何度も何度もこの村上華岳の著書を手にとり、感動をして読み始めるのですが、必ず途中で苦しくなり本を閉じてしまいます。
村上華岳の作品を全く扱わせていただいてこなかったわけではありません。
仏画や風景など、幾つか床の間に飾らせて頂き2人で眺めたこともありました。
けれど、今回のようにふと出会った作品をあてもなく仕入れ、自分達の所蔵とさせていただいたのは初めての事です。
出会ったのは「椿」です。
白椿ですので、始めはシーンと静まりかえり、何も見せてはくれません。
けれど、ゆっくり、ゆっくりとより深く、より美しく作品が動き出します。
そして、いよいよ深まり始めてきたなぁと感じると、「今日はここまで!」そう線を引いてしまうのは自分自身です。
ですから、私はこの華岳作品をまだじっくり、とことん眺めてはおりません。
その線の引き方は、観る方の技量?目の深さ次第、どこまで見るか?の決心次第です。
今迄そういった見方のあることを知りませんでした。
その境界線、或いは「その先」を見せてくれるのが華岳なのだとはじめてわかりました。
どこまで華岳を味わうことができるかは、この華岳の文字にどれほどの物を感じるか?が一つの試金石になるように思います。
この表紙に書かれた「華岳」の文字にしびれる心があれば、楽しみは深まるのだと想像しています。
楽しみが深まると書きましたが、「その先」へ進むことは、大変怖いこと、辛いことです。ですから、楽しみは苦しみです。
昨年末に杉山寧の富士の購入について迷い、結局自分たちの側に置くことに決め、この春に感染問題に出会い、この秋、華岳のこの作品にご縁をいただきました。この一年の流れは、きっと私ども佐橋美術店のこれからをも示してくれるのではないかと思っています。
一つ一つの作品を今まで以上に深く、丁寧に味わうこと。
結局コロナさんはそう私たちに教えてくれたのだと思いたいのだと思います。
※村上華岳 軸 「椿」 紙本・淡彩 33.3×25.9㎝
実作品は、無眼展にてご覧いただきます。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます