きょうは、当日3枚の写真だけで報告した、3日前の関東百駅
巡礼歩行のレポートです。
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2008年10月11日(土)
![](http://clip.alpslab.jp/bin/map?pos=36/27/14.478,140/6/20.397&scale=250000)
やまさんの関東百駅巡礼歩行、第48回は真岡(もおか)鐵道の
益子(ましこ)駅。参加者10人は記念撮影後、11時11分に益子
駅を出た。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/e1/37f653e11f147f494973adea89243fc6.jpg)
県道41号を横切り、古い虚空蔵(こくぞう)堂の先から、生い茂
った草をかき分けて行くと、地図に記された林間の細道が残って
いた。樹林下の、小さいほこらが二つ並ぶ横を通過する。
左へ回り込んでしばらくで、地図にはない車道が下に見えた。
その道に下ると、益子小の横から南西の石並集落とを結ぶ通学
路らしく、車道際に「学道につき最徐行」の立て札が立つていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/e0/0f5c8cb7f9132612caf5890a6b5aadc9.jpg)
「学道」という標識は、はじめて見た。
すぐ先にあった林間の細道に再び入り、緩やかにトラバースしな
がら東斜面を進む。右から、工事を終えたばかりで未開通の車道
が現れた。
その道を進むと西側に、ぽっかりと山をえぐった広大な砂利採取
場が見下ろせる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/5a/e55ace559c3d04c8f6a83fd41159d058.jpg)
東側に見えた谷地田(やちだ)のあぜに下り、西明寺集落の車
道に出る。野菜を無人販売する建物があったので、場所を借りて
昼食にした。
青空が広がり、日が差してきた。東側の一軒家と細い谷地田の
間を進んで東側稜線上の畑を横切るつもりだったが、そこは若木
のヒノキと杉林になっていた。
その林に上がり稜線を越えて反対側の田んぼに向かって横断
する。ところが中ほどで、米粒くらいの小さなひっつき虫が、シャツ
やズボン、ザックなどに何千とも知れずにくっついてしまった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/56/64ecf1cc2bb301a2af00f1755087b8f4.jpg)
まるで着衣に模様ができたようで、ひとつひとつ手で摘まぬと
取れない。摘みながら田んぼのあぜを進むが、いつになったら取
り切れるか計り知れぬほど多い。こんなしつこいひっつき虫に遭
遇したのは皆、初めてのことだった。
帰宅後、ネットで調べてみたら、どうやらこれはイノコズチという
草の実らしい。
東側山腹に見えた芳賀青年の家に向かって、駐車場の横から
ジグザグに上がる。青年の家の広場では、小学生だろうか、テン
ト代わりのシート張りの訓練をしていた。
青年の家の上が、坂東三十三観音霊場第二十番札所の西明
寺(さいみようじ)。一番下の納経所は、かやぶき屋根である。
その前に、県天然記念物の大きなクスノキが立っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/8a/3055591c837dd8eb9e80ab6d11a1bc85.jpg)
手をこまねいていたひっつき虫は、濡れティッシュでぬぐうと取
れることが分かり、寺の駐車場のトイレの水で濡らしたティッシュ
を何枚か使い、なんとか目につかぬくらいまで取ることが出来た。
林間の石段を上がってくぐる楼門も、どっしりしたかやぶき屋根。
明応元年(1492)建築で、そばに立つ天文7年(1538)建立の
三重塔とともに、国重要文化財に指定されている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/a8/fc4af88ea67580618d0e4dc5a8f71add.jpg)
楼門右手の閻魔(えんま)堂もかやぶき屋根だった。閻魔堂内に
は、5体の仏像が並び、中心の閻魔大王は日本でただひとつと
いう、珍しい笑い顔の閻魔様である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/3e/4796c326889ac15555f816ef07cf0457.jpg)
かやぶきにトタンを被せた堂々たる本堂に参拝する。欄間(らん
ま)に紙の千社札(せんじゃふだ)がたくさん貼られ、色あせては
いるが、精巧な木彫にも目を引かれる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/bb/b9cb3f949ba1b4733a1b03cf514b0d22.jpg)
本堂右手に、「とちぎ名木百選」のコウヤマキの巨木が、複雑に
枝を伸ばしていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/13/18d04deae5f7de53692caa6db235efe5.jpg)
樹高30m、周囲5.4m、承元3年(1209)に宇都宮景房が本
堂修復記念に植えたと伝えられているという。
コウヤマキの横から背後の林に入り、関東ふれあいの道を400
mほどで権現平に上がる。権現平には展望台とベンチがあり、少
し霞んではいるが、広葉樹の間から西北方が展望できる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/f0/63bdbfbaad063707cafd270a9369902c.jpg)
