓谷は清流でした。
銅の影響は・・・わかりませんが。

足尾の隣の間藤(まとう)が終点。

そしてその先、以前は貨物線として働いていた線路、
今は廃線に。

この手前、車道でいったん途切れた線路がまた続くその先には
驚きの光景が・・・
続きは又あした、ごきげんよう(笑)
足尾駅から歩いて数分の所にある「古河掛水倶楽部」、
そこに隣接してあるのがこの赤煉瓦倉庫。
駅前に一軒だけあるお店の人に場所を聞いたら、
すぐそこだけど何にも無いよ、建物があるだけだよ、と。
隣の掛水倶楽部は当時迎賓館として華族や政府高官の接待に
使われていたそうで、土・日・祝には見学出来ますが、
重要書類などを収納していた鉱業所事務所の倉庫の方は
何の看板、表示も無く、空地の片隅に佇んでいました。

正面から見ると、顔の様にも見える前面、
その入り口は固く口を閉ざしているかの様。

朽ちて行くのを待っているだけの建物だけど、
往時の繁栄の面影は残っていますね。

その近くに流れていた渡良瀬渓谷は清流でした。
銅の影響は・・・わかりませんが。

足尾の隣の間藤(まとう)が終点。

そしてその先、以前は貨物線として働いていた線路、
今は廃線に。

この手前、車道でいったん途切れた線路がまた続くその先には
驚きの光景が・・・
続きは又あした、ごきげんよう(笑)