2009年10月18日(日)
快晴の今日、JR武蔵野線周辺を歩き続けている、「カタツムリ歩行」の第
188回例会に参加した。
集合は西武新宿線の東村山駅。10時4分に、西口に出来たばかりの高
層ビルの横をスタートした。
広くなった駅前広場には、「東村山停車場の碑」があり、「明治28年
(1895)8月6日に川越鉄道の駅が設置された」ことなどが記されていた。
蔵造りの古そうなたばこ店や、美味しそうなだんごの香り漂うお弁当の店
の前を通り、細い通りに入る。きれいな流れの向こうに柿畑があり、色づい
た柿がたくさん実っていた。
カリフラワーの畑の向こうには、大きく伸びたケヤキだろうか、広葉樹の繁
る一角が、周辺の住宅地とは異なる空間を見せる。
近くの大善院に入る。富士山麓からでも持ってきたのか、溶岩を積んだ小
山に、お不動さんを中心にそのお弟子さんたちという、三十六童子が立つ。
少し先の右折する角に、開放的でこぎれいな注文建築やリフォーム、材料、
生活雑貨などを扱う住宅関連の店があったので立ち寄る。
1年前に開業の店というが、商品陳列棚や床は優しい木造り。棚に並べら
れた食器なども、しゃれたデザインの商品が並んでいた。
広い敷地いっぱいに、木々の豊富な旧家の横を進み、正福寺へ。本堂の
南側に立つ檜皮葺(ひわだぶき)の千体地蔵堂は、東京都でただひとつの国
宝建築物である。
堂内の千体地蔵を見ることは出来ないが、横の小さい建物にも、木造の
千体地蔵が並んでいた。
野口町4丁目をさらに北に進み、北山公園に入る。春には園内のたくさん
の花菖蒲を見に、私は毎年来ているところ。
今は枯れ始めた葉だけだが、東屋(あずまや)周辺には、かなりの人出も見
られた。
園内の田んぼで収穫した稲を、数段にはさ掛けして干している横を進み、
北山小の先で西武鉄道西武沿線の踏切を越える。その先は狭山丘陵の緑
が広がり、都県境になっている八国山緑地である。
線路沿いにヒイラギモクセイがたくさんあり、キンモクセイとは違う穏やかな
香りを漂わせていた。
二つ池という池の横から広葉樹林に覆われた稜線に上がる。尾根に付けら
れた遊歩道が東京都と埼玉県の境、好天の日曜とあり、遊歩道を歩くグルー
プとかなり行き交う。
狭山丘陵の東端近くには、将軍塚がある。鎌倉時代には、この付近を鎌倉
街道上道(かみつみち)が走り、新田義貞がこの地に一時逗留(とうりゆう)し、
旗を立てたことから将軍塚と呼ばれるようになったという。
将軍塚の先で狭山丘陵の東端に下って北川の橋を渡り、西武新宿線のガ
ードをくぐる。久米川町にあるゴールの熊野神社には、12時15分に着いた。
広い境内にはイチョウや松などが多く、神社の西側は小公園になっている。
社殿の東側には、東村山市の史跡に指定された「久米川の富士塚」があった。
食事を終えて社殿の前で記念撮影とミーティングをして13時過ぎ解散となる。
皆さんは南の東村山駅の方に向かったが、私は近くの梅岩寺に寄る。山門
を入った両側に大ケヤキと大カヤが立つていた。
左手(向こう)の大ケヤキは目通り幹囲7.1m、高さ32.5mあり、都の天然
記念物である。
右手(手前)の大カヤは目通り幹囲約5m、高さ30m、樹齢約600年という。
いずれも新編武蔵風土記稿に記され、当時からすでに大樹であったようだ。
その先両側に、「新・四国石仏」と呼ぶ石仏が並ぶ。江戸期に流行した霊場
巡りのひとつ、四国八十八か所の石仏を造立し、四国まで行かなくても同じ
功徳(くどく)が得られるようにしたもの。
文政7年(1824)の建立で、この近郷で八十八体が残るのはほかにないと
いう。
大きな本堂は比較的新しく、同時に再建したのか、大きな鐘楼も目についた。
八国山近くまで来た道を戻って所沢市内に入り、久米水天宮から緑陰の鳩
峰公園を抜け、15時20分に帰宅した。
(天気 快晴、距離 5㎞+7㎞、地図(1/2.5万) 所沢、歩行地 東京・東村山
