2014年11月12日(水)
5月23日以来中断していた秩父札所巡り、11月18日の午歳総開帳(うまどしそう
かいちょう)の終了が迫ってきたので、残り4か所を回ることにした。
今日は、秩父鉄道の終点、三峰口駅から31番と32番札所を巡り、小鹿野町(おがの
まち)までの予定。結願(けちがん)となるあと1回を含め、最長の25㎞以上になりそ
うだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/b4/d08637d9f9ba4f6ffa3b08e1503a3052.jpg)
自宅から約2時間をかけ、8時41分に秩父鉄道の終点、三峰口駅に着いた。2両編成
の電車から降りたのは私を含めて5人。だが、秩父札所巡礼らしい人はいない。
雨は心配ないが、曇り空でうす寒い駅前を右へ、線路沿いに進んで荒川の白川橋を渡る。
荒川渓谷の広葉樹は、かなり色づいていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/44/1451051935ef16d5e8795d04d0939c78.jpg)
県道140号を少しで秩父往還贄川(にえがわ)宿に入る。贄川宿は、大宮郷(秩父市
中心部)に次ぐ秩父甲州往還の宿場。三峰社講中や諸国商人衆の定宿として江戸初期から
賑わったという。現在も、往還沿いには当時の雰囲気が残る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/81/87bac21a236408f02b8a5c3691172976.jpg)
往還の東端付近の三差路際に、「みどうかね地蔵」と呼ぶお地蔵さんが祭られていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/0e/f533e8596cd6bc191ce21f45afa9e3c4.jpg)
宝暦7年(1757)の建立で、地元や近隣の人々、秩父札所巡礼者などが祈願し、そ
の功徳や御利益の数多いことが伝えられているようだ。
荒川西小近くまで上がると、荒川の谷を隔てて南側の、荒川白久方面の家並みや山並み
の展望が広がる。小学校の先は家並みがほとんど無くなり、車のすれ違いが出来ない細い
トンネルを抜ける。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/e3/556adbf53ba161ce2dafa9ae9b259134.jpg)
次の古池集落に入り、大きな純和風建築の横を通過した。色づいた実がいっぱいの柿の
木もある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/96/017ca87e2254ed406c894f0d1038750c.jpg)
合併で広がった秩父市から小鹿野町(旧両神村)に入る。少し古そうだが「注意 熊出
没」の張り紙があり、交通量も少ないのでちょっと気になる。近くの東下野沢集落にはセ
ントバーナード犬など80頭在舎という「ワンワンランド」があり、犬の鳴き声が賑やか。
隣接の白沢集落には柿の木が多く、何れも鈴なり。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/4d/107b08cbb7125682a9cd0a7477f5a2c1.jpg)
小森川を渡り、左からの県道367号と合した小森バス停のY字路際に、古い洋風建築
が残る。近藤酒店の建物で、背後には醸造所らしい大きな建物も見えた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/05/9afa013463da373d7f850bbde5d85bac.jpg)
材木の積まれた「両神林産加工」の工場横を過ぎ、間もなく「道の駅 両神温泉薬師の
湯」があったので立ち寄る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/26/805839a7a7396a2521114e55d2ac6e52.jpg)
大きなスペースを占める日帰り温泉薬師の湯のほか、農林産物直売所↑、道の駅案内所、
ふるさと体験処などがある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/53/4a1abcdbe559e91cd23b1b06be1d76e9.jpg)
農林産物直売所をのぞいたが、特に購入したいものはなかった。直売所横のドウダンツ
ツジが色鮮やか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/ab/d04ec706062aff2d9fd9270a79e4e5a5.jpg)
すぐ先の法養寺薬師堂は、今日最初の社寺。両神山・四阿山(あずまやさん)の山ろく
に平安時代に創建されたと伝わり、山の薬師、目病に霊験あたらかな薬師として、神奈川
県伊勢原市の日向薬師、愛知県新城市の鳳来寺薬師とともに「日本三体薬師」の一つに数
えられるという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/2b/da6509bf6f3366a654dc969f42105b8d.jpg)
天正年間(1573~92)にここに移築されたと推定され、県内に残る中世の代表的
建造物として、県有形文化財となっている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/bd/db03cef25a18668e808f4a3b552791b2.jpg)
拝殿には、眼病治癒を祈る人達の奉納らしい、「め」の字の納め札がたくさん奉納され
ていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/d8/a09fb7353bc50f3a27e237cdba3c23f7.jpg)
隣接して両神神社があるが、先を急いで石段下で手を合わせるに留めた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/cf/88f102c70df1067cfc26311b6ba70aef.jpg)
交番や郵便局のある旧両神村中心部のY字路を左折し、旧役場↓前を通過する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/a7/033b564b3c272b09fc0d877ac4cfed13.jpg)
