つれづれ

名古屋市内の画廊・佐橋美術店のブログ

佐久間友香さん

2024年11月24日 | おススメの展覧会、美術館訪問
日本画家の佐久間さんの展覧会にうかがって参りました。

彼女が愛知県立旭丘高校に通っていらっしゃる時から作品を拝見しています。その後愛知芸大に進まれ、現在35歳。

今日はこの方がすっかり大人の女性になられ、ご自分の作品への愛着が増していらっしゃた印象を受けました。

制作にはとても大切なことだと思います。

絹本に描くことに魅力を感じている。美人画、清方などに興味を深めている。

と、ご本人からお聞きしてとても嬉しくなりました。

画家として作品を描きつづけるのは現代特に難しいことだと感じています。
兎に角、描きつづけていただきたいと今の私からはそれだけしかお伝えでできませんでしたが、彼女のこれからに期待したいと思います。

ご紹介が遅くなりましたが、26日来週火曜日まで名古屋栄三越七階美術サロンさんで展覧会が開催されています
。最終日4時まで。

よろしければご覧ください。


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長くなりますので、ご気分が向いたときにお読みください。 薫と芭蕉 セザンヌ 梅原

2024年11月21日 | 画家の言葉
松尾芭蕉に「言語は 虚に居て実をおこなふべし 実に居て 虚にあそぶ事はかたし」という言葉があります。

下に抜粋させていただきましたが、芭蕉が弟子たちに残した言葉として
知られる一文です。


芭蕉翁が言うに、俳諧というものには三つの境地(寂寞・風流・風狂)がある。寂寞(ものさびしさ)とは「情」を意味するもので、それは色事や美食を味わいながらも粗食の味わいも楽しむ境地である。風流(みやび)とは「姿」を象徴するもので、上等で美しい着物を着ていても古びた粗衣を着ている人も忘れない境地である。風狂(風雅)とはそれを表現する「言語」のことで、この言葉の世界とは、自在の心(虚)でいながら俗世間(実)の言葉で俳句をつくるべき境地であるが、一方で、俗世に心が染まって居ながら(俳句を作るような)自在な心であそぶことは難しい。この三つの境地は、俗世間(ひくき所=実)に染まって居る人が自在の心(高き所=虚)を表現できるようなものではなく、自在の心に達した人が俗世間のことを表現できる境地で、それがいわゆる俳諧である。
(『風俗文選』巻之九より)


また山口薫の詩やエッセイ的なものも、いくつかご紹介しようと思います。



梅原さんはあえて渋を わびを
求めない
生動を求めるのみ
なんとなくわびしき日かな
この屋並み
独り身の
わびしき日かな
今日去りぬ
君に来てくれと
いうのではなく
絵画の色や形は作家によってちがうから
自説を固持することは出来ない
只作家が如何に深く自然にふれたか
又ふれているかということに基本がある




雨戸をあけると一面の白い霜である
枯れかかった菊の葉に 飛石の上に
ショウコウの白い粉末に似た清冽な緊張感
アア 新しい季節が来た
ーさればこそ荒れたきままのこの霜の宿ー 芭蕉
わずかな空間に生き
わずかな食事に生き
貧しい思念に生きる暮
ヒユーマニズムって
嬉しいものなのだ
淋しいものではない
僕たちは学校教育の問題に苦しんでいる
それは確かだ
理性を中心に




小雪サラサラ
どうにかなるだろう
全く頼りない
絵描きの生活ってそんなもんだよ
そうかなァ
人生とは
そのかわり
何を自己にとり込むか?の問題
造形の上のメカニズムの祖は誰かといえば
セザンヌといえるのである
形にはめなければ
人間の千差万別な性格は手におえないというのなら
ふへん的に
人間の偉大と尊厳を逆に証明す




私はときどき思う
眼の前に自分のかいた絵が目に入るのが
何かつらさを感ずるのである
時がたてばその辛さも薄れてゆくが
しかしそのときは只これまでと思う
こうした気持ちの中に尾を引くつらさは
それは僕には明日へのつながり
そこに絵を描く楽しさが湧く
僕のような抒情性の尾を断とうと思っても切れないもの
それは何だろう
出来れば象徴まで絵を持っていきたいのであるが
はるかなる
おどろおどろの雷よ
迅く近よりて
光を放て
手術2日前


