今日も、4年前の春歩いたレポートです。場所は、昨日、一昨日の八ッ場
ダム建設予定地より、吾妻川の下流約30㎞の、群馬県小野上村(現在は
渋川市)周辺です。
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2005年5月15日(日)
宿泊した「SUNおのがみ」で6時過ぎに起床、雲がたれ込め間もなく、か
なりの降りとなる。しかし長くは続かず朝食前に止んだ。朝食は7時半から。
納豆、温泉卵、乳酸飲料などもついてメニューは豊富。Kさんから、「お昼は
おにぎり三つなので、たくさん食べておいて」と言われる。
==作間神社から吾妻川遊歩道へ==
記念撮影をして、8時40分に宿を出る。吾妻川沿いに西に向かい、入口
に湯前薬師堂のある日帰り温泉、小野上村温泉センター前を回り、駅西側
の踏切を越える。
国道353号を越えて赤鳥居をくぐり、山すその階段を上がってまず作間
神社へ。
県天然記念物の太いケヤキが2本、新緑の葉を広げている。
村の野仏めぐりコースの出発地になっているようで、その№1になる亨保
9年(1724)造立という双体道祖神があった。
塩川集落を西に500mほど進む。切り立つ断がいの山すそに、岩井堂砦
(とりで)の説明板があった。
延久年間(1069~74)に白井城の支城として築かれ、天正7年(1579)
に真田昌幸の家臣が城主になったころは、白井や前橋までにらみを利かす
重要な役割を果たしたという。砦はこの上の岩山にあって、物見台、のろし
台として利用されていたらしい。
国道に出たが、車が多く歩道が無い。一列になって注意しながら進む。
物産茶屋里山や、みやまワイン直売所前を通過、物産茶屋では何人かが
ウドなどを求めた。
周辺のオオデマリがふっくらとした花を開いている。天気が回復し青空が
広がってきた。
下市城(しもいちしろ)の市城交差点で国道を離れ、吾妻川↑の橋を渡って
東村(あづまむら)に入った。今日歩くエリアの大半は東村である。
ちなみに、群馬県には東村が三つあった。ここ吾妻(あがつま)郡と、佐波
(さわ)郡、勢多(せた)郡である。このうち佐波郡東村は今年(2005年)1月
1日に伊勢崎市となり、残る二つも来年(2006年)3月27日に合併で消え
る運命にある。 (注:2009年の現在は全部無くなっている)
橋の下を少し戻り、右岸沿いの吾妻川自然遊歩道に入る。橋のそばに、
「ここから300m上流に筏(いかだ)流し場があった」との表示がある。南側
の榛名山から切り出した木材を、筏に組んで下ったらしい。
桜並木が続く遊歩道からは、歩いてきた対岸の新緑あふれる山並みの展
望が広がる。
500mほど進むと、流れに向かって突き出た辺りに大きな岩盤があり、
数個の窪みに雨水が溜まっている。
甌穴(おうけつ)との表示があり、現在の流水面より10m近く高いが、昔は
ここが水底だったようだ。
そばに、ばくち場跡の表示もあるが名残はない。
この辺り、松林や広葉樹の新緑の下の気持ちよい歩道が続く。
林の外れで休憩。今日もSさんがコーヒーを用意してくれた。ピーナツや
菓子、乾燥フルーツなども回ってくる。
南側の緩斜面は、広い芝生と池のある自然公園。周囲の緑が静かな池に
影を映し、ツツジやシバザクラが鮮やかな彩りを添えていた。
==東村の段丘上を箱島湧水へ==
休耕田や田植え直前の田んぼの間を抜けて月夜野集落に向かう。
周辺の、やわらかな彩りの新緑が気持ちよい。
月夜の集落の長徳寺は、かやぶき屋根の本堂と新緑あふれる庭が、落ち
着いたたたずまいを見せてくれる。
さらに集落を上ると、四差路角の民家に、花どきに来て見たい大きなしだれ
桜が、新緑の枝を広げていた。
養蚕農家だったという飯塚家のもので、村の名木10選の一つ。出てきた
奥さんによれば、樹齢は百年近いらしい。木の下には、大きな漬け物樽を