背後の両神小の西側を回って、古くからの巡礼道だった林間の小道を下る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/4d/c3f03760af6ce26e0ddaa400099472a4.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/da/0903fe627ff3111b1ea980b6dccb329c.jpg)
薄川の木の橋を渡り、対岸の坂戸集落へ。ここにもあった薬師堂の横から、背後の稜線
に向かって車道を緩やかに上がる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/e0/35647fa2732587889fcc08930554cb4e.jpg)
薬師堂のそばには、大きな実をつけた柿畑があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/19/ed5f0bf1a85f4c38d75e156710e994fc.jpg)
「竹内いしの墓」の説明板があったが、墓のあり場所は分からない。周辺のモミジがよ
い彩り。小さい峠にも「注意 熊出没」の新しい表示が貼られていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/58/b38fa9c207181fed9433200164a448ee.jpg)
峠から上飯田の集落↑に向かって下る。集落背後の山裾には、県無形文化財の鉄砲祭で
知られる飯田八幡宮の社殿が見えたが、ここも寄らずに通過する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/34/bf05641d3f6a7452bb9a8fdd5915f07e.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/44/e09480d95c251543cdb9920c91d288b3.jpg)
三田川郵便局の先の三差路に立つ、古い「三十一番道」の十部?供養塔↑の横を進み、
岩殿沢の宮平橋を渡って岩殿沢集落に入る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/5d/1cc305929cd57b60584a8efb146beee8.jpg)
家並みの終わる辺りで朱塗りの橋を渡ると簡素な大日堂ががあり、そばの「たらちね観
音」ののぼりの並ぶ光珠院の方が目に付く。
沢沿いを上流への道は、31番札所、観音院への往復路なので、参拝の自家用車やバス
が増える。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/a0/261f2d5e600881f6195bf3fef1e96757.jpg)
観音院への参拝者で賑わう「観音茶屋」↑のすぐ先は地蔵寺。沢を挟んで両側の斜面に、
おびただしい数の水子地蔵が祭られている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/c2/7e1668c9b0210c3383d8047bd405e7cd.jpg)
お堂の近くには、青銅の水子地蔵尊も祭られていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/05/040120ed418b5fd8620ac4ecc2ab0f77.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/9e/e34c25e9ea8be6a73b7b519c09d6ff81.jpg)
すぐ先の地蔵トンネルを抜けてさらに500mほど緩やかに上がり、12時40分に
31番札所、観音院の仁王門下に着いた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/cd/ac3d2d4971fc4af11492a76f523c89c5.jpg)
そばの駐車場は、ご開帳終了まで1週間なので、参拝者の自家用車やバス、マイクロバ
スでいっぱい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/85/e88af41497b8d9bc5c5059c45ca3dc2d.jpg)
山門をくぐり、細く急斜面の階段をつづら折れに何度も曲がり、巨岩に覆われるように
建てられた観音堂まで、ひと汗かきながら上がって参拝する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/a5/7a9d13ef42afb3c4ed24235c06eedc50.jpg)
本尊の聖観音は行基の刻といわれ、畠山重忠により本堂を建立せしめたとのこと。その
後盛衰あり、幕末の頃にさざえ堂式の本堂や宝篋印塔(ほうきょういんとう)を建立した
が明治26年(1893)に焼失し、長らく仮堂のままだったのを、昭和47年(1972)
4月に現在の本堂が再建されたという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/28/5d7f73a412efe9623ec5c1e717c341ff.jpg)
本堂の左手後方岩上から、落差20m余りの「清浄の滝」が落ち、巨岩の下部には、室
町時代ごろの制作と推定される「鷲窟磨崖仏(しゅうくつまがいぶつ)」と呼ぶ、小さな
磨崖仏がたくさん浮き彫りされていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/fe/0ff94c564720c7e528b57b6aee73006a.jpg)
磨崖仏は、県指定史跡である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/40/1fb38140644fdbc8ad62b90a21027002.jpg)
石段沿いに立つ、たくさんの句碑を見ながら山門に下った。観音堂と書かれた建物でお
茶の接待をいただき、駐車場の隅にあったベンチで遅い昼食をする。 〈続く〉
