今回の展覧会の特徴の一つは、風景画、特に日本の下落合風景作品を多く展示してくださったことだろうと思います。
佐伯といえば、第二期パリ時代とそれ以降の作品が最も評価され、日本の風景は描きにくいと画家本人が言っていたように他の風景画は見落としがちになりますが、今回再び認識を新たにしたのは、やはり佐伯は「線の画家」であるということで、その意味からすると
下落合を描くときに必ず登場するあの電信柱の縦に長く伸びる線の独特の描写。
そして、その縦の線をいかす横に広がる空の表現には、いつの時代も変わらぬ佐伯がいた!と強く感じられました。
「いつの時代も変わらぬ佐伯」という言葉には、佐伯の生きたのはたった30年ほどで、しかも本格的な画家としての製作は5年にも満たない程だったので語弊があるかもしれませんが、
第一パリ〜第二パリ時代にかけての所謂「佐伯調」の到達までの間には、ブラマンクやセザンヌなどに影響を多く受け、表面上はその画風も大きく変化を見せましたので、あえてこの言葉を選ばせていただきました。
さて、夏美散歩🚶♀️?編
佐伯の壁といったら、例えば普通はこちらの作品だろうとは思いますが
私はこの作品が好きでした。
この壁と扉には、佐伯の心がよく現れているように思います。
縦と横、線と面。
佐伯の自画像を見るようです。
以前の、今より少し若かった頃の私は、特に第二期パリ時代の作品たちを
この画家の孤独感に胸を締め付けられそうになりながら、
それでもそのセンス、色に感動し、痺れながら眺めていることが出来ました。
けれど、それなりに経験を積み、、
今回出会った2度目のパリの佐伯は、すっかり死に取り憑かれ、がんじがらめになっているように感じられて、とてもひとつ一つの作品に対峙することができませんでした。苦しすぎて、感動がどこかに追いやられてしまいました。
壁や広告の文字は、いつしか文字ではなく、ただの線になっているように見えてきました。
うじゃうじゃとした、短い線を幾重にも描く佐伯は、すでに自分で何をしているかわからない時間を
過ごしていたのではないだろうか?と佐橋とも話しました。
そして佐伯の決着は、案外単純、明快なものであったと思われました。
絶筆となったこの「煉瓦焼」との出会いから、佐伯祐三作品の蒐集を始めた山本發次郎氏に
ついては、以前の中之島美術館さんの紹介の記事に書かせていただきましたが
私は今回の展覧会 「佐伯祐三 自画像としての風景」を拝見し、1番に思い出したのは
山本氏のあの言葉でした。
寂嚴、慈雲、良寛の書を見せて死なせなかつたことは実に残念です。私はこのことだけでも彼の夭折を心から惜しみます」(「佐伯祐三遺作蒐集に就いて」)と残念がり、佐伯が寂嚴や慈雲を見たら、ヴラマンクやユトリロ、ゴッホの傑作に接した場合とも違う、もっと奥の心に触れた衝撃を受けて、画格が一段と高くなったと付け加える。
つづく
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