2008年9月20日(土)
埼玉県を中心にカントリーウオークをしているグループの9月
例会に参加した。
心配された台風13号は前夜半に通過し、集合地の東武越生
(おごせ)線 川角(かわかど)駅に着いたら、すっかり好天にな
っていた。
参加者15人は、5組に分かれて10時5分に出発した。
=新しき村から毛呂山総合公園へ=
踏切を越えて南側に回り、下川原の星宮神社へ。3代将軍
徳川家光から朱印状を賜った社(やしろ)。境内はりっぱな杉木
立に覆われている。
大杉の間の狭い参道を下り、隣の延命寺に行く。鐘楼の前
のハスが、たくさん実をつけていた。
城西大の南に進み、1車線ぎりぎりの木の橋を渡る。多和
目集落の民家の間を抜け、多和目天神社へ。
社殿横には、樹高15m、樹齢800年ほどと推定されるカゴ
ノキの大木がある。
関東以北では珍しいというクスノキ科の樹木で、樹皮が鹿の
子の斑点のようなことからこの名称がつけられたという。
集落を少し戻って高麗川際に下ると、キバナコスモスやヒガン
バナの咲くゲートボール場がある。冠水橋になっている低い欄
干の木の橋を渡り、黄金色になった田んぼの間を抜ける。
残暑が厳しいが、そばの城山中は運動会の最中で、元気な
歓声が聞こえる。コンバインで稲刈りをしている田んぼや、す
でにはさ掛けした田んぼもあった。
城山橋の近くからヒノキ林に入り、林間を上がる。結構急坂
だが陽がさえぎられたので、暑さから解放されてほっとする。
台地上にできた西坂戸の新興住宅地の南側に上がり、杉林
との間の緑陰を進む。
多和目城の説明板があり、そばの城山(113.4m)が中世
の城跡で、室町時代の大永4年(1524)に河越城主の扇谷
上杉氏が攻めたことなどが記されていた。
西坂戸三丁目の住宅地の西端から谷地田の間を抜け、西側
の台地に上がって武者小路実篤の「新しき村」に入った。創立
から90年になるようで、建物などはかなり年代を感じるもの
ばかり。
中ほどにあった東屋(あずまや)で小休止し、水分補給をする。
周辺に美術館や、村で栽培した野菜や卵などの売店、ギャラ
リーなどもあったが、昼食地までの残り時間が少なくなったの
で寄らずに通過する。
村の入口には、こんな門が立っていた。
JR八高線の踏切を渡り、車の多い県道30号を横断し、昼
食地の毛呂山(もろやま)総合公園に12時35分に着いた。
=緑陰を抜けヒガンバナの里へ=
昼食を終え、芝生広場にあった、わが人類の大先輩?を囲ん
で記念撮影し、13時34分に午後のコースに向け出発する。
総合公園の南側に屋外プールがあるが、草が伸びて営業は
止めた模様。埼玉ゴルフ場の間を上がって下ると、林間に山
根六角塔婆と呼ぶ梵字(ぼんじ)の記された古い塔婆(下)と、
宿谷(しゆくや)地蔵尊の地蔵堂があった。
林間を少し下って宿谷川沿いに出る。陶芸工房の北側から
宿谷川左岸の涼しい林間に入った。陽の差さぬ針葉樹の下に、
やぶミョウガやシュウカイドウが咲いていた。
上大寺から下大寺へと家並みの散在する集落を進む。ソバ
畑があり、穏やかな白い花が、暑さを和らげてくれる。
このあたりにも、ヒガンバナがあちこちに咲いていた。
ふたたび県道30号とJR八高線を横断し、川端集落に入っ
た。キバナコスモスがたくさん咲き、さらに進むと、田んぼの
あぜにヒガンバナが群生していた。
ここは11年前の同じ頃にも寄ったところ。その時と同様、
ちょうどヒガンバナが見ごろで、頭を垂れた稲穂の黄金色と
ともに、よい彩りを見せる。
花を見ながらそばの民家の緑陰で休憩する。
すぐ先で南西に向きを変える。近くの民家のガレージに吊さ
れた温度計は30度を示し、改めて残暑の厳しいことを感じる。
しかし、田んぼでは、実りの秋の近いことを告げていた。
3度目の八高線と県道を横断、やや交通量のある車道を仲
居から馬場へと進み、松福院へ。
趣ある本堂で、境内の木々もよく手入れされている。郷土の
木というボダイジュや、薬師堂もあった。
金剛寺集落で車道を離れ、高麗川の木の橋を渡る。
新堀から四本木へと南東へ進み、15時58分にJR高麗川駅
にゴールした。
(天気 晴、参加 15人、距離 15㎞、地図(1/2.5万) 越生、
飯能、歩行地 埼玉県毛呂山町、日高市)