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5月23日以来中断していた秩父札所巡り、11月18日の午歳総開帳(うまどしそう
かいちょう)の終了が迫ってきたので、残り4か所を回ることにした。
今日は、秩父鉄道の終点、三峰口駅から31番と32番札所を巡り、小鹿野町(おがの
まち)までの予定。結願(けちがん)となるあと1回を含め、最長の25㎞以上になりそ
うだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/b4/d08637d9f9ba4f6ffa3b08e1503a3052.jpg)
自宅から約2時間をかけ、8時41分に秩父鉄道の終点、三峰口駅に着いた。2両編成
の電車から降りたのは私を含めて5人。だが、秩父札所巡礼らしい人はいない。
雨は心配ないが、曇り空でうす寒い駅前を右へ、線路沿いに進んで荒川の白川橋を渡る。
荒川渓谷の広葉樹は、かなり色づいていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/44/1451051935ef16d5e8795d04d0939c78.jpg)
県道140号を少しで秩父往還贄川(にえがわ)宿に入る。贄川宿は、大宮郷(秩父市
中心部)に次ぐ秩父甲州往還の宿場。三峰社講中や諸国商人衆の定宿として江戸初期から
賑わったという。現在も、往還沿いには当時の雰囲気が残る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/81/87bac21a236408f02b8a5c3691172976.jpg)
往還の東端付近の三差路際に、「みどうかね地蔵」と呼ぶお地蔵さんが祭られていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/0e/f533e8596cd6bc191ce21f45afa9e3c4.jpg)
宝暦7年(1757)の建立で、地元や近隣の人々、秩父札所巡礼者などが祈願し、そ
の功徳や御利益の数多いことが伝えられているようだ。
荒川西小近くまで上がると、荒川の谷を隔てて南側の、荒川白久方面の家並みや山並み
の展望が広がる。小学校の先は家並みがほとんど無くなり、車のすれ違いが出来ない細い
トンネルを抜ける。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/e3/556adbf53ba161ce2dafa9ae9b259134.jpg)
次の古池集落に入り、大きな純和風建築の横を通過した。色づいた実がいっぱいの柿の
木もある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/96/017ca87e2254ed406c894f0d1038750c.jpg)
合併で広がった秩父市から小鹿野町(旧両神村)に入る。少し古そうだが「注意 熊出
没」の張り紙があり、交通量も少ないのでちょっと気になる。近くの東下野沢集落にはセ
ントバーナード犬など80頭在舎という「ワンワンランド」があり、犬の鳴き声が賑やか。
隣接の白沢集落には柿の木が多く、何れも鈴なり。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/4d/107b08cbb7125682a9cd0a7477f5a2c1.jpg)
小森川を渡り、左からの県道367号と合した小森バス停のY字路際に、古い洋風建築
が残る。近藤酒店の建物で、背後には醸造所らしい大きな建物も見えた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/05/9afa013463da373d7f850bbde5d85bac.jpg)
材木の積まれた「両神林産加工」の工場横を過ぎ、間もなく「道の駅 両神温泉薬師の
湯」があったので立ち寄る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/26/805839a7a7396a2521114e55d2ac6e52.jpg)
大きなスペースを占める日帰り温泉薬師の湯のほか、農林産物直売所↑、道の駅案内所、
ふるさと体験処などがある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/53/4a1abcdbe559e91cd23b1b06be1d76e9.jpg)
農林産物直売所をのぞいたが、特に購入したいものはなかった。直売所横のドウダンツ
ツジが色鮮やか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/ab/d04ec706062aff2d9fd9270a79e4e5a5.jpg)
すぐ先の法養寺薬師堂は、今日最初の社寺。両神山・四阿山(あずまやさん)の山ろく
に平安時代に創建されたと伝わり、山の薬師、目病に霊験あたらかな薬師として、神奈川
県伊勢原市の日向薬師、愛知県新城市の鳳来寺薬師とともに「日本三体薬師」の一つに数
えられるという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/2b/da6509bf6f3366a654dc969f42105b8d.jpg)
天正年間(1573~92)にここに移築されたと推定され、県内に残る中世の代表的
建造物として、県有形文化財となっている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/bd/db03cef25a18668e808f4a3b552791b2.jpg)
拝殿には、眼病治癒を祈る人達の奉納らしい、「め」の字の納め札がたくさん奉納され
ていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/d8/a09fb7353bc50f3a27e237cdba3c23f7.jpg)
隣接して両神神社があるが、先を急いで石段下で手を合わせるに留めた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/cf/88f102c70df1067cfc26311b6ba70aef.jpg)
交番や郵便局のある旧両神村中心部のY字路を左折し、旧役場↓前を通過する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/a7/033b564b3c272b09fc0d877ac4cfed13.jpg)
