2018年10月18日(木)
== クロアチアの世界遺産ドブロヴニクを
フリータイム観光後 連泊のムリニへ(続き) ==
ドブロヴニク旧市街を囲む城壁を一周して東北側入口近くを下り、昨夜は暗くなってか
ら通った旧市街中心の通り、プラッツア通りに入り、改めて旧市街の内部を観光すること
にする。
まずは、プラッツア通りの東端のルジャ広場に面した聖ヴラホ教会へ。
聖ヴラホはドブロヴニクの守護聖人で、聖ヴラホ教会はかつてはロマネスク様式の教会
が立っていたが地震で損傷し、1715年にバロック様式で再建されたとのこと。
中に入ってきらびやかな祭壇や装飾品、絵画やステンドグラス、聖職者の彫刻などを拝
観した。
12時に聖ヴラホ教会を出て、一本北側の細い通りに回る。この通りにはレストランが
多いので昼食をすることにしたが、手持ちのクロアチア通貨クーナの残金が少ないので、
クレジットカードが利用できる店を探して西端近くまで往復する。南北に延びる幾つもの
通りも狭く、急階段が延びている。
東側まで戻り、12時30分に「KONOBA SCIABECCO」というシーフードレストラン
に入り、アドリア海で獲れたお勧めのシーフード料理で13時25分まで昼食にした。
午後も、旧市街内の観光をすることにしてプラッツア通りに戻り、沿道の店舗やその商
品、建物などを眺めながら西へと進む。
多種多様な商品が多く、どの店を見ても飽きが来ない。
西側出口のピレ(Pila)門に近いフランシスコ(Franjevački)会修道院に入り、14時
13分まで7分ほどだが拝観した。
フランシスコ会修道院は、かつては城壁の外にあったが、外敵から守るために14世紀に
この地に移され、現在の建物は1667年の大地震後に再建されたという。
プラッツア通りの西端にある城壁の入口からは、城壁への急階段が伸びている。西端の
ピレ門からいったん城外に出て、近くのバスやタクシーの乗降場周辺を回る。
樹木に囲まれた小公園があり、南側から海を見下ろすとたくさんの魚の泳ぐのが見下ろ
せた。
ロヴリイェナツ要塞の入口付近まで行って引き返す。
ピレ門を入って再び旧市街に戻り、オノフリオの大噴水↑の横から西側城壁沿いをとの
塀の横を南へ少しで東に回ると、ドブロヴニク旧市街などのスケッチを販売するおじさん
がいたので、はがき代のスケッチを求める。
プラッツア通りのひとつ南に平行する細い通りを東進し、中ほどにあるセルビア正教会
に15時05分に入り、祭壇やステンドガラスなど10分ほど内部を拝観した。
ドブロヴニクにはセルビア教徒が古くから住んでいたが、ラグーサ共和国時代には旧市
街内に正教会を建てるのが禁じられていたため、建てられたのはラグーサ共和国滅亡後の
1877年になってからという。
さらに東へ進んで東端に近い青空広場へ。広場の中央には銅像があった。
東側には旧総督邸が残されている。この街がラグーサ共和国という独立国だった頃の歴
代総督が住んだ家で、住宅のほかに評議会や裁判所なども置かれた行政の中心的な機関だ
ったようで、現在はラグーサ共和国の歴史を伝える博物館になっているという。
青空広場の南側に大聖堂があった。聖母被昇天大聖堂とも呼ばれる大聖堂は、1667
年の震災後にバロック様式により再建されたよう。
15時29分に入り、ドーム天井や多くの祭壇、絵画、ステンドグラスやパイプオルガ
ンなどを10分ほどで拝観した。
主祭壇の奥に飾られているのが、イタリアの有名画家ティツィアーノが16世紀に描い
た「聖母被昇天」である。
「MARIN DRŽIĆ(1508-1567)」と記された人物の坐像を見ながら青空広場を北に抜ける。
マリン・ドルジッチは、ルネサンス期における最も優れたクロアチア人の劇作家・散文作
家と見なされているらしい。
ルジャ広場から北東に緩斜面を上がり、16時06分に入った北東側入口から城壁を後
にした。
旧港を見下ろしながらバス通りまで上がり、16時13分にバス停に着いた。かなりの
人で混雑するバス停でしばらく待ち、16時42分に来た⑩番のバスに乗り東方のムリニ
村にある連泊するホテルに向かう。
16時55分に最寄りのバス停「Srebreno」で下りた。今日の夕食は各々自由なので、
ホテル近くの大きなスーパー「KONOBA」に入り、夕食用のパンやトマト、ハムとチーズ、
ジュースや缶ビールなどを購入する。
帰路の周辺は夕焼けに染まってきた。
連泊するホテルシェラトン ドブロヴニク リビェラの部屋には17時57分に帰着した。
間もなく日没となり、西の空は美しいあかね空になる。
最後の一日は好天に恵まれ、「アドリア海の真珠」と呼ばれるドブロヴニク観光を十分
に楽しむことができた。 (天気 快晴、歩数 15,500)
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== クロアチアの世界遺産ドブロヴニクを