埼玉県を中心にカントリーウオークをしているグループの9月
例会に参加した。
心配された台風13号は前夜半に通過し、集合地の東武越生
(おごせ)線 川角(かわかど)駅に着いたら、すっかり好天にな
っていた。
参加者15人は、5組に分かれて10時5分に出発した。
=新しき村から毛呂山総合公園へ=
踏切を越えて南側に回り、下川原の星宮神社へ。3代将軍
徳川家光から朱印状を賜った社(やしろ)。境内はりっぱな杉木
立に覆われている。
大杉の間の狭い参道を下り、隣の延命寺に行く。鐘楼の前
のハスが、たくさん実をつけていた。
城西大の南に進み、1車線ぎりぎりの木の橋を渡る。多和
目集落の民家の間を抜け、多和目天神社へ。
社殿横には、樹高15m、樹齢800年ほどと推定されるカゴ
ノキの大木がある。
関東以北では珍しいというクスノキ科の樹木で、樹皮が鹿の
子の斑点のようなことからこの名称がつけられたという。
集落を少し戻って高麗川際に下ると、キバナコスモスやヒガン
バナの咲くゲートボール場がある。冠水橋になっている低い欄
干の木の橋を渡り、黄金色になった田んぼの間を抜ける。
残暑が厳しいが、そばの城山中は運動会の最中で、元気な
歓声が聞こえる。コンバインで稲刈りをしている田んぼや、す
でにはさ掛けした田んぼもあった。
城山橋の近くからヒノキ林に入り、林間を上がる。結構急坂
だが陽がさえぎられたので、暑さから解放されてほっとする。
台地上にできた西坂戸の新興住宅地の南側に上がり、杉林
との間の緑陰を進む。
多和目城の説明板があり、そばの城山(113.4m)が中世
の城跡で、室町時代の大永4年(1524)に河越城主の扇谷
上杉氏が攻めたことなどが記されていた。
西坂戸三丁目の住宅地の西端から谷地田の間を抜け、西側
の台地に上がって武者小路実篤の「新しき村」に入った。創立
から90年になるようで、建物などはかなり年代を感じるもの
ばかり。
中ほどにあった東屋(あずまや)で小休止し、水分補給をする。
周辺に美術館や、村で栽培した野菜や卵などの売店、ギャラ
リーなどもあったが、昼食地までの残り時間が少なくなったの
で寄らずに通過する。
村の入口には、こんな門が立っていた。
JR八高線の踏切を渡り、車の多い県道30号を横断し、昼
食地の毛呂山(もろやま)総合公園に12時35分に着いた。
=緑陰を抜けヒガンバナの里へ=
昼食を終え、芝生広場にあった、わが人類の大先輩?を囲ん
で記念撮影し、13時34分に午後のコースに向け出発する。
総合公園の南側に屋外プールがあるが、草が伸びて営業は
止めた模様。埼玉ゴルフ場の間を上がって下ると、林間に山
根六角塔婆と呼ぶ梵字(ぼんじ)の記された古い塔婆(下)と、
宿谷(しゆくや)地蔵尊の地蔵堂があった。
林間を少し下って宿谷川沿いに出る。陶芸工房の北側から
宿谷川左岸の涼しい林間に入った。陽の差さぬ針葉樹の下に、
やぶミョウガやシュウカイドウが咲いていた。
上大寺から下大寺へと家並みの散在する集落を進む。ソバ
畑があり、穏やかな白い花が、暑さを和らげてくれる。
このあたりにも、ヒガンバナがあちこちに咲いていた。
ふたたび県道30号とJR八高線を横断し、川端集落に入っ
た。キバナコスモスがたくさん咲き、さらに進むと、田んぼの
あぜにヒガンバナが群生していた。
ここは11年前の同じ頃にも寄ったところ。その時と同様、
ちょうどヒガンバナが見ごろで、頭を垂れた稲穂の黄金色と
ともに、よい彩りを見せる。
花を見ながらそばの民家の緑陰で休憩する。
すぐ先で南西に向きを変える。近くの民家のガレージに吊さ
れた温度計は30度を示し、改めて残暑の厳しいことを感じる。
しかし、田んぼでは、実りの秋の近いことを告げていた。
3度目の八高線と県道を横断、やや交通量のある車道を仲
居から馬場へと進み、松福院へ。
趣ある本堂で、境内の木々もよく手入れされている。郷土の
木というボダイジュや、薬師堂もあった。
金剛寺集落で車道を離れ、高麗川の木の橋を渡る。
新堀から四本木へと南東へ進み、15時58分にJR高麗川駅
にゴールした。
(天気 晴、参加 15人、距離 15㎞、地図(1/2.5万) 越生、
飯能、歩行地 埼玉県毛呂山町、日高市)