民主党政権になり、政策の転換として大きな話題となっているのが、群馬
県の八ッ場(やんば)ダムの建設中止の問題です。
昨夜も、NHK総合TV「追跡!AtoZ」のテーマは、「八ッ場ダム・解決の
道はどこに」でした。
埼玉県は、飲料水の60%以上を利根川水系に依存しているとか。県民と
して将来、飲料水は確保できるのか気になるところです。
一方で、建設の計画が出てから、群馬県出身の総理大臣が4人も出てい
るのに、いまだ進捗しないのは、必要ないのではないかとも考えられます。
必要なのか、必要ないのか、何とも分からないままに半世紀近くも振り回
されたのが地元、群馬県長野原町の方々です。
私たちカントリーウオークのグループでは、4年前の5月、ダム建設にゆれ
る長野原町を歩きました。八ッ場ダムダ建設予定地の周辺がどのようなとこ
ろなのか、新緑がすばらしい川原湯温泉周辺の様子を、当時のレポートでご
紹介しましょう。
================================
2005年5月14日(土)
わがカントリーウオークグループの春の1泊ウオーキングは、数年後に八ッ
場(やんば)ダムの湖底に消える運命の吾妻(あがつま)渓谷と川原湯(かわら
ゆ)温泉、そしてその下流、吾妻川右岸の水清らかな里・東村(あずまむら)
を中心に歩くことにした。
7時30分にJR大宮駅に集合。高崎線は早朝人身事故がありダイヤが乱
れ、予定とは別の電車に乗り、高崎駅には9時前に着く。
車で来たTさんと八高線経由の私が合流し、9時42分発JR吾妻線直通電
車に乗り、10時58分、川原湯温泉駅で降りる。
=川原湯温泉街からやんば館へ=
企画したTさんからコース説明を聞き、11時8分に駅前をスタート、まず西側
の吾妻川右岸高台にある川原湯温泉街を目指す。
車の多い国道145号を横断し、「歓迎川原湯温泉入口」のゲートをくぐって山
すその旧道へ。そばに、かやぶき屋根の建物と水車の回る郷土料理「ふるさ
と」があった。
やわらかな彩りの新緑が広がり、谷間に色鮮やかなツツジが咲き、シャク
ナゲも見ごろ。少し上がると「お福まんじゅう」の店があり、試食を勧めている。
一ついただき、歩きながら味わった。
嘉納治五郎別荘跡を過ぎ、むささびの宿として知られているという山木館な
ど、古くからの旅館が並ぶ川原湯温泉街に入る。
吾妻川ははるか下だが、この辺りもダムで水没するのだろうか。
旅館街も終わりに近い山側に、昨年(2004年)6月に完成した川原湯温泉
足湯の源泉が湧く小さい東屋(あずまや)がある。
80℃の源泉に、温泉卵のかごが浸かっていた。そばの足湯は40℃前後に
なっていて、手を入れてみると気持ちよい温度だった。
すぐ上の川原湯神社は、2001年4月の火事で消失した後、再建された銅
ぶきの新しい社殿になっていた。
参拝後、社殿の横に腰を下ろし、対岸の萌える新緑や足下のタンポポなどを
眺めながら昼食にした。さわやかに吹く風が気持ちよい。
神社からの、気持ちよい新緑の眺め。
12時10分に出発、そばの旅館、柏屋の横に、「ダム天端高・標高586m」
の位置が表示され、柏屋の1階も水没する位置にある。この辺りが温泉街の
最高地なので、当然、歩いてきた温泉街は水没することになる。
近くの店の温度計は16℃を示していた。
家屋が尽きて林間を下る。左手上に、水没後の移住先と思われる造成中の
広大な土地が見える。広葉樹林のあちこちでイカルが鳴き、アケビが小さな
花を開いていた。
上湯原への道すじに、手を取りあう双体道祖神があった。宝暦6年(1756)
のもので、アベック地蔵と呼ばれているらしい。
地元住民の共同湯・不動の湯を過ぎ、吾妻川の橋を渡って国道に出る。
川の流れに浸かった石はみな赤い。上流の草津や万座温泉の成分によるも
のと思われる。
200m余り先にある「やんば館」へ。首都圏最後の水ガメといわれる八ッ場
ダムの概要を紹介する施設である。
八ッ場ダムは、吾妻川中流に建設する多目的ダム。利根川水系の他のダム
とあいまって下流部の洪水被害の軽減と、関東5都県の都市用水の開発を行
うもの。
事業費4,600億円、3㎞ほど下流の八ッ場に堤高131m、堤頂長336mの
ダムを造る計画で、総貯水容量は1億750万立方mになるという。
計画段階より首都圏の水需要が減り、近年は不要論も出ているが、先月末
(2005年4月末)、ただ一つ残っていた川原湯地区の移転代替地の分譲価格
受け入れが決まったとの情報もあり、再来年(2007)には本体着工するらしい。
20分ほど見学して館を出た。すぐ手前の学校跡にダムの工事事務所があり、
はるか上の斜面では、付け替えられる国道の工事が進められている。
=駅前に戻り吾妻峡へ=
国道を戻り、橋よりさらに東に進むと、吾妻川右岸に龍の尾のような岩が見
える。
国の天然記念物・臥龍岩(がりゅうがん)で、「岩床の川原湯層の割れ目に
地下の安山岩の溶岩が流入して出来た、230万年前の岩脈」との説明板が
あった。
国道には歩道はあるが車が多い。渓谷両岸の新緑あふれる景観が、車のう
っとうしさを和らげてくれる。
その先の国道北側斜面、崩落防止のネットに覆われた岩壁に、石の階段の
ような部分がある。
