今回の展覧会で私が一番好きな福井良之助の作品はこの少年像の「青い音」です。
福井良之助画集の「はじめに」で福井本人がこのようなことを書いています。
画面、四角い、その中にはめこまれた表現、というようなことを考えて意識的にフォービスティクな表現をした時代→孔版の時代→少女や静物を描いた時代→漠々とした砂の悲しみと深さを追った時代→しーんとした音のない雪の世界にのめり込んだ時代…中略
しかし、心底を流れる青年期に植え付けられた人生観みたいなものは、モチーフが変わっても、時間が経っても、たえず私の絵の底流を支配しているように思います。
その福井の本流、底流に思いをはせるときやはり私は1970年前後の「生と死の習作」の作品達のことを考えてしまうのです。
福井は比較的裕福な家に育ったことには間違いはないと思いますが、あまり体が丈夫でなく、少年時代は読書に耽っていたとあります。
特に好きであったのが、岩波世界文学全集。
その後、フランスのゾラの小説を読み漁り、ヒルティ、ノヴァーリスの詩にも夢中になったとありました。
ノヴァーリス?
そうです、山口薫がよく読んでいたとされる「断章」のノヴァーリス。
絵描きになることには反対をされましたが、福井の父親は大変な文化人であったそうですし、兄弟には哲学者になられた方もいるそうですので、少年期の福井の中に育った思想、感性は並々ならぬレベルにまで達していたのだろうと想像し、それに加え青年時代に経験した戦争によって与えらえた喪失感、死生観の深さはいかほどのものであったろうかと感じます。
東洋的と言ってしまえば一言で済んでしまいますが、福井の絵画に求めた世界もまた山口薫に負けず劣らず、いえ、その生い立ちを考えると薫よりもっと都会的プライドの高い人であった分、より頑なに「美」というものを追い求めようとしたのではないか?と想像します。
「青い音」ははじめこちらに飾らせていただきましたが、少し展示作品の事情が変わったこともあり、私の判断で床の間に掛けさせていただくことにしました。
少しかわったモチーフなのでどうかな?と思いましたが、先日弥栄さんにも「とても良いと思うよ」と言っていただけましたので、明日からの展覧会にはこのままでみなさまに御覧いただこうと思っています。
生きている間に人はいろいろな経験をし、喜んだり、苦しんだり、その中で自分だけの思想、感性を育てていきますが、結局その「個性」は生きている間に育んでいく愛の形によって表現されるもののように思っています。
画家として生きた福井の本流は、きっとこの「青い音」のような作品の中に潜むブルー、「きよくあきらかな愛」であったろうと考えるのです。
あの「肌」という作品から生まれた清らかなエロティシズム、それはナルシシズムとは一線を画す、この世のもの全てに対する愛のかたちであるように感じます。
福井良之助?
ああ、あの温かい雪景色の画家?
人間にとって本当に必要なあたたかさとはどのようなものか?
この展覧会でそれぞれにお感じいただければ幸いに存じます。
「青い音」 0号 スクウェア ☆
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