いよいよ本日より夏休みをいただくこととなりました。
(結局昨日も店に出て書類の不備の訂正をしたりしました💦)
このところブログの更新が出来ず気になっておりましたが、決算が近づき、ある程度の経理的作業を進めなくてはならない事、また頼みのキーボードがまた調子を悪くし、新しい物を買いにいく時間がなかったことなど色々重なってしまい、更新をさせて戴くことなく夏休みを迎えてしまいました。
最近のブログに、梯子乗りのことを書かせていただいたりしたので、ブログの更新がないと「夏美さん、どこからか落っこちていないか?」とか「通勤中に熱中症でぶっ倒れていないか?」など、皆さまにご心配をいただいているようで、かえって申し訳なく思いますが、何とか生きて、佐橋の新盆を迎える事ができておりますので、どうぞご休心くださいますようお願いいたします。
佐橋が居なくなり家にも店にも1人で、それでもなんとか一生懸命に日々を過ごしていても、泣き出したらキリがなく、苦しいと思えば底なしのように不安が募ります。
またそうしたマイナス思考が強いからこそ、私たちはこうした美術品に関わる仕事にご縁を戴いているのだとも実感します。
ですからそうした感情も決して否定せず、ただ時間の経過に期待を寄せるしかないのだろうなぁとこの頃は諦めながら、来年のお盆にはもう少し落ち着いた気持ちで迎え火の用意ができているだろうか?と考えていたところです。
良いなぁと思い2人で求めたこの清宮のガラス絵は1人になった途端、少し子供っぽく思えてしまい、手放した方が良いのだろうか?と
迷いました。
けれど、毎日よく眺めていると、清宮はガラスに作品を描くという意味をよくわかっていて、それを最大限に活かして自分の世界観を表現しているのではないだろうか?と思うようになりました。
版画家の父の元に生まれ、芸大の油彩画を専攻し、藤島武二の教室に学んだ清宮が、紆余曲折を経て、自ら自分を詩人と捉え、木版画家としての道を選んだことは自然といえば、自然の成り行きであったのかもしれませんが、きっとその過程には何かを選び、何かを諦めていたのだろうと思います。
内なる自己の無限の探求の道を選んだ清宮の、その澄んだ気持は、歳を経てきた私にとって、或いは今「夫を失ったばかりの妻の人生劇場のど真ん中」にいる私にとって、時には「青臭い」と感じてしまうことがあるのかもしれませんが、では人は人生の経験を通してどこに辿り着くのか?と思うとき、結局最後は「静かで澄み渡る心、世界」を求めるものだというしかないように思えるのですね。
『境界線』
清宮の人生のテーマ、作品のテーマはそこにあったように思います。
心の世界と現実の世界の境界線は、人それぞれに、位置も、太さも、色も違います。
その境界線を時には強く引き、時には線自体を全てを無くしてしまうことが、まさに生きるということなのかな?とも思います。
他の油彩画と並べて飾ることは少し難しいかなと思いますが、この作品を小さめのお部屋にポツンとひとつ、飾ってみるのは
なかなか面白いのではないかと今、ふと気がつきました。
ぜひご来店の際に、もう一度清宮の作品をご覧ください。