さらに先へ、県道262号を2度目に横断したところに、大日本史
に関東六城の一つとして紹介されているという、高館城跡の説明
板があった。
関東ふれあいの道は、「益子の森」と呼ぶ稜線上の気持ちよい
遊歩道を北に向かう。途中の窯眺橋で車道の上を陸橋で通過し、
少しずつ下ってトリム施設の横を過ぎ、フォレストイン益子という
宿泊施設の前に出た。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/1f/e916cd28b3e7e6ba2c7f89bfa10f7eb3.jpg)
さらに林間を下って須田ヶ池のそばまで行ったが行き止まり。
フォレストインのそばに戻り、東側の車道から県道230号に出た。
このあたりから益子焼きの製陶所が幾つか並んでいる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/dd/03b7ce9a40bd286fa6f55fec45bd8ad2.jpg)
カモの泳ぐ須田ヶ池の西で県道に分かれて南側の旧道へ。
小峰窯業センターの先にて広い車道を横断、丘陵に上がって下
り、田舎料理の店の横県道230号に合した。そばの道祖土(さや
ど)上バス停で時刻を確認したが、しばらく来ないので、駅まで歩
くことにする。
益子焼きの品定めに来た人で賑わう益子焼窯元窯業センター
には、益子焼きの大ダヌキが鎮座していた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/51/124fc136014dabeca72a03d45205188a.jpg)
道路の南の広場では、幾つかのテントの下に益子焼の製品を
たくさん並べて販売している。
窯業センターの横を北に入って益子陶芸美術館に行く。この日
まで休館中で観覧はできない。構内を先に進み、遊歩道を遺跡広
場の先まで行く。このあたりは益子古城の城跡らしい。
幼稚園を併設した観音寺の横から県道の交差点際に下る。そば
に、かやぶき屋根のりっぱな家が見えたので回ってみた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/f8/72e31c293f33ab676b0ad37127d863e1.jpg)
県文化財の日下田邸で、藍染め工房になっている。中に入って
藍染めの窯(かま)や、水でさらす工程などを見せていただく。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/a7/8b1d60d32a0e3d8382845d6149aad2a9.jpg)
藍染製品もたくさん並べて販売していた。
鍵の手のところで県道に分かれて南を平行する細い旧道へ。
益子保育園のそばを通り、15時58分に益子駅に戻った。
(天気 曇後晴、距離 10㎞、地図 真岡、歩行地 栃木県益子
町、歩数 20700)
巡礼歩行のレポートです。
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2008年10月11日(土)
やまさんの関東百駅巡礼歩行、第48回は真岡(もおか)鐵道の
益子(ましこ)駅。参加者10人は記念撮影後、11時11分に益子
駅を出た。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/e1/37f653e11f147f494973adea89243fc6.jpg)
県道41号を横切り、古い虚空蔵(こくぞう)堂の先から、生い茂
った草をかき分けて行くと、地図に記された林間の細道が残って
いた。樹林下の、小さいほこらが二つ並ぶ横を通過する。
左へ回り込んでしばらくで、地図にはない車道が下に見えた。
その道に下ると、益子小の横から南西の石並集落とを結ぶ通学
路らしく、車道際に「学道につき最徐行」の立て札が立つていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/e0/0f5c8cb7f9132612caf5890a6b5aadc9.jpg)
「学道」という標識は、はじめて見た。
すぐ先にあった林間の細道に再び入り、緩やかにトラバースしな
がら東斜面を進む。右から、工事を終えたばかりで未開通の車道
が現れた。
その道を進むと西側に、ぽっかりと山をえぐった広大な砂利採取
場が見下ろせる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/5a/e55ace559c3d04c8f6a83fd41159d058.jpg)
東側に見えた谷地田(やちだ)のあぜに下り、西明寺集落の車
道に出る。野菜を無人販売する建物があったので、場所を借りて
昼食にした。
青空が広がり、日が差してきた。東側の一軒家と細い谷地田の
間を進んで東側稜線上の畑を横切るつもりだったが、そこは若木
のヒノキと杉林になっていた。
その林に上がり稜線を越えて反対側の田んぼに向かって横断
する。ところが中ほどで、米粒くらいの小さなひっつき虫が、シャツ
やズボン、ザックなどに何千とも知れずにくっついてしまった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/56/64ecf1cc2bb301a2af00f1755087b8f4.jpg)
まるで着衣に模様ができたようで、ひとつひとつ手で摘まぬと
取れない。摘みながら田んぼのあぜを進むが、いつになったら取
り切れるか計り知れぬほど多い。こんなしつこいひっつき虫に遭
遇したのは皆、初めてのことだった。
帰宅後、ネットで調べてみたら、どうやらこれはイノコズチという
