つれづれ

名古屋市内の画廊・佐橋美術店のブログ

田中一村展

2024年11月07日 | おススメの展覧会、美術館訪問
投票権があった先日の日本の衆院選挙の時よりも、米国の大統領選挙をドキドキしながら見守るという。。

結局、現実ってそういうものだよなぁ。来るところまで来ないとわからないのだよなぁと思いながら、昨日2日ぶりに山口薫作品の並ぶ佐橋美術店に帰って参りました。

とことん優しい。 けれど理が通っている。(筋という言葉は少し違う気がするので理を使いました)

あらためて惚れ惚れと山口薫の作品を眺めています。



先日の上京の際には、東京都美術館さんで開催中の田中一村展にも寄らせていただきました。

予定が確実でなくネットでチケットを買っていませんでしたので、チケット売り場が混雑していれば今回の鑑賞は諦めようと思っていましたが、売り場は10分ほど並べばなんとかなるかな?と思えたので、躊躇なく入館いたしました。


ところが、いざ会場に足を運ぶと「凄い人混み🥵」

入場料2000円を捨てるつもりで見なくてはいけないぞと覚悟を決めました。

田中一村についてはきっとみなさまの方がお詳しいので、こちらに記させていただく事は致しませんが、

芸大を2か月で退学せざる終えない境遇。そして、その芸大を退学して間も無くの頃の作品からもう既に田中一村は画家として出来上がっていたのではないかしら?とその作品たちを「遠目」に見ながら思えました。

大人気の奄美の風景を描いた晩年の作品は本当に綺麗で、一村が他界してからのち、その評価が高くなったこと、また最近のブームの理由に納得いたしました。

穿った見方かもしれませんが、

田中一村は生前その作品に注目が集まらず、売れなかったが故に、絵を描くという大好きなことが続けられたと言えるように思います。

そして、それとは逆に、山口薫は作品が売れすぎて、絵を描くという密かな幸せさえも奪われてしまうという不安を常に抱き続けたのだと思います。

同じ価格であったら、田中一村と山口薫の作品のどちらを買うだろうか?と考えると、やはり私は山口薫だろうなぁと思います。


山口薫の文章の中に「画品」という言葉で出てきます。


例えば


私が何を考え何のためにに絵を描くのかと
今その疑問にぶつかっている

自分独りの時間

品のある絵をー画格

品のある絵を考えてみたけれども
夢のようでわからなかった

ある心理からの脱出

愛を同等に分けてやることが出来ない
愛しい宿命
祈らざるを得ず


作品に単純な画格を求めなかったところに山口薫の素晴らしさがあったのではないでしょうか。簡単に言えば、薫は庶民の中に埋もれようとしていたようにさえ感じられます。

田中一村を競って鑑賞する大勢の皆さまがいらしゃること、私もその一員であるという現実と、山口薫作品をお持ちになってくださり日々その作品と共に暮らしてくださるお客様がいてくださる現実を、これこそ現代の絵画鑑賞の現実だと確かに思い、考え、今日から日々を過ごしたいと思っています。



展覧会概要 ↓























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