あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

久比岐自転車歩行車道を歩く④(新潟県)

2008-09-15 21:10:01 | ウオーキング
 2008年9月5日(金)〈続き〉
 =上越市内、親鸞聖人ゆかりの社寺へ=



 久比岐自転車歩行車道の終点から、糸魚川駅までは4㎞ほど
だが、まだ早いので、駅に向かわず親鸞聖人上陸地や周辺の社
寺を回ることにした。

 海岸沿いに下ると、直江津海水浴場の砂浜が広がる。海の家
は閉鎖されているが、シーズン中には結構な人出があったと思
われた。

 1㎞余り浜辺を進んだ五智六丁目の台地下に、「親鸞聖人御
上陸居多ヶ浜(こたがはま」の石碑が立つ。

 台地に上がると、海を見下ろす好展望地に小公園があり、「承
元(じようげん)元年(1207)春、旧来の仏教による弾圧を受け、
越後国府へ流罪となった親鸞聖人は、京から追放され北陸道を
下り、木浦(糸魚川市能生)から舟でここ居多ヶ浜に上陸し、35
歳から42歳までの7年間を、この国府で過ごした。」との説明
板や、親鸞聖人の言葉を記した石碑などが立っていた。


 そばに「居多ヶ浜記念堂」と記された建物があり、「ご自由にお
入り下さい 拝観料は無料です」と書かれていたので入る。


 正面に親鸞聖人が祭られ、壁面やガラスケース内などに親鸞
の言葉や、関係の書物、写真などが飾ってある。


 ひと通り見ていたら、奥から留守番の女性、Mさんが現れ、テ
ーブルでお茶を入れて下さり、ミニトマトや漬け物も勧めてくれた。

 いただきながら話していたら、「弁当は持っているの?」と聞か
れた。「用意してない」と言うと、「近くには食堂も店も無いので、
自分の弁当を分けてあげるから食べなさい」と言う。

 いいからとお断りしたが、ジャムを塗った食パン1枚と、半分に
切ったおむすび、それにインスタントみそ汁も入れて下さる。せっ
かくのご好意なので、ありがたくいただく。四国遍路以来の、思
いがけずのお接待だった。

 1時間近くゆっくりし、Mさんに厚く御礼申し上げ記念堂を出る。

 近くにある親鸞聖人ゆかりの社寺のうち、まず居多(こた)神社
に向かう。小さめの石鳥居をくぐり、横の参道から神社の境内に
入った。

 改築したばかりのようで、社殿は白木が真新しい。

 居多神社は越後一の宮で、延喜式(えんぎしき)神明帳に記載
された式内社。越後国司 上杉家の厚い保護を受けて崇敬され、
今日(こんにち)では縁結び、子宝祈願の神として信仰されている
ようだ。

 居多ヶ浜に上陸した親鸞聖人は、まずここ居多神社に参拝し、
 
  すゑ遠く 法(のり)を守らせ 居多の神
    弥陀(みだ)と衆生(しゆじよう)の あらん限りは

と詠(よ)まれ、早い赦免を祈願したところ、一夜にして境内の芦
(あし)が片葉になったという。境内には、越後七不思議の一つと
もいわれる、その「片葉の芦」が群生していた。


 神社の広い駐車場横を東に上がり少し北の五智国分寺へ。
奈良時代、聖武天皇が諸国に建立した国分寺のうち、越後国分
寺の寺号を受け継いだ寺で、永禄5年(1562)に上杉謙信が
再興したものという。


 朱塗りの山門を入ると、境内は広く緑が豊富。正面に大本堂
が他を圧倒して立つ。


 右奥に親鸞聖人最初の配所で、自ら刻んだ聖人座像をまつる
(下)竹之内草庵、近くに親鸞聖人像や親鸞聖人腰掛石などが
ある。


 山門を入って右手にある三重塔は、安政3年(1856)の再建。
高さは25.85mで、県の文化財になっている。


 あい対する左手には白山神社、上越市内最古の建物・経蔵、
ほかに芭蕉句碑、筆塚など見るものが多く、山門そばには、とこ
ろてんなどを出す茶店も出来ていた。

 居多神社の駐車場横まで戻り、休憩所や売店のある五智歴史
の里会館も少しだけのぞく。

 南に進むと、大きなハスの葉に埋め尽くされた池が両側にある。
花の時期は過ぎ、実が付いていたが、咲き残りのつぼみもあった。


 右手の杉の豊富な境内を上がり愛宕神社へ。延歴元年(782)
勧請(かんじよう)の古社で、上杉謙信は、出陣の前には必ず祈願
したという。

 上杉謙信の軍配、太刀、朱印状、陣太鼓など文化財に指定され
た宝物も多いらしい。社殿前に、ご神木になっている杉の古木が、
高く枝を伸ばしていた。

 すぐ北側のこけむす石段を上がって、境内社の白山神社にも参
拝し、池のそばに戻った。

 南に進み、もう一つの池の東に回って、本願寺国府別院に入る。

 居多ヶ浜に上陸した親鸞聖人が、1年後にここに移って恵心尼
(えしんに)と暮らし、建保2年(1214)、関東へ旅立つまで念仏
の教えを広めた竹ヶ前(たけがはま)草庵のあった場所で、浄土真
宗発祥の地ともいうべきところ。

 大きな本堂は、文化2年(1805)の建立。内陣が極彩色に彩
られた堂内に入って参拝。広い天井には、たくさんの天井画が描
かれ、きらびやかなふすま絵にも眼をひかれた。


 境内の片隅に、親鸞聖人が居多ヶ浜に上陸したときの様子を
しのぶ小さい立像がある。親鸞は二人の供(とも)を連れていた
というが、どれが親鸞かは分からない。


 正面から東に進み、JR信越線の線路際で北に向かい、住宅街
を進んで光源寺に行く。

 建暦元年(1211)に親鸞聖人の弟子、最信(さいしん)によって
開かれた寺。ここも、本堂内陣の彩色や彫刻がすばらしい。境内
に、ここで詠んだ高浜虚子と稲畑汀子父娘の句碑が立っていた。

 まだ陽は高いが残暑が厳しいので、4㎞ほど南、上杉謙信ゆか
りの春日山まで回る気にはならず、五智の町並みを進み、15時
20分にJR直江津駅に着いた。

 この日は、駅の南西にあるビジネスホテルに最後の宿をとる。

(天気 晴、距離 19㎞、地図(1/2.5万) 名立大町、高田西部、
 歩行地 糸魚川市、上越市、歩数 34,200)
コメント (5)
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