最初に゙お伝えいたしたく思いますのは、私には日本画制作の詳細な知識や現代日本画壇における日本画の位置づけなどに何の意見も持っていないという事実です。
ですから、東京芸術大学の日本画の教授として長く籍をおかれました斎藤先生の退官記念の展覧会をご紹介することはまことに恐縮なことだと考えておりますが、それでも、佐橋美術店という当店の看板の文字を斎藤先生にご揮毫いただこうと言い出したときの佐橋のことをしっかりと覚えておりますし、何といっても亡き佐橋のその「眼」を今も固く信じている私は、斉藤先生と日本画家でもいらっしゃる奥様の佳代様が先日わざわざ佐橋の為に名古屋におでかけくださったことや、その作品を扱わせていただく画廊、画商としての立場を、できるだけ全て捨てて上京しようと決めていたことだけは皆様にもお知らせしたいと思います。
まず展覧会として、とても素敵な催事でした。無料なのが申し訳ない。
山口薫展のために山口薫の作品に囲まれて毎日を過ごした翌日の展覧会です。私の「素敵」「なぜ無料」という言葉にも真実味をお感じいただけるのではないでしょうか。
佐橋の体調のことなどあり残念ながら、最近の先生の作品を当店では扱わせていただいておりませんでしたので、私には「こまやまのその後」の作品についての流れを感じさせていただく良い機会ともなりました。
公式の展覧会のご案内は以下のページです。
各作品や会場内の画像は私は撮影いたしませんでしたので、
ほかインスタグラムなどで美しい画像を残されていらっしゃる方のページをご検索いただけたらと存じます。
水墨画的な作品も含め、点と線
そしてその表裏にうごめくもの
暮らしの重みと自然の広がり、日本人としてのいのり。
表向きの表現としてはそんな言葉を選ばせていただきたいと思います。
そして、きっと佐橋が見ていた斉藤典彦先生の画家としてのお姿は
例えば膠、岩絵の具、絹、和紙…水に溶けていくようなものをこれからも全て引き受けていこうとされる人としての器そのものであったように、今回の展示を拝見して強く思えました。
例えば、水がすべてを包み、浸透、親和し、その最後の最後にどこにたどり着くのか?それを見届ける日本画家としての覚悟と忍耐の強さを佐橋は先生に見出していただのだと感じます。
それは日本画家に最も大切なことであり、困難を極める現代にもっとも苦しい道を強いられる画業であるのではないでしょうか。
日本画は線。
私は今もそう思っています。きっと佐橋も。
だからこそ、形を描かない斉藤先生に大変なご苦労をかけ、その書をいただいたのだと思っています。その書に感じられる温かみを信じて、私たちをここまで歩いて参りました。
当店にお通いくださる和菓子店のご主人は、私に和菓子は油を使わない、そう教えてくださいました。
日本人としての誇り、水の國に生まれた者の美しい姿。
どの日本画家の作品をみても60代以降のご制作に「実り」があると感じています。
日本画家斉藤典彦先生がこの後のお作品に益々「画品」をまされますことを、同じ日本画家の斉藤佳代さんとともに、今まで通り、ゆっくりと確かな歩みを重ねていかれますことを、現実的にはまだ新幹線に乗るのがやっとの私ではありますが、これからも真摯にそれを祈り続けさせていただこうと思っています。
佐橋とお別れをしても私はまだなにものでもない。いきがけの旅の途中。
斉藤先生の今のお作品に、そう教えていただいた気がしています。それは何にもましてこの秋の大きな収穫でした。
令和6年11月5日 佐橋夏美 展覧会日記より
芸大にはとても素晴らしい建物が並んでいます。今回展示のありました陳列館、正木記念館、本当に日本の建築物として美しいと思えました。
ご紹介が遅くなり申し訳ございませんが、斉藤先生の展覧会は10日まで続きます。よろしければ、このブログをご参考にお出かけくださいませ。