つれづれ

名古屋市内の画廊・佐橋美術店のブログ

斉藤典彦展 ー水の國/白き森ー

2024年11月05日 | おススメの展覧会、美術館訪問
最初に゙お伝えいたしたく思いますのは、私には日本画制作の詳細な知識や現代日本画壇における日本画の位置づけなどに何の意見も持っていないという事実です。

ですから、東京芸術大学の日本画の教授として長く籍をおかれました斎藤先生の退官記念の展覧会をご紹介することはまことに恐縮なことだと考えておりますが、それでも、佐橋美術店という当店の看板の文字を斎藤先生にご揮毫いただこうと言い出したときの佐橋のことをしっかりと覚えておりますし、何といっても亡き佐橋のその「眼」を今も固く信じている私は、斉藤先生と日本画家でもいらっしゃる奥様の佳代様が先日わざわざ佐橋の為に名古屋におでかけくださったことや、その作品を扱わせていただく画廊、画商としての立場を、できるだけ全て捨てて上京しようと決めていたことだけは皆様にもお知らせしたいと思います。



まず展覧会として、とても素敵な催事でした。無料なのが申し訳ない。

山口薫展のために山口薫の作品に囲まれて毎日を過ごした翌日の展覧会です。私の「素敵」「なぜ無料」という言葉にも真実味をお感じいただけるのではないでしょうか。

佐橋の体調のことなどあり残念ながら、最近の先生の作品を当店では扱わせていただいておりませんでしたので、私には「こまやまのその後」の作品についての流れを感じさせていただく良い機会ともなりました。

公式の展覧会のご案内は以下のページです。


各作品や会場内の画像は私は撮影いたしませんでしたので、
ほかインスタグラムなどで美しい画像を残されていらっしゃる方のページをご検索いただけたらと存じます。






水墨画的な作品も含め、点と線
そしてその表裏にうごめくもの
暮らしの重みと自然の広がり、日本人としてのいのり。

表向きの表現としてはそんな言葉を選ばせていただきたいと思います。



そして、きっと佐橋が見ていた斉藤典彦先生の画家としてのお姿は
例えば膠、岩絵の具、絹、和紙…水に溶けていくようなものをこれからも全て引き受けていこうとされる人としての器そのものであったように、今回の展示を拝見して強く思えました。


例えば、水がすべてを包み、浸透、親和し、その最後の最後にどこにたどり着くのか?それを見届ける日本画家としての覚悟と忍耐の強さを佐橋は先生に見出していただのだと感じます。
それは日本画家に最も大切なことであり、困難を極める現代にもっとも苦しい道を強いられる画業であるのではないでしょうか。



日本画は線。
私は今もそう思っています。きっと佐橋も。
だからこそ、形を描かない斉藤先生に大変なご苦労をかけ、その書をいただいたのだと思っています。その書に感じられる温かみを信じて、私たちをここまで歩いて参りました。


当店にお通いくださる和菓子店のご主人は、私に和菓子は油を使わない、そう教えてくださいました。

日本人としての誇り、水の國に生まれた者の美しい姿。

どの日本画家の作品をみても60代以降のご制作に「実り」があると感じています。

日本画家斉藤典彦先生がこの後のお作品に益々「画品」をまされますことを、同じ日本画家の斉藤佳代さんとともに、今まで通り、ゆっくりと確かな歩みを重ねていかれますことを、現実的にはまだ新幹線に乗るのがやっとの私ではありますが、これからも真摯にそれを祈り続けさせていただこうと思っています。

佐橋とお別れをしても私はまだなにものでもない。いきがけの旅の途中。
斉藤先生の今のお作品に、そう教えていただいた気がしています。それは何にもましてこの秋の大きな収穫でした。

       令和6年11月5日 佐橋夏美 展覧会日記より





芸大にはとても素晴らしい建物が並んでいます。今回展示のありました陳列館、正木記念館、本当に日本の建築物として美しいと思えました。

ご紹介が遅くなり申し訳ございませんが、斉藤先生の展覧会は10日まで続きます。よろしければ、このブログをご参考にお出かけくださいませ。











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撮影したつもりはなかったのに

2024年11月05日 | 山口薫展
撮影したつもりはなかったのに、なぜか携帯に残っていた1枚の画像をご紹介させていただきました。

ブログの更新が遅くなり失礼致しました。


おかげさまで無事に、そして、とりあえず山口薫展を終えることができました。会期の最後の最後まで本当に沢山の方にご来店をいただきました。心より感謝申し上げます。




昨日はお休みをいただいて、以前から自分の心の中で予定していた「上京」をして参りました🚅


主目的は当店の看板をお書きくださいました日本画の斎藤典彦先生の東京藝大の退官記念展に伺うことでした。

私にはまず、一人で新幹線に乗るということから乗り越えなくてはならない壁がありましたのでとても緊張しましたが、富士山を越える位迄には隣に佐橋が居ない悲しさを何とか忘れる事が出来ました。泣かなかったもん!という程度ですけれど、多分これからは新幹線に長い時間乗っても大丈夫だと思えました。



