あるきメデス

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「花燃ゆ」の楫取(かとり)夫妻ゆかりの前橋を歩く(群馬)

2015-11-23 22:09:36 | JR東日本駅からハイキング
 2015年11月21日(土)

 10月下旬並みの気温になるとの予報に誘われ、JR東日本の「駅からハイキング」で
前橋市の中心部を歩いた。

 コースは、NHKで放映中の大河ドラマ「花燃ゆ」の終盤の舞台、初代群馬県令楫取素
彦(かとりもとひこ)と妻文(ふみ)・寿(ひさ)ゆかりの地を巡るというもの。

 自宅を7時7分に出て、JR両毛線前橋駅に10時22分に着く。構内の前橋駅観光案
内所で受付を済ませて、10時21分に南口をスタートした。



 色づくイチョウ並木を見ながら南町3交差点まで進み、右折して西に向かう。市民文化
会館の斜向かいに、代田(しろた)神社と淡島神社の小ぶりな社殿が並んでいた。


 淡島神社↑は、正保・天和年間(1644~84)に旧厩橋(うまやばし)城主、酒井
雅楽頭忠清(さかいうたのかみただきよ)のご内室が、紀州加多の浦から勧請したと伝え
られるとか。ちなみに厩橋城とは、後の前橋城のこと。


 ぐるりと長いレンガ塀に囲まれた前橋刑務所の北側には、どっしりした本堂の冷泉院が
あり、近接して、平日のみ開く刑務所作業製品の展示販売所が設けられていた。


 シンプルな斜張橋の平成大橋で利根川を渡る。北側には、JR両毛線と県道109号の
橋が平行して架橋されていた。

 渡り終えてすぐ、利根川右岸沿いの道を北へ、併走するサイクリング道路を進むと、左
岸上流に前橋中央病院(右)と、これから立ち寄る県庁(左)の高層ビルが望まれる。


 桜並木の辺りは、福山雅治が主演した映画「そして父になる」の、父子の感動シーンを
撮影した場所だという。


 国道17号に出て、アーチ橋の群馬大橋で利根川を東に渡り、群馬大橋東詰交差点から
北へ、県庁に入る前に手前の清光寺に寄る。

 清光寺は、明治12年(1879)、初代群馬県令(現在の知事)楫取素彦、寿子夫妻
の発願で創設されたとのこと。

 寿子夫人は母の感化もあり、浄土真宗信仰の大変篤い女性で、この地に念仏の教えを広
め、人身安らかなりしめたいと願い、夫妻で東京・築地本願寺の宗主を訪ねて前橋に寺院
開設を願い、創設されたのだという。

 境内には、前橋市保存樹木の松とイチョウがあり、松は旧前橋城内時代からのものと考
えられ、2本のイチョウは寺の開設時の植樹と思われるという。イチョウの下のモミジが
鮮やかな彩りを見せる。
    

 東側に回って群馬県庁に入り、まずは32階の展望ホールへ。フロア全体が展望室にな
っていて、360度の広大な展望が得られる。

                   浅間山


              榛     名     山


               赤      城     山

 西方に浅間山や榛名山、北に子持山、東北に赤城山、眼下北側には前橋公園や利根川、
東に前橋市中心街などが一望できるが、南側の神流川流域や奥秩父方面の山並みはやや霞
んでいて、遠望は利きにくかった。

        前       橋       公       園


        前    橋    市    中    心    街


        県    庁    東    側    眼    下


 1階では、3日間開催中の「ぐんまフランス祭」の中日で、フランスの産品目当ての県
民で賑わう。先週のパリでのテロ事件を悼む書き込みボードもあり、帰宅後のTV報道で
は、駐日フランス大使も午前中来られたという。


