つれづれ

名古屋市内の画廊・佐橋美術店のブログ

画家の言葉

2020年02月20日 | 画家の言葉

ホームページの「今月の画家の言葉」を草間彌生から長谷川麟二郎に替えさせていただきました。

先日まで掲載させていただいた草間彌生の言葉は大変わかりにくく、読み手によってどのようにも解釈できる一つの「詩」のようであったと思います。

 

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トルストイの童話に「イワンの馬鹿」という話がありますが、

悪魔が根負けするまでは私の仕事もつづくのです。

何故なら悪魔は芸術の敵であり、それ以上に親友だから・・。

つまり悪魔は自由の中にのみ住むのです。

全て決定されたものからは、彼はたちまち離れます。

・・・内面の悪魔は新しい真実と、その形式を作るためには宿るのですが、既に出来上がった形式や概念の中に、芸術そのコピィの中には一瞬たりとも安住してくれません。

草間彌生 芸術新調 1955年 26歳

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この頃より1970年代の草間彌生の仕事は大変生き生きとしていました。

そしてその個性的な仕事は当時、現在の「日本中どこへいっても草間アート」を想像させる要因を微塵も持たなかったように思います。

草間作品が本当の「個性」を失い、それこそコピィ化した時代から、皮肉にも草間作品は圧倒的な勢いで日本中、またアジア、世界に拡散していきました。

 

草間にとっての、「芸術の敵であり、親友である悪魔」とは、やはり「孤独」ではないかと私は想像しています。26歳の草間はとっくに孤独の苦しさとその意味を知っていた。

 

自由の中に生きようとするとき、人は深い深い孤独を味わうことになります。

例えば作品に何か方向性を決めてしまえば、画家は一挙にその孤独からは解放されますが、その途端、作品は形だけの抜け殻となり、そこには何もなくなってしまうのです。それでも、草間は孤独に耐え、幻聴や幻覚を作品にし行動し続けたのだと思います。


拡散に終止符が打たれる頃になれば、きっと冷静な草間作品への評価がくだり、草間の「手」や「声」が直接聞こえ、感じられる作品に価値が見出されるのではないかと期待をもって想像しています。

お通いくださるお客さまによくお話するように、今の当店がありますのは、以前に草間弥生の作品を多く扱わせていただくことができたからだです。


小さな本にふと見つけた草間の言葉を、ホームページに引用させていただき、私達の草間作品への思いを少しお伝えしたいと思いました。







 

 

 

 

 


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