レポートが後先になりましたが、今日は、先々週の土曜日に歩いた、カントリ
ーウオークの報告です。
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2009年10月10日(土)
2年ぶりに本土に上陸した台風18号が通過して2日後の土曜日、第177
回例会を開催した。集まった19人は5組に分かれ、10時20分に昔ながら
のたたずまいを残す大麻生(おおあそう)駅を出た。
==三ヶ尻観音から文化創造館へ==
北に向かい、国道140号の手前、住宅地の間を流れる大麻生用水沿いに
西へ少し進んで、国道に面した大栄神社へ。
ケヤキ、カシなどを背にした趣ある社殿、右手背後にご神木の背の高いニレ
が枝を広げていた。
すぐ先の宝蔵寺は本堂の修理中。境内に、明治13年(1880)に大麻生小
が、この地で開校したことが記されていた。
故障した遮断機の修理をせず、道路上に線路マークをした秩父鉄道の踏切
を渡る。押切橋の下を西に抜けると、ほぼ刈り入れを終えた田園地帯。
広々とした田んぼの向こうに外秩父の山並みが広がる。
河川敷の大麻生ゴルフ場を見下ろす荒川左岸堤防を少しと、養護学校の北
を回り、川原明戸にある開放的な境内の明道寺に入る。
応永年間(1394~1428)の開山で、本堂は嘉永7年(1854)の再建。
本堂内陣は、極彩色の精巧な彫刻に彩られていた。墓地には、江戸末期に
栄えた酒造業・青木氏の珍しい酒樽の形をした墓石があるというが見落とす。
再び秩父鉄道の北に出て、柿の実る強戸集落を抜けると田園地帯の向こう
に観音山の緑が広がり、その山ろくを目指す。田んぼでは、コンバインで刈り
取りをしていた。
観音山の山ろくにあるのは、三ヶ尻(みかじり)観音と呼ばれる龍泉寺。関東
弘法大師や、新四国八十八か所、忍(おし)観音霊場、関東ぼけ封じ観音霊場
などになっていて、どっしりとした山門や、石造の真新しい観音立像、大きな本
堂や観音堂などが、遠くからも目についた。
境内は約5000㎡とのことで、本堂は昭和9年(1934)の改築、観音堂は
延享4年(1747)、仁王門は天保3年(1832)の建立という。天保2年、幕末の
志士・渡辺崋山が逗留し、三ヶ尻領を踏査してその記録を書物にしたらしい。
観音堂は極彩色の精巧な木彫が施され、天井画も色鮮やか。高台にあるの
で南側の田園地帯や、南西から西方の山並みなどの展望がよい。
境内には渡邊崋山腰かけ石があり、背後の観音山は、県のふるさとの森に
指定されていた。
三ヶ尻集落を東北に向かい、上越新幹線の高架下を抜けると、熊谷の地酒
を醸造する私と同姓のG酒造がある。
土曜で酒蔵の見学は出来ないが、社長夫妻が居られたので名刺を交換して
銘酒を購入、後から来たグループも含め、何人かが熊谷ゆかりの銘酒「直実」
(なおざね)などを購入した。
広い車道に出て北へ、若木だが大きな実の付いたツバキ畑の横を進み、秩
父鉄道武川駅とJRの熊谷貨物ターミナルを結ぶ、貨物専用の秩父鉄道三ヶ
尻線の北にある、昼食地の「熊谷文化創造館さくらめいと」に、12時30分に
着いた。
昼食場所の屋上へ、エスカレーターで上がる。防風ガラスに囲まれているが
360度の展望、熊谷郊外の家並みや田畑、秩父や上州方面の山並みなどが
望まれる。
少し霞んでいて遠望が聞かないの残念だが、地上で昼食をするのは、例会
でもはじめてのことだった。
==久保島や運動公園を抜ける==
13時30分、全員で午後のコースに向かう。熊谷西高の北側から田園地帯
に出て東へ。刈り入れの済まぬ黄金色の田んぼも残り、さわやかな秋風が心
地よい。
久保島集落に入り、久保島神社で小休止する。ムクの大木が大きく枝を広げ、
黒い実が落ちている。大きなイチョウもあった。
南に進んだ白林寺の本尊は薬師如来とのこと。庫裡(くり)の前に、檀家の方
が奉納した格好良い銘石の庭石が幾つも並んでいた。
集落の南側は熊谷運動公園、野球場や陸上競技場、軟式野球場などが緑の
木々の間に広がる。公園の一角で休憩して記念撮影をする。
上越新幹線の南に回り、後田集落の西にある、こんもりとした木々に覆われた
国史跡の宮塚古墳へ。
方台の上に円墳のある上円下方墳と呼ぶ珍しい形の古墳で、ほぼ完全に保
存された全国的にも数少ない貴重なものだという。
ゴールは秩父鉄道でひとつ東の駅、ひろせ野鳥の森駅に15時45分に着いた。
4年前の2005年3月に開業した秩父鉄道で一番新しい駅。駅舎は木のぬくも
りを生かし、設備はバリアフリーになっているという。
(参加 19人、天気 晴、距離 11㎞、地図(1/2.5万) 三ヶ尻、歩行地 熊谷市、