 高層の本庁舎を出て、北側に3棟並ぶレンガ造りの昭和庁舎のうち、本庁舎側の2階で
開催中の「ぐんま花燃ゆ大河ドラマ館」に入る。
    

 会場では、ドラマの時代背景や登場人物の紹介、出演者のサインや衣装・小道具、初代
群馬県令楫取素彦の業績紹介などの展示があり、群馬県令執務室も再現されていて、ここ
だけが撮影可能だった。
  

       

 ちなみに、昭和庁舎は昭和3年(1928)の建設で、設計は早稲田大学大隈講堂や日
比谷公会堂を設計した佐藤浩一。昭和初期の典型的な洋風建造物で、スチーム暖房や洋風
トイレが整備されるなど、当時としては関東近県で最も先進的な建築技術を駆使した建造
物だったという。

 県庁前広場の一角には、群馬県のマスコット「ぐんまちゃん」の石像がある。
       

 県庁を出て北に向かう。県庁の東側に見えるのは、翌昭和4年竣工の群馬会館。楫取が
県令時代の県医学校併設衛生所跡地で、群馬県で最初の公会堂らしい。


 県庁広場の北側「三の丸緑地」とよぶ一角に、旧前橋城の土塁が残り、「再築前橋城復
元図」の説明板があった。

 それによれば、江戸末期の文久3年(1863)から3年8か月かけて近代的な城郭が
完成したが、機能を果たさぬまま明治維新を迎えたという。

 緑地の北端の土塁上には、明治41年(1908)に建立された「前橋城址之碑」と、
その説明板が立っていた。

 そばの歩道橋を渡って、広い緑地の前橋公園に入る。東西に走る県道10号を挟んだ利
根川左岸にあり、群馬県を形どった「さちの池」、大噴水のある広場、大きな芝生広場、
日本庭園などがある。


 芝生広場に入ると、「楫取素彦功徳碑」と「宮崎有敬翁紀功之碑」が並んでいた。

     
 楫取素彦功徳碑は、貴族院議員として存命中の明治23年(1890)10月の建立。
碑文の隷書題字は有栖川宮(ありすがわのみや)熾仁(たるひと)親王で、群馬県令時代
の楫取氏の数え切れない功績を称える言葉が記されている。

          
 宮崎翁紀功碑は明治40年(1907)の建立で、撰文は楫取素彦によるもの。宮崎翁
がこの地で最も優れている人物であると県民誰もが答えていたこと、翁が高品質の生糸輸
出に注力し、伊勢崎織物の品質向上に務めたことなどが記されていた。


 横の土塁に上ると、西側眼下に園内のさちの池などが望まれる。池の横に下り、北西側
のベンチで遅い昼食にした。


 13時5分に池を離れ、県道10号を横断して北側の日本庭園へ。池の周囲に東屋や和
風の建物があり、モミジが良い彩り。



 池の横を回った段丘上の「臨江閣(りんこうかく)」は、楫取素彦の提言により市内有
志の協力と募金で造られた、前橋の迎賓館である。

 明治17年(1884)に建設された本館は、楫取自身の送別会場としても使われたと
か。建物内は無料公開されているので入り、1階、2階の各部屋の内部を一巡して観覧し
た。


    

 別館の大広間


 本館2階の奥座敷は、明治26年(1893)の明治天皇行幸時の御座所跡だという。

                 ↑奥の部屋が御座所跡




 本館の玄関を出て、臨江閣の東側にある遊園地「前橋はなぱあく」を見下ろしながら、
県道10号を次の信号まで東進する。


 信号のある千代田町交差点を左折して北へ、左手に大きな本堂の源英寺(げんえいじ)
が見えたので立ち寄る。

 本堂内には、慶長6年(1601)に厩橋(前橋)城主となり、家康に信頼されていた
という酒井重忠が自ら描いたとされる、前橋市重要文化財で極彩色の「酒井重忠画像」が
あるとか。ここも、境内のモミジが鮮やかな彩り。
    