つまり「生命をつかむ」私はその方法をここに書くことはできない。
ある個所では指に力が入り 形は強く ある個所では力を抜いて流れ動き
それらが統合されてかたまりとなる。しかもなおそのものの感じを持って失わず 哲学では生命の解明を空間と時間という二つの言葉で表している。空間の問題には時間がなければならない。時間の問題には当然空間がある。
造形美術はその究明である。
中略
微妙に観察してそのものをつかみ 知り そして更に簡明化する
それが表現だ
価値づけだ
人間の心
人間性があって初めてそれが可能である
ものを見 開き 入り込む それがとりもなおさず「人間像のイメージ」ということになる
実際に実在するそのものから空間も時間もそこにあり 
いいかえればそれがあるのだ
もっと別の何かがあるのであろうか
あったら私はそれを教えて貰いたいのだ
只作る者はそれを技術でつかむ外に道はないのだ
私は芭蕉の在り方を思慕するけれども私の生活のあり方は一茶であるかもしれない
やせがえるもののあわれと云うことは  一茶




西行が居て、芭蕉が居て
セザンヌがいて 梅原がいて

けれど既に山口薫の生きた時代にはどんな芸術家も「虚に居て実を行う」ことがもっともっと難しくなってしまっていたのではないかと思っています。

簡単に言えば人間が「人間について」を問い続けることが難しい時代になったということだと思います。

そして、それはその後の今を生きる私たちに より「困難」な状態になってしまっているようにさえ感じます。

もしかしたら不登校やひきこもりと言われている皆さんのほうがきちんと「虚」の世界を保っているかもしれません。ただ、その虚さえも実に戻る道を塞がれてしまっているようです。


実にいて虚を見上げることばかりに、私はこの60年を過ごしてきてしまったなぁと思っています。実生活の逃げ場として虚の世界に憧れてきました。 けれど、確かに芸術家ではないけれど、人は常に虚を耕し続け、そこに居て、実の生活をたんたんと大切に暮らす。虚を実に簡潔に投影することができたら嬉しいのではないか?と考え始めました。


薫でさえ難しかったのですから、そんなことは不可能のようにも思えますが、もしかしたら老年期にはその実現に可能性が残っているのではないか?とふと思ってしまったのです。薫は61歳で他界してしまいました。

山口薫は大変立派な画家であったということ。いまも立派な画家であるということ。
そして、山口薫作品を扱う、或いは所有するということは、何よりも自分自身の情、姿、技術,仕事を肯定することにつながるのではないかと考えています。


そういった意味で、山口薫は小林一茶というよりも、戦後日本の 西行であり、芭蕉であり、セザンヌであり「薫はあえて渋 わびを求めたけれど〜」梅原であったと思います。

11月も残りわずかとなり山口薫作品とのお別れを惜しんでくださる方達が今日もご来店くださっています。

今回は本当に沢山の方にお会い出来ました。そして、最後までみなさまに元気でお会いしたいと思っています。















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一点飾り

2024年11月20日 | 山口薫展
3,4日おきに掛け替えるとお伝えしていたのに、結局掛け替えが遅くなってしまいました。

「赤い樹と黄色い樹」を掛けてあった壁に「たわわの柿」を一点のみで
飾ってみました。

飾ってすぐに、眼に映る色が、以前の場所で見ていた印象と全く違う事に気がついたので、慌てて梯子にのってスポットの位置を変えました。






この場所には近くにミューラーの天井灯が吊るしてあるので、その色も多少映り込み、スポットを当てても作品のバッグの色が少し暗めになりました。

この暗い色が私には益々好みで、小さな柿の実のそれぞれの色の濃淡がわかりやすくなり趣が深まった気がしますが、結局、スポットの無い場所での鑑賞は少し難しい作品なのかな?と思ってしまいました。

やはり画廊では、その作品が一番美しくみえる場所に作品を飾らせていただきますので、各お客様には、いつも作品をご覧になっていらっしゃるお部屋や場所の環境を熟知していただいていないと「錯覚」が起きやすくなってしまうように思います。


お洋服でも、おしゃれな方はご自分の体形や肌の色を冷静に理解されている印象があります。

作品にほれ込んでいただきましたら、次にご予算のこと、そして必ずお飾りになられる場所のことをお考えいただきたいと思います。


その点において「赤い樹と黄色い樹」はなかなか強い作品です。
どの壁に飾っても、印象はかわりませんし、単純な作品のようでさすがに薫!
考え抜かれた筆が数多く入っています。












そして、この小品(わが庭・茶色い竹)もどこに掛けても実に美しい。
今や、結局ご来店の画商さんの人気№1作品になり、「やっぱりこの作品はいいんだぁ」と胸をなでおろしているところです。

思いがけず梯子上りが復活してしまいましたが、こうして新しい発見があるのはとても楽しいですし、今週も毎日どなたかが山口薫作品をご覧になりにいらしてくださいますので、はりきって来週はマリモを一点掛けにしてみようと思っています。