背後の両神小の西側を回って、古くからの巡礼道だった林間の小道を下る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/4d/c3f03760af6ce26e0ddaa400099472a4.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/da/0903fe627ff3111b1ea980b6dccb329c.jpg)
薄川の木の橋を渡り、対岸の坂戸集落へ。ここにもあった薬師堂の横から、背後の稜線
に向かって車道を緩やかに上がる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/e0/35647fa2732587889fcc08930554cb4e.jpg)
薬師堂のそばには、大きな実をつけた柿畑があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/19/ed5f0bf1a85f4c38d75e156710e994fc.jpg)
「竹内いしの墓」の説明板があったが、墓のあり場所は分からない。周辺のモミジがよ
い彩り。小さい峠にも「注意 熊出没」の新しい表示が貼られていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/58/b38fa9c207181fed9433200164a448ee.jpg)
峠から上飯田の集落↑に向かって下る。集落背後の山裾には、県無形文化財の鉄砲祭で
知られる飯田八幡宮の社殿が見えたが、ここも寄らずに通過する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/34/bf05641d3f6a7452bb9a8fdd5915f07e.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/44/e09480d95c251543cdb9920c91d288b3.jpg)
三田川郵便局の先の三差路に立つ、古い「三十一番道」の十部?供養塔↑の横を進み、
岩殿沢の宮平橋を渡って岩殿沢集落に入る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/5d/1cc305929cd57b60584a8efb146beee8.jpg)
家並みの終わる辺りで朱塗りの橋を渡ると簡素な大日堂ががあり、そばの「たらちね観
音」ののぼりの並ぶ光珠院の方が目に付く。
沢沿いを上流への道は、31番札所、観音院への往復路なので、参拝の自家用車やバス
が増える。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/a0/261f2d5e600881f6195bf3fef1e96757.jpg)
観音院への参拝者で賑わう「観音茶屋」↑のすぐ先は地蔵寺。沢を挟んで両側の斜面に、
おびただしい数の水子地蔵が祭られている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/c2/7e1668c9b0210c3383d8047bd405e7cd.jpg)
お堂の近くには、青銅の水子地蔵尊も祭られていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/05/040120ed418b5fd8620ac4ecc2ab0f77.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/9e/e34c25e9ea8be6a73b7b519c09d6ff81.jpg)
すぐ先の地蔵トンネルを抜けてさらに500mほど緩やかに上がり、12時40分に
31番札所、観音院の仁王門下に着いた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/cd/ac3d2d4971fc4af11492a76f523c89c5.jpg)
そばの駐車場は、ご開帳終了まで1週間なので、参拝者の自家用車やバス、マイクロバ
スでいっぱい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/85/e88af41497b8d9bc5c5059c45ca3dc2d.jpg)
山門をくぐり、細く急斜面の階段をつづら折れに何度も曲がり、巨岩に覆われるように
建てられた観音堂まで、ひと汗かきながら上がって参拝する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/a5/7a9d13ef42afb3c4ed24235c06eedc50.jpg)
本尊の聖観音は行基の刻といわれ、畠山重忠により本堂を建立せしめたとのこと。その
後盛衰あり、幕末の頃にさざえ堂式の本堂や宝篋印塔(ほうきょういんとう)を建立した
が明治26年(1893)に焼失し、長らく仮堂のままだったのを、昭和47年(1972)
4月に現在の本堂が再建されたという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/28/5d7f73a412efe9623ec5c1e717c341ff.jpg)
本堂の左手後方岩上から、落差20m余りの「清浄の滝」が落ち、巨岩の下部には、室
町時代ごろの制作と推定される「鷲窟磨崖仏(しゅうくつまがいぶつ)」と呼ぶ、小さな
磨崖仏がたくさん浮き彫りされていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/fe/0ff94c564720c7e528b57b6aee73006a.jpg)
磨崖仏は、県指定史跡である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/40/1fb38140644fdbc8ad62b90a21027002.jpg)
石段沿いに立つ、たくさんの句碑を見ながら山門に下った。観音堂と書かれた建物でお
茶の接待をいただき、駐車場の隅にあったベンチで遅い昼食をする。 〈続く〉
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