さて、連休の最終日、名古屋駅も東京駅も、そして上野公園は大混雑💦
それでも人を掻き分け掻き分け公園を突き抜けて藝大に向かいました。






目的の陳列館が見えたところで、時間調整もあり、ベンチに座り一服しました。








佐橋が亡くなってすぐ、東京に帰らないのか?とお聞きくださる方が何人かいらしてくださいました。

実家に最も近い美術館はこの上野のお山に沢山あるので、そしてこの公園には思い出も沢山あるので、そんなお言葉も思い出し、毎日上野を散歩する自分の姿を想像してみましたが。。。

そんなセンチメンタルな気分に酔いしれてベンチに座っていると、何処からともなく大きくて真っ黒く、多分年長のカラスが🐦‍⬛私の真横に降りてきて「あなたのお膝の上のそのサンドウイッチ🥪をよこしなさい」と図図しくどんどん近づいてくるので、柳原義達ではあるまいし。。と思いながらこんなに近くで見た事もないカラスを、じっくり観察し写真におさめようとしたら〜結局怖くて〜



こんな写真しか残せず。。

カラスはサッサと私の隣のベンチで大きなお弁当を食べていらっしゃるお若いカップルを襲いに行っていました。

「今更、東京人ぶられてもねぇ」

カラスにそう告げられた思いになり、「はい、わたしはすっかり名古屋人です」とさっさとその場を離れました。

とても素敵だった斎藤典彦展をカラスの記事と一緒にご紹介するのはもったいないので、次の記事に書かせていただきますね。

とにかく私は今のところ元気でおります。みなさま、ありがとうございます。








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いのり

2024年11月05日 | 山口薫展
今回の山口薫展では、私なりの勝手な興味、見方で作品をご紹介してみようと思っていました。「何をおっしゃる。。いつもそうじゃないですか?」と皆様のお声が返ってきそうですが、割と真剣にそう考えていました。



山口薫については言葉の不要な画家、その作品たちだと思っていますが、「思想」という観点から作品を見たいと思っていたのです。


優しい、画商の無茶な注文をも断れない画家。
ロマンチスト、センチメンタルという言葉が似合う画家。

そういった表面的な捉え方では、薫の作品を捉えきられないと感じていたからです。

その意味で、私個人にとってはガッシュの「いのり」という作品は色々な刺激を与えてくれました。







今日、全画集にこんな作品を見つけました。1952年位の作品とあります。
(いのりの制作年代はわかりません)

一般の油彩画にはよくあるタイプの作品、デザイン的な作品かもしれませんが、薫の描く、この女性たちのお顔は怖いくらいに真剣で、なぜか私の心に刺さります。








山口薫が深酒を始めたのは30代に入る少し前、最初の結婚に失敗したころだと記述がありました。






親の反対を押し切っての結婚生活はわずか2ヶ月で破綻。


薫はその出来事に憔悴しきり、そのまま実家での療養を余儀なくされました。
また皮肉にもその頃から画家としての山口薫の評価は高くなるとあります。

この画集の掲載文によると、その頃山口薫はドイツ・ロマン派の哲学者、詩人ノーヴァリス「断章」、スイスの哲学者で詩人のアンリ・フレデリックアミエル「アミエルの日記」、アリルランドの小説家・詩人のジェイムズ・ジョイス「ユリシリーズ」、そして後にヘルマン・ヘッセに心酔するとあります。


残念ながら、私はヘッセの車輪の下を読んだ事があるくらいで、これらの書物に触れたことはありませんが、ネットなどで断片的な文を拾わせていただくと超現代的で難解な思想、或いは大変純粋で崇高な、それこそ「敬虔な」という言葉の似合う作品たちだと感じました。


色彩は、いわば物質と光の中間状態でありー光になろうとする物質の努力ーそれとは逆に物資になろうとする光の努力ーである。
性質とはすべて、上記の意味でー屈折した状態なのではないか。



魂の座は、内界と外界が触れあうところにある。内界と外界が浸透し合うところではーー浸透するすべての箇所に魂の座がある。



上記はドイツのノーヴァリス「断章」の中の文をネットで拾わせていただいたものですが、これほど短い文章の中にも
山口薫の作品の世界が十分に感じられ、大変感動をいたしました。


決して一方向的ではない形のありか。表現。
溶け合う、浸透し合うという言葉は、山口薫が興味を持っていたとされる松尾芭蕉や西行法師の歌や俳句の世界にも通じるものがあると感じます。


勿論、美術史的な画家としての思想もわきまえていたと思いますが、他の洋画家が仏教的な日本思想に近づいた印象に比べ、薫は西洋化の根拠に西洋的は思想、けれど大変東洋よりな西洋思想にその答えを探そうとしていたと私的には理解できました。


単に思想を絵にするというだけでは言い切れない、この画家の苦労の深度がやっと今私の実感として捉えられたように感じています。


絵でそれが表現できるのだろうか?という単純な疑問です。


みなさまにお伝えするにはまだまだ山口薫という画家に対する想像が浅いように感じますが、とりあえず「ここまで私なりの解釈は進んでまいりました」という言い訳をさせていただきました。


今日の名古屋は結局1日雨でした。

薫の竹の生えているお庭にはきっと雨が似合っただろうなぁと今想像しています。






また新しい作品についても書かせていただこうと思います。
















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