表示はなかったが、どうやら地図上の「昇龍岩」のようだ。 (続く)
県の八ッ場(やんば)ダムの建設中止の問題です。
昨夜も、NHK総合TV「追跡!AtoZ」のテーマは、「八ッ場ダム・解決の
道はどこに」でした。
埼玉県は、飲料水の60%以上を利根川水系に依存しているとか。県民と
して将来、飲料水は確保できるのか気になるところです。
一方で、建設の計画が出てから、群馬県出身の総理大臣が4人も出てい
るのに、いまだ進捗しないのは、必要ないのではないかとも考えられます。
必要なのか、必要ないのか、何とも分からないままに半世紀近くも振り回
されたのが地元、群馬県長野原町の方々です。
私たちカントリーウオークのグループでは、4年前の5月、ダム建設にゆれ
る長野原町を歩きました。八ッ場ダムダ建設予定地の周辺がどのようなとこ
ろなのか、新緑がすばらしい川原湯温泉周辺の様子を、当時のレポートでご
紹介しましょう。
================================
2005年5月14日(土)
わがカントリーウオークグループの春の1泊ウオーキングは、数年後に八ッ
場(やんば)ダムの湖底に消える運命の吾妻(あがつま)渓谷と川原湯(かわら
ゆ)温泉、そしてその下流、吾妻川右岸の水清らかな里・東村(あずまむら)
を中心に歩くことにした。
7時30分にJR大宮駅に集合。高崎線は早朝人身事故がありダイヤが乱
れ、予定とは別の電車に乗り、高崎駅には9時前に着く。
車で来たTさんと八高線経由の私が合流し、9時42分発JR吾妻線直通電
車に乗り、10時58分、川原湯温泉駅で降りる。
=川原湯温泉街からやんば館へ=
企画したTさんからコース説明を聞き、11時8分に駅前をスタート、まず西側
の吾妻川右岸高台にある川原湯温泉街を目指す。
車の多い国道145号を横断し、「歓迎川原湯温泉入口」のゲートをくぐって山
すその旧道へ。そばに、かやぶき屋根の建物と水車の回る郷土料理「ふるさ
と」があった。
やわらかな彩りの新緑が広がり、谷間に色鮮やかなツツジが咲き、シャク
ナゲも見ごろ。少し上がると「お福まんじゅう」の店があり、試食を勧めている。
一ついただき、歩きながら味わった。
嘉納治五郎別荘跡を過ぎ、むささびの宿として知られているという山木館な
ど、古くからの旅館が並ぶ川原湯温泉街に入る。
吾妻川ははるか下だが、この辺りもダムで水没するのだろうか。
旅館街も終わりに近い山側に、昨年(2004年)6月に完成した川原湯温泉
足湯の源泉が湧く小さい東屋(あずまや)がある。
80℃の源泉に、温泉卵のかごが浸かっていた。そばの足湯は40℃前後に
なっていて、手を入れてみると気持ちよい温度だった。
すぐ上の川原湯神社は、2001年4月の火事で消失した後、再建された銅
ぶきの新しい社殿になっていた。
参拝後、社殿の横に腰を下ろし、対岸の萌える新緑や足下のタンポポなどを
眺めながら昼食にした。さわやかに吹く風が気持ちよい。
神社からの、気持ちよい新緑の眺め。
12時10分に出発、そばの旅館、柏屋の横に、「ダム天端高・標高586m」
の位置が表示され、柏屋の1階も水没する位置にある。この辺りが温泉街の
最高地なので、当然、歩いてきた温泉街は水没することになる。
近くの店の温度計は16℃を示していた。
家屋が尽きて林間を下る。左手上に、水没後の移住先と思われる造成中の
広大な土地が見える。広葉樹林のあちこちでイカルが鳴き、アケビが小さな
花を開いていた。
上湯原への道すじに、手を取りあう双体道祖神があった。宝暦6年(1756)
のもので、アベック地蔵と呼ばれているらしい。
地元住民の共同湯・不動の湯を過ぎ、吾妻川の橋を渡って国道に出る。
川の流れに浸かった石はみな赤い。上流の草津や万座温泉の成分によるも
のと思われる。
200m余り先にある「やんば館」へ。首都圏最後の水ガメといわれる八ッ場
ダムの概要を紹介する施設である。
八ッ場ダムは、吾妻川中流に建設する多目的ダム。利根川水系の他のダム
とあいまって下流部の洪水被害の軽減と、関東5都県の都市用水の開発を行
うもの。
事業費4,600億円、3㎞ほど下流の八ッ場に堤高131m、堤頂長336mの
ダムを造る計画で、総貯水容量は1億750万立方mになるという。
計画段階より首都圏の水需要が減り、近年は不要論も出ているが、先月末
(2005年4月末)、ただ一つ残っていた川原湯地区の移転代替地の分譲価格
受け入れが決まったとの情報もあり、再来年(2007)には本体着工するらしい。
20分ほど見学して館を出た。すぐ手前の学校跡にダムの工事事務所があり、
はるか上の斜面では、付け替えられる国道の工事が進められている。
=駅前に戻り吾妻峡へ=
国道を戻り、橋よりさらに東に進むと、吾妻川右岸に龍の尾のような岩が見
える。
国の天然記念物・臥龍岩(がりゅうがん)で、「岩床の川原湯層の割れ目に
地下の安山岩の溶岩が流入して出来た、230万年前の岩脈」との説明板が
あった。
国道には歩道はあるが車が多い。渓谷両岸の新緑あふれる景観が、車のう
っとうしさを和らげてくれる。
その先の国道北側斜面、崩落防止のネットに覆われた岩壁に、石の階段の
ような部分がある。
表示はなかったが、どうやら地図上の「昇龍岩」のようだ。 (続く)