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U氏のコレクション

2024年11月19日 | お客様よりのお便り

先日は山口薫作品をお譲りいただき本当にありがとうございました。
 
早速、部屋の模様替えをしてみました。
 
まず、山口薫の「月や馬や鳥や猫」をこの部屋に戻ってきたときに一番見やすいところにかけました。
ここには応接セットもあり、お客さんは正面にこの作品をご覧になることができます。きっと誰も気づかないでしょうが。



う~ん。癒されます。





そして、今度はこの部屋から出ようとしてデスクから立ち上がったときに見るはじめの壁にはもう一枚の山口薫作品を。


こうなると部屋全体が山口薫ワールド一色になります。
 




金山平三の作品がドアの横にあったのですが、ここにはなんとなく牛島を飾りたくなりました。金山は牛島や薫のもう一世代上になりますね。
牛島作品は不思議な世界観ですが嫌いではありません。



 

この部屋にはもう一枚飾れるので、以前弥栄画廊のご子息から譲っていただいた島田章三の鳥の絵を飾ることにしました。
島田章三はこの絵のあとから、すっかり山口薫化しますから~

 

そして、机の上に山口薫の画集を置いたら、今回の模様替えの完成です。



私がブログにクイズをださせていただくとき、必ずコメントでお助けくださる、日本近代洋画をこよなく愛してくださるUさんのコレクションです。

今回薫作品をお納めいたしましたので、それに合わせお仕事場の作品の掛け替えをされたご様子です。ご自宅はご自宅でご家族のお好みに合わせ、また違う作品をおかざりになっていらっしゃいますが、このお部屋はお仕事とお仕事の合間、またお仕事の始まりと終わりに一服される場所でいらっしゃるので、Uさんが一番お好きな作品をお飾りになっていらっしゃいます。

山口薫ワールド!ということには、勿論、頷けますが、弥栄+佐橋ワールドとも感じられ、勝手な大満足を味合わせていただいています。


先にご紹介いたしましたY様もU様も現役のお医者さまです。
お二人はなんの接点もお持ちではありませんが、お医者様としての正義感をそれぞれきちんとお持ちでいらっしゃる方々だと感じています。

私の勝手な印象では、そのお仕事に少しウェット、優しい要素を持ち込まれるY様のコレクションの作品たちはみなクール。理性的。

逆にお仕事にクール、とことん合理的な要素を持たれているU様のコレクションはウェット、詩的。

お仕事の仕方とコレクションの性質に、大変面白いクロス✖現象が起きているように感じられました。

ご事情もお有りですが、そういえばお二人ともあまり人物画をお持ちにならなっていらっしゃらない気が致します。

これからもY氏、U氏のコレクションを興味深く拝見していきたく存じます。お医者様でも罹ってしまうこの重い病気にも💉それぞれの色、表情があることがこの頃よくわかり、あいにく処方箋こそ持ち合わせてはおりませんが、出来るだけ長くその違いを感じ、楽しませていただきたいと思うからです。

結局、私が一番重い病気にかかってしまっているのでしょうか??















 

 
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Y氏のコレクション

2024年11月19日 | お客様よりのお便り
急にまたお寒くなりました。皆様、いかがお過ごしでしょうか。

日、月曜日とブログもお休みをいただきましたが、その間にお客様がたが、私のお願いに応えてメールをお送りくださり、大変嬉しく拝読いたしましたので、いくつかご紹介させていただきます。


Yさんのコレクションは以前にもこのブログでご紹介をさせていただきました。

ご自宅の作品の掛け替えに、東山魁夷の小品とともに、幾つか作品をお飾りになられたそうで、その中の森本草介の「プルーン」について画像とお言葉をお寄せくださいました。

小品ですが、とても密度濃く描かれている作品で、まさにコレクター様向きの作品。確かに市場に出されることはなく、お客様からお客様にコレクションのバトンが受け継がれ続けています。



私の好きな作品です 。
佐橋さんは 写実でありながら油彩画の枠をでていない作品 と評しておられました 。
写真のような写実画が一時たくさん でましたが 油彩画の感覚を残しているところが気に入っており いつまでも眺めていたい作品の一つです。



「油彩画の枠を出ていない」というのは、油彩という手段がもつ独特の「趣き・手触り感」を失っていない という意味の言葉かなと思っています。

森本草介は、一見野暮ったくなりそうな写実画的題材を選びながら、その確かな技量で作品に画品を保ちつづけられた稀有な画家だったと感じています。

最後に

佐橋さんのお言葉を噛みしめながら眺めています

というお言葉をお添えいただきました。

今月23日で、佐橋が他界して一年半となります。
私もやっと一人に慣れて参りました。
そうですね、、決して、独りではありませんね。
皆様と共に。
心からそう感じます。







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