深谷市)
ーウオークの報告です。
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2009年10月10日(土)
2年ぶりに本土に上陸した台風18号が通過して2日後の土曜日、第177
回例会を開催した。集まった19人は5組に分かれ、10時20分に昔ながら
のたたずまいを残す大麻生(おおあそう)駅を出た。
==三ヶ尻観音から文化創造館へ==
北に向かい、国道140号の手前、住宅地の間を流れる大麻生用水沿いに
西へ少し進んで、国道に面した大栄神社へ。
ケヤキ、カシなどを背にした趣ある社殿、右手背後にご神木の背の高いニレ
が枝を広げていた。
すぐ先の宝蔵寺は本堂の修理中。境内に、明治13年(1880)に大麻生小
が、この地で開校したことが記されていた。
故障した遮断機の修理をせず、道路上に線路マークをした秩父鉄道の踏切
を渡る。押切橋の下を西に抜けると、ほぼ刈り入れを終えた田園地帯。
広々とした田んぼの向こうに外秩父の山並みが広がる。
河川敷の大麻生ゴルフ場を見下ろす荒川左岸堤防を少しと、養護学校の北
を回り、川原明戸にある開放的な境内の明道寺に入る。
応永年間(1394~1428)の開山で、本堂は嘉永7年(1854)の再建。
本堂内陣は、極彩色の精巧な彫刻に彩られていた。墓地には、江戸末期に
栄えた酒造業・青木氏の珍しい酒樽の形をした墓石があるというが見落とす。
再び秩父鉄道の北に出て、柿の実る強戸集落を抜けると田園地帯の向こう
に観音山の緑が広がり、その山ろくを目指す。田んぼでは、コンバインで刈り
取りをしていた。
観音山の山ろくにあるのは、三ヶ尻(みかじり)観音と呼ばれる龍泉寺。関東
弘法大師や、新四国八十八か所、忍(おし)観音霊場、関東ぼけ封じ観音霊場
などになっていて、どっしりとした山門や、石造の真新しい観音立像、大きな本
堂や観音堂などが、遠くからも目についた。
境内は約5000㎡とのことで、本堂は昭和9年(1934)の改築、観音堂は
延享4年(1747)、仁王門は天保3年(1832)の建立という。天保2年、幕末の
志士・渡辺崋山が逗留し、三ヶ尻領を踏査してその記録を書物にしたらしい。
観音堂は極彩色の精巧な木彫が施され、天井画も色鮮やか。高台にあるの
で南側の田園地帯や、南西から西方の山並みなどの展望がよい。
境内には渡邊崋山腰かけ石があり、背後の観音山は、県のふるさとの森に
指定されていた。
三ヶ尻集落を東北に向かい、上越新幹線の高架下を抜けると、熊谷の地酒
を醸造する私と同姓のG酒造がある。
土曜で酒蔵の見学は出来ないが、社長夫妻が居られたので名刺を交換して
銘酒を購入、後から来たグループも含め、何人かが熊谷ゆかりの銘酒「直実」
(なおざね)などを購入した。
広い車道に出て北へ、若木だが大きな実の付いたツバキ畑の横を進み、秩
父鉄道武川駅とJRの熊谷貨物ターミナルを結ぶ、貨物専用の秩父鉄道三ヶ
尻線の北にある、昼食地の「熊谷文化創造館さくらめいと」に、12時30分に
着いた。
昼食場所の屋上へ、エスカレーターで上がる。防風ガラスに囲まれているが
360度の展望、熊谷郊外の家並みや田畑、秩父や上州方面の山並みなどが
望まれる。
少し霞んでいて遠望が聞かないの残念だが、地上で昼食をするのは、例会
でもはじめてのことだった。
==久保島や運動公園を抜ける==
13時30分、全員で午後のコースに向かう。熊谷西高の北側から田園地帯
に出て東へ。刈り入れの済まぬ黄金色の田んぼも残り、さわやかな秋風が心
地よい。
久保島集落に入り、久保島神社で小休止する。ムクの大木が大きく枝を広げ、
黒い実が落ちている。大きなイチョウもあった。
南に進んだ白林寺の本尊は薬師如来とのこと。庫裡(くり)の前に、檀家の方
が奉納した格好良い銘石の庭石が幾つも並んでいた。
集落の南側は熊谷運動公園、野球場や陸上競技場、軟式野球場などが緑の
木々の間に広がる。公園の一角で休憩して記念撮影をする。
上越新幹線の南に回り、後田集落の西にある、こんもりとした木々に覆われた
国史跡の宮塚古墳へ。
方台の上に円墳のある上円下方墳と呼ぶ珍しい形の古墳で、ほぼ完全に保
存された全国的にも数少ない貴重なものだという。
ゴールは秩父鉄道でひとつ東の駅、ひろせ野鳥の森駅に15時45分に着いた。
4年前の2005年3月に開業した秩父鉄道で一番新しい駅。駅舎は木のぬくも
りを生かし、設備はバリアフリーになっているという。
(参加 19人、天気 晴、距離 11㎞、地図(1/2.5万) 三ヶ尻、歩行地 熊谷市、
深谷市)