今回の展覧会で、佐橋と私が最も良いと思えたのはこの佐伯自身の自画像でした。
斜めに走る線は、デッサンを取る前に引かれたものでなく、
描いた自画像の上に、あとから引かれています。
佐伯祐三展
「自画像としての風景」
このサブタイトルはまことに奥深く、また佐伯という画家を鋭く捉えていて
この展覧会の素晴らしさをよく物語っていると感じられました。
色々な角度から佐伯祐三の技術の高さが実感され
佐伯調に向かう予感を秘めながらも、佐伯のいきいきとした姿を垣間見ることの出来る作品達にも出会える事ができました。
青年の、限りない自己顕示欲と鋭く強い自己否定。
佐伯は、命をかけて見事にそれを描ききり、私達の前に表現をしてみせました。
そして、それは、最も日本人らしく、であったことを忘れてはいけないと思います。
展覧会場をひとり歩きながら、
佐伯には更なる画格を目指して欲しかったという山本氏の言葉が頭に残り、
なぜか心寂しく、、私は冨田渓仙や入江波光、小林古径の待つ自分達の店に早く帰りたいと思いました。
連休中、店に数日ぶりに入った佐橋は、私に開口一番「やっぱりうちの店の作品達は情があって温かい」と言いました。
世界的レベルの芸術という観点からすると、佐伯より藤田嗣治なのです。
けれど、日本的レベルの油彩画の最高峰は間違いなく藤田より佐伯祐三なのです。
佐伯のあんなに苦しい作品達が、私達の心を捉えて離さないのは、彼の作品が「情」や「温かさ」を感じさせる
多くの予感を秘めているからです。本当の日本人の美意識をパリ風景に描いたからです。
その美意識は西洋の方たちにはなかなか伝わりません。
大阪の光徳寺、寺の子として生まれた佐伯の精神とセンス、画力。全ての才能は日本近代洋画の象徴であり、
30歳から先を生きてきた私達は、彼の未来を見てみたかったと悲しくなるのです。
佐伯作品に芸術の本質を見抜き、
年長者として夭折の画家の才能を深く惜しんだ純粋な山本氏の気持ちに、こちらもまた日本人コレクターとしての真の姿を
垣間見ることができます。懐の深さこそ、日本人コレクターが努力を重ね目指すところではないでしょうか。
会場には、お若い男性が多くおひとりでいらしていて、「佐伯祐三」が現代に与えてくれる力を感じさせてくれました。
山本氏のように佐伯の死を惜しむだけではなく、またその先!
もっと歳を重ねて、佐伯の短い命をもっともっと肯定出来る自分に出会いたい、「佐伯は佐伯、これで良いのだ」と感じきれる自分になりたいと、佐伯展に伺い10日を経て今強く思います。
あえて会場の説明もあまり読まず、画集やカタログを読み直さず、佐伯についての記事を書かせていただきました。
読み苦しい部分のございますこと、お許しください。
私としては、一生懸命感じ、考え、書かせていただいたつもりでおります。
そうさせてくれた展覧会でした。
みなさま、ぜひ佐伯祐三展にお出かけくださいませ。
大阪中之島美術館
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