市、埼玉・所沢市)
快晴の今日、JR武蔵野線周辺を歩き続けている、「カタツムリ歩行」の第
188回例会に参加した。
集合は西武新宿線の東村山駅。10時4分に、西口に出来たばかりの高
層ビルの横をスタートした。
広くなった駅前広場には、「東村山停車場の碑」があり、「明治28年
(1895)8月6日に川越鉄道の駅が設置された」ことなどが記されていた。
蔵造りの古そうなたばこ店や、美味しそうなだんごの香り漂うお弁当の店
の前を通り、細い通りに入る。きれいな流れの向こうに柿畑があり、色づい
た柿がたくさん実っていた。
カリフラワーの畑の向こうには、大きく伸びたケヤキだろうか、広葉樹の繁
る一角が、周辺の住宅地とは異なる空間を見せる。
近くの大善院に入る。富士山麓からでも持ってきたのか、溶岩を積んだ小
山に、お不動さんを中心にそのお弟子さんたちという、三十六童子が立つ。
少し先の右折する角に、開放的でこぎれいな注文建築やリフォーム、材料、
生活雑貨などを扱う住宅関連の店があったので立ち寄る。
1年前に開業の店というが、商品陳列棚や床は優しい木造り。棚に並べら
れた食器なども、しゃれたデザインの商品が並んでいた。
広い敷地いっぱいに、木々の豊富な旧家の横を進み、正福寺へ。本堂の
南側に立つ檜皮葺(ひわだぶき)の千体地蔵堂は、東京都でただひとつの国
宝建築物である。
堂内の千体地蔵を見ることは出来ないが、横の小さい建物にも、木造の
千体地蔵が並んでいた。
野口町4丁目をさらに北に進み、北山公園に入る。春には園内のたくさん
の花菖蒲を見に、私は毎年来ているところ。
今は枯れ始めた葉だけだが、東屋(あずまや)周辺には、かなりの人出も見
られた。
園内の田んぼで収穫した稲を、数段にはさ掛けして干している横を進み、
北山小の先で西武鉄道西武沿線の踏切を越える。その先は狭山丘陵の緑
が広がり、都県境になっている八国山緑地である。
線路沿いにヒイラギモクセイがたくさんあり、キンモクセイとは違う穏やかな
香りを漂わせていた。
二つ池という池の横から広葉樹林に覆われた稜線に上がる。尾根に付けら
れた遊歩道が東京都と埼玉県の境、好天の日曜とあり、遊歩道を歩くグルー
プとかなり行き交う。
狭山丘陵の東端近くには、将軍塚がある。鎌倉時代には、この付近を鎌倉
街道上道(かみつみち)が走り、新田義貞がこの地に一時逗留(とうりゆう)し、
旗を立てたことから将軍塚と呼ばれるようになったという。
将軍塚の先で狭山丘陵の東端に下って北川の橋を渡り、西武新宿線のガ
ードをくぐる。久米川町にあるゴールの熊野神社には、12時15分に着いた。
広い境内にはイチョウや松などが多く、神社の西側は小公園になっている。
社殿の東側には、東村山市の史跡に指定された「久米川の富士塚」があった。
食事を終えて社殿の前で記念撮影とミーティングをして13時過ぎ解散となる。
皆さんは南の東村山駅の方に向かったが、私は近くの梅岩寺に寄る。山門
を入った両側に大ケヤキと大カヤが立つていた。
左手(向こう)の大ケヤキは目通り幹囲7.1m、高さ32.5mあり、都の天然
記念物である。
右手(手前)の大カヤは目通り幹囲約5m、高さ30m、樹齢約600年という。
いずれも新編武蔵風土記稿に記され、当時からすでに大樹であったようだ。
その先両側に、「新・四国石仏」と呼ぶ石仏が並ぶ。江戸期に流行した霊場
巡りのひとつ、四国八十八か所の石仏を造立し、四国まで行かなくても同じ
功徳(くどく)が得られるようにしたもの。
文政7年(1824)の建立で、この近郷で八十八体が残るのはほかにないと
いう。
大きな本堂は比較的新しく、同時に再建したのか、大きな鐘楼も目についた。
八国山近くまで来た道を戻って所沢市内に入り、久米水天宮から緑陰の鳩
峰公園を抜け、15時20分に帰宅した。
(天気 快晴、距離 5㎞+7㎞、地図(1/2.5万) 所沢、歩行地 東京・東村山
市、埼玉・所沢市)