 道路の東側、木々の豊富な境内の弁天島に銭洗弁天が、その北側には神明宮や稲荷神社
などが祭られていた(稲荷神社↓)。
       

 すぐ先で広瀬川右岸沿いの遊歩道に入り、東方に向かう。清流沿いに、桜やヤナギ、ケ
ヤキなどの並木が続く。


 南北に走る国道17号下を抜けたところに広瀬川美術館があり、建物は国の登録有形文
化財に指定されていた。


 さらに進むと、近くの千代田町生まれの詩人、萩原朔太郎の「廣瀬川」の新しい詩碑が
ある。
    

 その先にも幾つもの詩碑が続き、「広瀬川詩(うた)の道」と名付けられていた。
       

          
 流れは右に大きくカーブして、県道10号近くまで進むと萩原朔太郎の全身像が立ち、
その背後に前橋文学館があったので入館した。


 1階の企画展示室では特別企画展「中原中也(なかはらちゅうや)と萩原朔太郎」展を
開催中だったが、時間の関係もあり2階の朔太郎展示室のみを駆け足で観覧した。

 県道10号に出て、両側歩道がアーケードの通りを西進する。明治14年(1881)
創業というそば屋さんの前に、糸の街前橋をしのぶ糸繰り器が展示されていた。

 すぐ先の参道の奥に、狭い境内だが熊野神社が見えたので入る。

 社殿は近年の再建のようだが、左側壁面のパワースポットとされる八咫烏(やたがらす)
御影石(みかげいし)に「運」の文字と八咫烏が刻まれていて、順に触れると自身に運気
が取り入れられるというので、触りながら参拝した。
         

 境内には「笠欠け三猿塔」と呼ぶ江戸時代に寄進されたらしい上部が欠けた三猿塔があ
る。                      三 猿 塔   
    
 太平洋戦争終戦直前の昭和20年(1945)8月5日、アメリカ軍B29爆撃機の空
襲により欠損したものだが、戦火を逃れて神社に集まった人々を守った塔として、護身、
開運の御利益ありと信仰されているようだ。

 さらに、同じ太平洋戦争の戦火で焼け野原になったこの地域で生き残った、「欅和合
(つきのきわごう)」と呼ぶご神木のケヤキや、「↓三つ足八咫烏石」と呼ぶ、太平洋戦
争後の改修の折に基礎の礎石から発見した3つの烏(カラス)の足跡が刻みつけられた不
思議な石も目に付いた。
         

 千代田町交差点から、南に延びる中央通のアーケード街へ。中ほどの広場で「前橋特区」
と呼ぶ催しが開催されていたが、店舗は店じまいを始めていて、ステージでの催しのみが
続いていた。


 アーケードの終端は国道50号との交差点だが、ひとつ手前に平行する馬場川遊歩道を
東進する。葉のかなり落ちた桜並木の下を「アーツ前橋」と呼ぶ建物際まで進み、右折し
て「前橋プラザ元気21」前を通過する。

 前橋プラザ元気21際には、「明治天皇行在所(あんざいしよ)跡」碑と「舊(きゆう)
前橋藩本陣跡」碑が並んでいた。
         

 国道50号に出て東南へ、旧建設省の「手づくり郷土(ふるさと)賞」の「ふれあいの
並木道三十選」に選定されたケヤキ並木を、すぐ先の五差路まで進む。
     

 さらに続くケヤキ並木の歩道を南下して、スタートしたJR前橋駅構内の前橋駅光案内
所に15時15分にゴールした。隣接する前橋物産館で軽い土産物を求め、15時49分
発高崎行き電車で帰途につく。

(天気 晴、距離 8㎞、地図(1/2.5万) 前橋、歩行地 前橋市、歩数
 17,700)

 なお、この日、県庁の前後に訪ねた清光寺と臨江閣は、翌11月22日(日)のNHK
大河ドラマ「花燃ゆ」の最後に、前橋にあるゆかりの地として紹介されので、ご覧の方も
おられることと思います。




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