フリータイム観光後 連泊のムリニへ(続き) ==
ドブロヴニク旧市街を囲む城壁を一周して東北側入口近くを下り、昨夜は暗くなってか
ら通った旧市街中心の通り、プラッツア通りに入り、改めて旧市街の内部を観光すること
にする。
まずは、プラッツア通りの東端のルジャ広場に面した聖ヴラホ教会へ。
聖ヴラホはドブロヴニクの守護聖人で、聖ヴラホ教会はかつてはロマネスク様式の教会
が立っていたが地震で損傷し、1715年にバロック様式で再建されたとのこと。
中に入ってきらびやかな祭壇や装飾品、絵画やステンドグラス、聖職者の彫刻などを拝
観した。
12時に聖ヴラホ教会を出て、一本北側の細い通りに回る。この通りにはレストランが
多いので昼食をすることにしたが、手持ちのクロアチア通貨クーナの残金が少ないので、
クレジットカードが利用できる店を探して西端近くまで往復する。南北に延びる幾つもの
通りも狭く、急階段が延びている。
東側まで戻り、12時30分に「KONOBA SCIABECCO」というシーフードレストラン
に入り、アドリア海で獲れたお勧めのシーフード料理で13時25分まで昼食にした。
午後も、旧市街内の観光をすることにしてプラッツア通りに戻り、沿道の店舗やその商
品、建物などを眺めながら西へと進む。
多種多様な商品が多く、どの店を見ても飽きが来ない。
西側出口のピレ(Pila)門に近いフランシスコ(Franjevački)会修道院に入り、14時
13分まで7分ほどだが拝観した。
フランシスコ会修道院は、かつては城壁の外にあったが、外敵から守るために14世紀に
この地に移され、現在の建物は1667年の大地震後に再建されたという。
プラッツア通りの西端にある城壁の入口からは、城壁への急階段が伸びている。西端の
ピレ門からいったん城外に出て、近くのバスやタクシーの乗降場周辺を回る。
樹木に囲まれた小公園があり、南側から海を見下ろすとたくさんの魚の泳ぐのが見下ろ
せた。
ロヴリイェナツ要塞の入口付近まで行って引き返す。
ピレ門を入って再び旧市街に戻り、オノフリオの大噴水↑の横から西側城壁沿いをとの
塀の横を南へ少しで東に回ると、ドブロヴニク旧市街などのスケッチを販売するおじさん
がいたので、はがき代のスケッチを求める。
プラッツア通りのひとつ南に平行する細い通りを東進し、中ほどにあるセルビア正教会
に15時05分に入り、祭壇やステンドガラスなど10分ほど内部を拝観した。
ドブロヴニクにはセルビア教徒が古くから住んでいたが、ラグーサ共和国時代には旧市
街内に正教会を建てるのが禁じられていたため、建てられたのはラグーサ共和国滅亡後の
1877年になってからという。
さらに東へ進んで東端に近い青空広場へ。広場の中央には銅像があった。
東側には旧総督邸が残されている。この街がラグーサ共和国という独立国だった頃の歴
代総督が住んだ家で、住宅のほかに評議会や裁判所なども置かれた行政の中心的な機関だ
ったようで、現在はラグーサ共和国の歴史を伝える博物館になっているという。
青空広場の南側に大聖堂があった。聖母被昇天大聖堂とも呼ばれる大聖堂は、1667
年の震災後にバロック様式により再建されたよう。
15時29分に入り、ドーム天井や多くの祭壇、絵画、ステンドグラスやパイプオルガ
ンなどを10分ほどで拝観した。
主祭壇の奥に飾られているのが、イタリアの有名画家ティツィアーノが16世紀に描い
た「聖母被昇天」である。
「MARIN DRŽIĆ(1508-1567)」と記された人物の坐像を見ながら青空広場を北に抜ける。
マリン・ドルジッチは、ルネサンス期における最も優れたクロアチア人の劇作家・散文作
家と見なされているらしい。
ルジャ広場から北東に緩斜面を上がり、16時06分に入った北東側入口から城壁を後
にした。
旧港を見下ろしながらバス通りまで上がり、16時13分にバス停に着いた。かなりの
人で混雑するバス停でしばらく待ち、16時42分に来た⑩番のバスに乗り東方のムリニ
村にある連泊するホテルに向かう。
16時55分に最寄りのバス停「Srebreno」で下りた。今日の夕食は各々自由なので、
ホテル近くの大きなスーパー「KONOBA」に入り、夕食用のパンやトマト、ハムとチーズ、
ジュースや缶ビールなどを購入する。
帰路の周辺は夕焼けに染まってきた。
連泊するホテルシェラトン ドブロヴニク リビェラの部屋には17時57分に帰着した。
間もなく日没となり、西の空は美しいあかね空になる。
最後の一日は好天に恵まれ、「アドリア海の真珠」と呼ばれるドブロヴニク観光を十分
に楽しむことができた。 (天気 快晴、歩数 15,500)
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