草の実らしい。
東側山腹に見えた芳賀青年の家に向かって、駐車場の横から
ジグザグに上がる。青年の家の広場では、小学生だろうか、テン
ト代わりのシート張りの訓練をしていた。
青年の家の上が、坂東三十三観音霊場第二十番札所の西明
寺(さいみようじ)。一番下の納経所は、かやぶき屋根である。
その前に、県天然記念物の大きなクスノキが立っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/8a/3055591c837dd8eb9e80ab6d11a1bc85.jpg)
手をこまねいていたひっつき虫は、濡れティッシュでぬぐうと取
れることが分かり、寺の駐車場のトイレの水で濡らしたティッシュ
を何枚か使い、なんとか目につかぬくらいまで取ることが出来た。
林間の石段を上がってくぐる楼門も、どっしりしたかやぶき屋根。
明応元年(1492)建築で、そばに立つ天文7年(1538)建立の
三重塔とともに、国重要文化財に指定されている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/a8/fc4af88ea67580618d0e4dc5a8f71add.jpg)
楼門右手の閻魔(えんま)堂もかやぶき屋根だった。閻魔堂内に
は、5体の仏像が並び、中心の閻魔大王は日本でただひとつと
いう、珍しい笑い顔の閻魔様である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/3e/4796c326889ac15555f816ef07cf0457.jpg)
かやぶきにトタンを被せた堂々たる本堂に参拝する。欄間(らん
ま)に紙の千社札(せんじゃふだ)がたくさん貼られ、色あせては
いるが、精巧な木彫にも目を引かれる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/bb/b9cb3f949ba1b4733a1b03cf514b0d22.jpg)
本堂右手に、「とちぎ名木百選」のコウヤマキの巨木が、複雑に
枝を伸ばしていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/13/18d04deae5f7de53692caa6db235efe5.jpg)
樹高30m、周囲5.4m、承元3年(1209)に宇都宮景房が本
堂修復記念に植えたと伝えられているという。
コウヤマキの横から背後の林に入り、関東ふれあいの道を400
mほどで権現平に上がる。権現平には展望台とベンチがあり、少
し霞んではいるが、広葉樹の間から西北方が展望できる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/f0/63bdbfbaad063707cafd270a9369902c.jpg)
さらに先へ、県道262号を2度目に横断したところに、大日本史
に関東六城の一つとして紹介されているという、高館城跡の説明
板があった。
関東ふれあいの道は、「益子の森」と呼ぶ稜線上の気持ちよい
遊歩道を北に向かう。途中の窯眺橋で車道の上を陸橋で通過し、
少しずつ下ってトリム施設の横を過ぎ、フォレストイン益子という
宿泊施設の前に出た。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/1f/e916cd28b3e7e6ba2c7f89bfa10f7eb3.jpg)
さらに林間を下って須田ヶ池のそばまで行ったが行き止まり。
フォレストインのそばに戻り、東側の車道から県道230号に出た。
このあたりから益子焼きの製陶所が幾つか並んでいる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/dd/03b7ce9a40bd286fa6f55fec45bd8ad2.jpg)
カモの泳ぐ須田ヶ池の西で県道に分かれて南側の旧道へ。
小峰窯業センターの先にて広い車道を横断、丘陵に上がって下
り、田舎料理の店の横県道230号に合した。そばの道祖土(さや
ど)上バス停で時刻を確認したが、しばらく来ないので、駅まで歩
くことにする。
益子焼きの品定めに来た人で賑わう益子焼窯元窯業センター
には、益子焼きの大ダヌキが鎮座していた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/51/124fc136014dabeca72a03d45205188a.jpg)
道路の南の広場では、幾つかのテントの下に益子焼の製品を
たくさん並べて販売している。
窯業センターの横を北に入って益子陶芸美術館に行く。この日
まで休館中で観覧はできない。構内を先に進み、遊歩道を遺跡広
場の先まで行く。このあたりは益子古城の城跡らしい。
幼稚園を併設した観音寺の横から県道の交差点際に下る。そば
に、かやぶき屋根のりっぱな家が見えたので回ってみた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/f8/72e31c293f33ab676b0ad37127d863e1.jpg)
県文化財の日下田邸で、藍染め工房になっている。中に入って
藍染めの窯(かま)や、水でさらす工程などを見せていただく。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/a7/8b1d60d32a0e3d8382845d6149aad2a9.jpg)
藍染製品もたくさん並べて販売していた。
鍵の手のところで県道に分かれて南を平行する細い旧道へ。
益子保育園のそばを通り、15時58分に益子駅に戻った。
(天気 曇後晴、距離 10㎞、地図 真岡、歩行地 栃木県益子
町、歩数 20700)