よく私が、このブログに小林古径の線について「厳しい」という言葉を使わせていただくのを覚えてくださっていたお客様が「厳しいという感じがよくわからない」とお便りにお書きくださいました。
私自身は何も考えず、余り調べたりもせず、ただ大好きな古径の印象を「厳しい」と表現させていただいたつもりでおりました。
また「線が好き」というのは、ある意味、韓国ドラマより時代劇、特に水戸黄門よりも子連れ狼とか眠狂四郎とかの孤高系が好き❤️というような、絵画を選ぶ時の一つのジャンル分け的な要素だとも思っています。
生活の中の何気ない一本の線から歴史が始まった世界的美術史ではありましょうが、時代が進むにつれて「線」自体の美しさから人々の目は離れて来てしまっている印象も多くあります。
お馴染みの安田靫彦と小林古径はほぼ同時代に活躍した日本画家です。
共に関東画壇のみならず、全国的に活躍、大きな仕事を残された作家です。
上の図録の作品は、上が靫彦、下が古径。
共に円熟味のました丁度70歳の作品です。
古径は靫彦より早く他界しましたので、これから間も無く作品は途絶えがちになったと思いますが、
いかがお感じでしょうか。
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これは、みなさまにも是非ご感想をお聞きしたい事です。
肝心の私も、あら?と思いました。
この時期になると、一目で古径の作品か靫彦の作品かは何となくわかっても、線の違いを明確には把握できません。
靫彦は、良寛の書に魅了された画家ですので、豊かな線、ゆとりのある線描を目指したかと思います。
古径は、どんな線を目指したか?というより、実態に迫る線を描きわけたという印象を受けます。
が共に、画品がある! とか 厳しい!というレベルを当に超えて、円熟味をました優しい美しい線と言えるように思います。
古径の「厳しさ」というのは、無駄をどれほど省いているか?という事だろうと感じています。
靫彦の作品には花瓶だけでなく、お花も描かれているので「狙い」が違うのは確かですが、古径の描く瓶は、そのフォルムの美しさ、またその気品ある佇まいを十分に表現できていると思います。佇まいというのは、そのものの持つ重量感、存在感ということです。
家屋建築にも流行というのもあり、確かに今の建物に日本画はお飾りにくいとは思いますが、これからのお若い世代には少し復古というか日本的なものも見直されるような印象も感じますので、是非「線の美」についてはこれからも考えていきたいと思っています。
結局この線の美を感じることが、日本近代洋画を理解する、感じることにつながるように私自身は思います。
アニメでなくて、時代劇から日本人の心にせまる⁉️
「線の美」を考えるということはそういうことになるのかもしれません。