活用した風雅な茶室もあった。 (続く)
ダム建設予定地より、吾妻川の下流約30㎞の、群馬県小野上村(現在は
渋川市)周辺です。
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2005年5月15日(日)
宿泊した「SUNおのがみ」で6時過ぎに起床、雲がたれ込め間もなく、か
なりの降りとなる。しかし長くは続かず朝食前に止んだ。朝食は7時半から。
納豆、温泉卵、乳酸飲料などもついてメニューは豊富。Kさんから、「お昼は
おにぎり三つなので、たくさん食べておいて」と言われる。
==作間神社から吾妻川遊歩道へ==
記念撮影をして、8時40分に宿を出る。吾妻川沿いに西に向かい、入口
に湯前薬師堂のある日帰り温泉、小野上村温泉センター前を回り、駅西側
の踏切を越える。
国道353号を越えて赤鳥居をくぐり、山すその階段を上がってまず作間
神社へ。
県天然記念物の太いケヤキが2本、新緑の葉を広げている。
村の野仏めぐりコースの出発地になっているようで、その№1になる亨保
9年(1724)造立という双体道祖神があった。
塩川集落を西に500mほど進む。切り立つ断がいの山すそに、岩井堂砦
(とりで)の説明板があった。
延久年間(1069~74)に白井城の支城として築かれ、天正7年(1579)
に真田昌幸の家臣が城主になったころは、白井や前橋までにらみを利かす
重要な役割を果たしたという。砦はこの上の岩山にあって、物見台、のろし
台として利用されていたらしい。
国道に出たが、車が多く歩道が無い。一列になって注意しながら進む。
物産茶屋里山や、みやまワイン直売所前を通過、物産茶屋では何人かが
ウドなどを求めた。
周辺のオオデマリがふっくらとした花を開いている。天気が回復し青空が
広がってきた。
下市城(しもいちしろ)の市城交差点で国道を離れ、吾妻川↑の橋を渡って
東村(あづまむら)に入った。今日歩くエリアの大半は東村である。
ちなみに、群馬県には東村が三つあった。ここ吾妻(あがつま)郡と、佐波
(さわ)郡、勢多(せた)郡である。このうち佐波郡東村は今年(2005年)1月
1日に伊勢崎市となり、残る二つも来年(2006年)3月27日に合併で消え
る運命にある。 (注:2009年の現在は全部無くなっている)
橋の下を少し戻り、右岸沿いの吾妻川自然遊歩道に入る。橋のそばに、
「ここから300m上流に筏(いかだ)流し場があった」との表示がある。南側
の榛名山から切り出した木材を、筏に組んで下ったらしい。
桜並木が続く遊歩道からは、歩いてきた対岸の新緑あふれる山並みの展
望が広がる。
500mほど進むと、流れに向かって突き出た辺りに大きな岩盤があり、
数個の窪みに雨水が溜まっている。
甌穴(おうけつ)との表示があり、現在の流水面より10m近く高いが、昔は
ここが水底だったようだ。
そばに、ばくち場跡の表示もあるが名残はない。
この辺り、松林や広葉樹の新緑の下の気持ちよい歩道が続く。
林の外れで休憩。今日もSさんがコーヒーを用意してくれた。ピーナツや
菓子、乾燥フルーツなども回ってくる。
南側の緩斜面は、広い芝生と池のある自然公園。周囲の緑が静かな池に
影を映し、ツツジやシバザクラが鮮やかな彩りを添えていた。
==東村の段丘上を箱島湧水へ==
休耕田や田植え直前の田んぼの間を抜けて月夜野集落に向かう。
周辺の、やわらかな彩りの新緑が気持ちよい。
月夜の集落の長徳寺は、かやぶき屋根の本堂と新緑あふれる庭が、落ち
着いたたたずまいを見せてくれる。
さらに集落を上ると、四差路角の民家に、花どきに来て見たい大きなしだれ
桜が、新緑の枝を広げていた。
養蚕農家だったという飯塚家のもので、村の名木10選の一つ。出てきた
奥さんによれば、樹齢は百年近いらしい。木の下には、大きな漬け物樽を
活用した風雅な茶室もあった。 (続く)